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何とかしよう!

文科省が半年もたってから、関東近県のセシウム汚染地図をようやく発表した30K㏃~100K㏃の汚染地帯が広範に驚くほど広がっている。国民は騙されて、東電大事故影響は福島県内と思っていた.。

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 だから、事態の深刻さに鈍いかもしれない。フクシマでは広くプルトニウムとストロンチウムが検出されている。当然関東近県でも検出されてもおかしくはない。


 それにしても、野田政府の黙殺はひどい。収束など言いだしているのだから。テレビを眺める限り世は太平である。つくづくテレビは本当のことを隠すメディアとして愚劣に健全だと思う。


 懸命に身を賭して汚染の危険を訴える武田邦彦氏は、40K㏃以上の土地はまき散らした東電が法律に則して直ちに除染せよという。東電の犯罪についてマスメディアも菅・野田政府もしかりつけることもせず話題にもしない。

 

しぶしぶ官僚が中途半端な除染をしますという。それは、我々の税金ではないのか。おかしいではないか。東電に責任を負わせるのは、小学生でもわかること。このような理不尽を認めてはならない。

 

 チェルノブイリでは37K㏃以上が汚染地域として管理を強化されたという。避難の権利もあり我が国とは大違いだ。先日、福島市のある地域で避難勧奨地点に指定しないと、住民のせめて妊婦と子供だけでもという切実な要望の5時間にもわたる訴えを、政府の現地災害対策本部が拒絶したという。。避難の自由、生存権さえ認めないのだ、菅、野田政権は。


 100mSv閾値論は国や放医研や山下俊一氏らがエビデンスのある説として安全を言いふらしている。すでに破綻しているにもかかわらず、彼らは信じてもいない説で国民を騙そうとする。どちらが正しいかではなく、人間の魂をもった児玉龍彦氏の言説は真逆なのだ。放医研はセシウムによっておこるチェルノブイリ膀胱炎について、誤りだなどと言ってまた罪を犯している。


 山下俊一氏は「年間100mSv以下であれば健康への影響は確認できず、年間1~20mSvはさらに安全なのです」と9月11日になってもまだ言っている。ではなぜ、福医大に放射線専門病院をつくり健康管理調査などするのか。避難も除染もまったく提案しないで、二枚舌の悪魔と言われても仕方あるまい。医者ではなく政治と経済に良心を売り渡してしまったのだろう。

 

 ベラルーシで甲状腺の治療に6年間力を尽くした経験を持つ菅谷昭氏は、問題が多いのは汚染食品からの被曝だとして、セシウムは全身の筋肉に、ストロンチウムは骨に入って、害を及ぼすことになると、すでに4月に書いている。東電がプルトニウム等の放出量を予測した資料を発表したのは6月6日である。罪深い。

 

 国や放医研そして山下俊一氏らはこの内部被曝を認めないようだ。セシウムは何日か経つと対外に排出されますなどとごまかしている。「放射線性物質が体内に取り込まれると、核種により飛程の短いアルファ線やべーた線などによって、細胞は放射線を浴び続けることになる。だから、たとえ、微量の内部被曝であっても甚大な影響を受ける可能性は否定できない」(菅谷浩)


 内部被曝については矢ケ崎克馬、児玉龍彦、肥田俊太郎氏らが、ICRP、放射線防護学者らの世界原子力ムラの面々に抗して、研究を続けしっかりした医学的根拠を明らかにしてきた。かれらは懸命に訴えj避難や除染を提案し実践している。武田邦彦氏は原発事故があっても、原子力ムラが認めて法律となっている1mSvを守れと、危機感を持つ人々の支えとなっている。


 植草一秀氏は言う。避難のエリアを狭く狭くしようとしたのは財務省であると。国民の命のために支出するのは無駄金というわけだ。それを追認した菅政府の責任は重大である。お遍路などしても決して免責はされない。


 東電原発事故はようやく始まったばかり。広範に汚染された地域に人が住むことはできるのか、除染はどこまでするのか、できるだけ安全な食品の確保はどうするのか。人々を犠牲にして、20mSv以下に住めなどは暴論であり、暫定規制値も高くするなど論外である。


 

 「政治家や官僚、あるいは研究者は、統計や集団という形で物事を考えたり処理しがちだ」 チエルノブイリで命を落とす子供も見た経験から、「目を向けるべきは、個々のケースである」、「本人の辛さや悲しみ、家族の切ない思いを目の当たりにすると、ひとりひとり、個々の命こそが大切であることを改めて痛感する」と菅谷浩氏は言う。彼は松本市長だという。(「新版チェルノブイリ診療記」新潮文庫)


 自公政権、小泉、竹中に限らずただの一度も民主主義など実現したこともなく、人間の国であったこともない。

リスクだのコストだのと人を人とも思わないような経団連や大会社をゆるし、腐りきった政治を作ってきた責任は我々にある。



 国民一人ひとりの健康を守るための政治が行われるようわれわれが静かな怒りの声を上げるときである。自分のためばかりではなく、この人間を犠牲にしてかえりみない、東電、政府、学者、メデァイアに静かな持続する怒りの声を上げなばならない。明日はわが身なのだ。


郡山市の子どもたちが、集団疎開させよと市を訴えたふくしま集団疎開裁判がたたかわれている。東電福島第一原子力発電所が引き起こした取り返しのつかない事故によって、大量にまき散らされた放射性物質に汚染された。

原発を拒絶し、震度6の地震で壊れるような原発の再稼働に反対することは重要である。であれば、私はこの裁判の原告を支持したい。さらにこの子どもたちが自ら手を挙げて訴えたものであって、多くの子どもたちの代表である。カナリアとならずに先駆者となることを期待する。

 汚染された学校の環境が、1mSvを基準としたとき、健康を害する値であると原告はいう。だから、子どもを守るには、集団疎開しか手立てはないと訴えたのだ。


 私たちは、国が避難準備地域の人々は帰還できるというものだから、収束に向かっていると思い込まされている。また、「専門家」が破綻している100mSv閾値論を性懲りもなく流し、避難の基準値が20mSvなものだからすっかりそれ以下は安全だと洗脳されてしまっている。


 目にも見えず、匂いもなく、触ることのできない、体内にとりこんでも、すぐには影響がないから、危険性を五感で感じることができない。さらに、住む人々は嘘でも安全だという言説を信じざるを得ないし、諦めてしまってもいる。


 だが、裁判の提起する課題は何一つ解決されてはいない。1空間線量の積算値が1mSvを超える誠に危険な数値であること。2国は内部被ばくを過小に考えるが、内部被ばくこそが危険であることだ。


 ICCPの勧告でさえも、国の法律も1mSvを基準としているのだから、そこに争いはないだろう。原告の計算では3月12日~5月24日間での積算値は4.3~9.4mSvであり、来年八月までの予測は7.8~17.16mSvとなっている。数字は算定によって違いはでるだろうが、1mSvをはるかに超えるのは間違いがない。


 数字は抽象的だが、子どもたちが日々高い数値の中を学校に通い、生活して被ばくし続けていることに胸を痛める想像力をもちたい。また、私の住む地域は低くて運が良かったと思ってもよいだろう。だが東電原発事故は人間が引き起こした犯罪なのだ。その巨大な犯罪の被害者が現在も苦しみ、未来にはもっと労苦が待ち受けていることに思いをいたして、正義の怒りを静かに燃やさなければと考える。


 チェルノブイリ原発事故との比較もしている。ルギヌイ地区を郡山市と同等の汚染地区としてみている。ルギヌイ地区では、爆発事故の5,6年後から甲状腺疾病と甲状腺腫の双方が急増し、9年後の1995年には子ども10人に1人の割合で甲状腺疾病が現れている。 癌等の発症率は甲状腺病の10%強の割合で発病していて、9年後には1000人中13人程度の異常に高い罹患率だった。通常は10万人に数名程度であるが。


 また、ウクライナ政府の公式報告者では、1 14歳までの子どもの罹患率が大きく増えた、2被曝して間㎜性疾患を抱える子どもの割合が増加したとしている。こらが郡山市の近い将来ではないかと強く訴えている。


 さらに、チェルノブイリの避難基準に照らすと、郡山市中心部の学校は、2校が移住義務がある移住義務地域で、4校が移住権がある移住権利地域となるのだ。つまり、東電原発事故における避難地域になるのだ。なぜ我が政府は放置しておくのだろう。この事実に震撼する。原告もいうが、セシウムよりはるかに危険だという、プルトニウムやストロンチウムが大量に放出された事実が明らかになっている。


 内部被ばくの危険性については、矢ケ崎克馬琉球大学名誉教授が提出した意見書に詳しい。ICRPは3%と内部被ばくの影響を低く見積もっているが、大量線の一時的な被曝が生命機能を破壊するという相しかみていないからだ。異常に変性された遺伝子を持つ細胞が生き延びることによる危険相すなわち低線量・内部被ばくに現れる点に目隠しをされているという。


 誰に目隠しをされているのか。広島、長崎の原爆の影響を米国が調査して内部被ばくを認めなかった。以来、米国は核爆弾と原子力の平和利用という両輪で核戦略を展開するために、少なく見積もるしかなかったのだ。

 

 WHOとICRPが内部被ばくを頑強に認めなかった。つまり、認めれば核開発と原発が成り立たないからだ。従って数字は科学や医学を装いながら、原発を推進するための政治と経済によって歪められ、決定されているのだ。労働者と周辺地域の住民の生命の犠牲の上にしか原発は成り立たず、健康を第一に考えれば原発は成立しないのだ。こうしてまた、国際機関のうさんくさい正体が原発事故でも明らかにされた。


 iチェルノブイリで5年間甲状腺の治療にあたった菅生浩氏は、今回国の食品安全基準を決める委員会の委員となった。そこで、ある委員が甲状腺がんは治療しやすいがんだからと、高い暫定基準値を容認する発言をしたことに驚いていた。


 数字やリスクという言葉には人間が病に苦しむ、しかも東電事故によって引き起こされたしなくてもよかった受苦を強いられた子どもへの想像力がないのが問題だ。つまり、自分のことでなければ、他人の痛みを感じられないという医師や学者にもある人間の残酷さが横たわっているのだ。


 提訴した子どもたちは、市と国が痛みをわかることを悲痛な気持ちで願っていよう。すなわち、人間の顔をもった政治を求めているのだ。人間の国に我が国がなることを切望したい。

 文科省が半年もたってから、関東近県のセシウム汚染地図をようやく発表した。国民は騙されて、東電大事故影響は福島県内と思っていた、いや今でも同じだから、きっと事態の深刻さに鈍いかもしれない。プルトニウムは重いから敷地内には広がらないなどと嘘をいっていた専門家がいたようだ。フクシマでは広くプルトニウムとストロンチウムが検出されている。当然関東近県でも検出されてもおかしくはない。


 それにしても、野田政府の黙殺はひどい。収束など言いだしているのだから。テレビを眺める限り世は太平である。つくづくテレビは本当のことを隠すメディアとして健全であると思う。


 30K㏃~100K㏃の汚染地帯が広範に驚くほど広がっている。懸命に身を賭して汚染の危険を訴える武田邦彦氏は40K㏃以上の土地はまき散らした東電が法律に則して直ちに除染せよという。東電の犯罪についてマスメディアも菅・野田政府もしかりつけることもせず話題にもしない。しぶしぶ官僚が中途半端な除染をしますという。それは、我々の税金ではないのか。おかしいではないか。このような理不尽を認めてはならない。

 

 チェルノブイリでは37K㏃以上が汚染地域として管理を強化されたという。避難の権利もあり、我が国とは大違いだ。ソビエトを笑えない。先日、福島市のある地域で避難勧奨地点に指定しないと、住民のせめて妊婦と子供だけでもという切実な要望の5時間にもわたる訴えを、政府の現地災害対策本部が拒絶したという。


 100mSv閾値論は国や放医研や山下俊一氏らがエビデンスのある説として安全を言いふらしている。すでに破綻しているにもかかわらず、彼らは信じてもいない説で国民を騙そうとする。この説が悪事を働いていることは繰り返し批判せねばならない。どちらが正しいかではなく、疫学と人間の魂をもった児玉龍彦氏の言説では真逆なのだ。放医研はセシウムによっておこるチェルノブイリ膀胱炎について、誤りだなどと言ってまた罪を犯している。


 山下俊一氏は「年間100mSv以下であれば健康への影響は確認できず、年間1~20mSvはさらに安全なのです」と9月11日になってもまだ言っている。ではなぜ、福医大に放射線専門病院をつくり健康管理調査などするのか。避難も除染もまったく提案しないで、二枚舌の悪魔と言われても仕方あるまい。医者ではなく政治と経済に良心を渡してしまったのだろう。

 

 ベラルーシで甲状腺の治療に6年間力を尽くした経験を持つ菅谷昭氏は、問題が多いのは汚染食品からの被曝だとして、セシウムは全身の筋肉に、ストロンチウムは骨に入って、害を及ぼすことになると、4月に書いている。東電がプルトニウム等の放出量を予測した資料を発表したのは6月6日である。

 

 国や放医研そして山下俊一氏らはこの内部被曝を認めないようだ。セシウムは何日か経つと対外に排出されますなどとごまかしている。「放射線性物質が体内に取り込まれると、核種により飛程の短いアルファ線やべーた線などによって、細胞は放射線を浴び続けることになる。だから、たとえ、微量の内部被曝であっても甚大な影響を受ける可能性は否定できない」(菅谷浩)


 内部被曝については矢ケ崎克馬、児玉龍彦、肥田俊太郎氏らが、ICRP、放射線防護学者らの世界原子力ムラの面々に抗して、研究を続けしっかりした医学的根拠を明らかにしてきた。かれらは、エビデンスがないなどと冷酷な理論に胡坐をかくことなく、懸命に訴え、j避難や除染を提案し実践している。武田邦彦氏は原発事故があっても、原子力ムラが認めて法律となっている1mSvを守れと、危機感を持つ人々の支えとなっている。


 菅谷浩氏はいう。当事者である東電、政府、経産省からは、先手を打って対策をとるような危機管理はなかったと。「国民の立場でものを考えているとは思えなかった」と。国民の命を守る認識があるとは思えなかったのだ。


 植草一秀氏は言う。避難のエリアを狭く狭くしようとしたのは財務省であると。国民の命のために支出するのは無駄金というわけだ。それを追認した菅政府の責任は重大である。お遍路などしても決して免責はされない。


 東電原発事故はようやく始まったばかり。広範に汚染された地域に人が住むことはできるのか、除染はどこまでするのか、できるだけ安全な食品の確保はどうするのか。人々を犠牲にして、20mSv以下に住めなどは暴論であり、暫定規制値も高くするなど論外である。


 国民一人ひとりの健康を守るための政治が行われるようわれわれが静かな怒りの声を上げるときである。自分のためばかりではなく、この人間を犠牲にしてかえりみない、東電、政府、学者、メデァイアに静かな持続する怒りの声を上げなばならない。明日はわが身なのだ。


 「政治家や官僚、あるいは研究者は、統計や集団という形で物事を考えたり処理しがちだ」 チエルノブイリで命を落とす子供も見た経験から、「目を向けるべきは、個々のケースである」、「本人の辛さや悲しみ、家族の切ない思いを目の当たりにすると、ひとりひとり、個々の命こそが大切であることを改めて痛感する」と菅谷浩氏は言う。彼は松本市長だという。「新版チェルノブイリ診療記」(新潮文庫)


 自公政権、小泉、竹中に限らずただの一度も民主主義など実現したこともなく、人間の国であったこともない。

リスクだのコストだのと人を人とも思わないような経団連や会社をゆるし、腐りきった政治を作ってきた責任は我々にある。


菅谷浩氏の言うような一人一人の命を大事にする考え方で、東電原発事故の処理が行われなければならない。