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さくらんぼ*ブログ

何とかしよう!

 年間積算被曝20mSvがフクシマの命運を握った。巷間、学校の基準が反対によって1mSvに近づけると文科省が修正したので解決済みととらえている。だが、どうしてどうして政府と官僚はしぶとい。20mSvは生きている。20mSv以上を避難対象にし、いくら訴えても未満は頑強に認めない。さらに避難、警戒区域の住民が帰還する基準も20mSvなのだ。

 

 かなり調べたがいつどの組織で決めたのかはっきりしない。ただ、5月17日には原子力災害対策本部の「当面の取り組方針」で次のようにでてくるし、4月には国会等で話題になっている。「積算線量が20mSvに達するおそれがある地域については、住民の健康への影響を踏まえ」て「計画的避難区域」とするとある。


 3月の早い時期から山下俊一氏は100mSv以下については健康への影響はわからないを一歩進めて安全だと言い募り、国際的に認められた見解だと言った。だから20mSvははるかに少ないので問題はないと。が、今ではICRPと同じく確率的影響は100mSv以下でもあると改めた。


 政府に専門的立場から助言する原子力安全委員会の久住静代委員は4月10日に、「100mSvまでは、晩発的影響、確率的影響も起こらない」、「100mSv以下では心配無い」と述べた。ところが記者会見でICRPでさえ100mSv以下は健康への影響はないとは言っていないと追求され、5月6日に公開していた資料とともに安全委員会は訂正した。閾値なしと被曝によるがんの死亡率は通常の変動に上乗せするという当然のことを認めた。(「検証福島原発事故記者会見」)


 ところがメディアをはじめとして未だに影響なしがまかり通っている。今年3月7日福島民報のインタビューの「国として生活可能な安全基準を示すことはできないか」の質問に対して、「ICRPの考えに基づき放射線防護対策を講じている。被曝線量が年間20mSv以下となることが確認された地域は、住民の居住に向けて準備を進める」と野田首相は答えた。


 確かにICRPは、緊急時20ー100mSvに、また、放射線源が制御できても汚染地域は残るので、その場合は「1-20mSvの枠内の参考レベルを選択し、長期目標として年間1mSvとすること」を2007年と同様に3月21日に勧告した。ただ注意したいのは「人々が「その地域を放棄することなく住み続けることができるようにすることが一般的であろう」という一文があることだ。住み続けるとは医学的、科学的かつ疫学的なものではない。

 

 つまりここには政治の政策が入るのだ。野田首相はいかにも専門的機関の考えに沿っているように見せるが、政府の判断で20mSvにしたのだ。官僚や政治家は自らの政治的な判断にもかかわらず、専門家に従ったのだと権威づけをして責任を逃れようとする。判断の責任はあくまで菅=野田首相なのだ。


 班目原子力安全委員長は退避区域見直しについて4月4日に「生活実態の問題等も考えて、総合的に判断しなければいけない」、「最終的な判断は、これはやはり政府の方でしっかりやっていただく」と言う。困ったことに山下俊一氏は確か避難によるストレスの方が放射線の影響よりも大きいなどと、医学的に証明されていると語っていたはずだ。避難ではなくフクシマが20キロという同心円と飯舘村など西北方向の一部のコブ以外は住み続けることを政府も専門家も求めた。


 専門家の発言を追う。日本学術会議会長談話が6月17日にあり、内閣府のHPにも載っている。学術会議の総意ではないが、20mSvという最も低い基準を政府がとったと専門家に権威付けてもらったのだ。年間1mSvという平常時の線量基準を維持すると、「おびただしい数の人が避難しなければならないことになり、かえって避難者の多くにそのことによる身体や心の健康被害などが発生する危険性があります」とまで踏み込んでいる。


 学術会議会長が何の専門家かしらないが、避難すると身体と心に健康被害が発生する危険性があるなどと断言できるのか。医学でも科学でもない。できるだけ避難の範囲を狭くして金を出したくない東電と政府の求めに応じて専門家を装って談話を出したのだ。これを典型として政府側の専門家は何としても避難者を少なくしたいという発言が目立つ。その裏側が100mSv未満は影響不明もしくは安全のいかさま理論なのだ。


 正義の武田邦彦氏は訴える。ICRPは事故の時には20mSvで我慢せよもやむを得ないが1mSvは変わらないと。しかも政府が低線量にするための総合的な政策を打てばOKという意味で、安全だから無条件で20mSvではない。20mSvを浴びて我慢するとは、日本人の10万人がガンになることを意味するのだとも。


 事故が起こったからといって人間が放射線に強くなるわけではないのはだれでもわかろう。被害を少なく見積もるICRPや安全委員会の専門家の助言に従ったとしても、健康被害は大きく予測される。たとえICRPが認めなくとも、ECRRや様々な研究事例では内部被曝、むしろ低線量被曝の健康被害が大きく、人間の命と人生を変えられた残念な姿が歴史にははっきりとあるのだ。疫学という学問がむしろ邪魔をしている。


 風評被害や放射線の被害に過敏だとかの江戸時代以前のおよそ馬鹿馬鹿しい理屈で、フクシマを被曝にさらさないでもらいたい。政府と官僚が金を出したくなくてフクシマを平気で犠牲にしようとしても、危険を感じて避難や疎開をする判断と行動の権利はひとりひとりにあるのだ。


 政策や政治判断は選ばれた国会議員が行い官僚が従うのが当然だが、そうはならず野田氏は財務省の操り人形だといわれている。フクシマの当然の不安や心配に応えて、少なくとも希望するものに避難と疎開を認め、そのために東電と共に力を尽くすべきなのだ。安全が偽りと分かった今、人間の健康と安全を犠牲にして他に何を大切にするのか。


 フクシマの首長の中にもコミュニティが大事だなどという愚か者がいる。1mSvに出来るだけ近い環境にした後に、警戒区域の帰還があるはずだ。その意味で井戸川双葉町長の考え方と信念は誠に立派である。双葉町民に20mSvに住めというのは同じ日本人として扱っていないからだ。20キロ圏外の人々も1mSvの基準で扱ってもらえず日本人ではないのだ。野田氏よ一刻も早くフクシマを救出することが最大の政治目標であらねばならぬ。

フクシマひとりの会アピール


「フクシマひとりの会」は東電福島原発事故の汚染対策が進むことを切望し、東電、政府、国民に強くアピールしたい。「フクシマひとりの会」は組織は作らず、下記の8点の趣旨のひとつでも賛同するひとりからひとりへと要望を手渡し広げて、それぞれの場所における行動に生かされることを願う。つまるところ我が国が人間の国になることを強く望むものである。

東京電力福島第一原子力発電所事故から7か月が経過した。野田政府は緊急時避難準備地域を解除し、事故が収束に向かっているとの印象をふりまいている。だが、関東近県も含めてセシウムの汚染マップを文科省が発表したのは7月以降であり、福島県のストロンチウムとプルトニウムの汚染を発表したのも同時期である。この広範に広がる汚染の影響はこれから始まり対応もこれからだと考える。

東電、政府はそれなりに事故後の処理等に対処しているが、最も大切な国民の健康と生活を守るという観点が必ずしも貫かれてはいない。県民健康管理調査の結果等をみても、福医大と放医研が共同で行い、健康に影響なしの判断は100mSv偽理論に立っており、医学的知見である内部被曝、低線量被曝を認めない方向での判断だと言わざるを得ない。



○考え方について 学術会議、放医研等の学会主流によらず、例えば武田邦彦氏、児玉龍彦氏、特定非営利活動法人ヒューマンライツ・ナウ震災プロジェクトの以下◇の考えに立つ。原子力発電を推進し支持してきた専門家と称する人々の信頼は完全に損なわれた。それらの専門家には一時退場を願う。

 ◇一般公衆の被ばく限度は1年間に1mSvである。

◇内部被曝、低線量被爆の危険性に鑑み、疫学的エビデンスではなく、逆システム理論に基づき予防の観点に立って人々を放射線被害から守ること。

◇電離放射線障害防止規則第28条に基づくこと。



記





1 年間1mSvを超える地域について、きめ細かな放射線汚染の恒常的モニタリングと住民への開示を行うこと。

2 年間1mSvを超える地域について、避難の権利を認め、東電と国が補償しさらに生活再建を保障すること。チェルノブイリにおいては年間5mSvを超える地域が移住地域であったことから、年間20mSvを避難の基準は到底認められない。

3 毎時0.6mSvの地域について放射線管理区域に指定し、立ち入り制限等を行うこと。

4 土壌表面が4万ベクレルの地域を、法律に基づき東電が土壌飛散防止剤を散布し除染を行うこと。また、政府の責任でも除染活動を行い、年間1mSvまでに回復すること。

5 健康管理調査を行うにあたっては、特に3月11日から3月中の各地域ごとの計測した放射線量を開示すること。また、被曝の健康へのリスクをどう判定するのか開示して広く議論できるようにし、福医大と放医研以外の機関において住民がセカンドオピニオンを得られるようにすること。

6 安全を確保するため、食品の暫定規制値を早急に見直し、国際基準の法規制に従うこと。

7 食品の全品検査を行い安全な食品の流通を図る等、国の責任で食料供給体制を整えること。

8 過去の疫学的なエビデンスにとらわれず、過去の被曝の健康へのあらゆる影響の知見に鑑み幅広い観点に立って健康へのケアを行い、さらに医療を無償で行うこと。


2012年3月改訂 作成者 秋沢玲






 民間事故調の報告書が27日に発表され大きな話題となった。「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調)は(財)日本再建イニシアティブ最大のプロジェクトだそうだ。日本再建て何?勝手にお前が言うな。原発事故は理事長船橋洋一によれば、戦後日本の「ガバナンス危機」で「国のかたち」の再構築が必要というのだ。事故調は、東電、政府、国会とすでに3つに加えて4つめである。

 

 誰も頼んだわけでもないのにずいぶ大きく偉そうに出た。独立した民間のとさも国民を代表するような物言いが気に入らない。国会議員は愚かで嘘つきかもしれないが、ともかく国民が選んだ国会に法律によって設置された事故調査委員会が12月に発足した。民間事故調は何物をも代表していないのに急にしゃしゃりでてきた。


 孫崎氏によれば朝日新聞の笠信太郎は60年安保の時、CIAの傭兵として各新聞統一の運動沈静化の主張をつくったという。船橋洋一氏は朝日新聞米国総局長や主筆を歴任した米国通だ。民間事故調の委員には元IAEA理事会議長も入っている。理事と主要職員もまた米国臭がぷんぷん。相当財政豊かな財団だ。かなりの巨大なスポンサーがいるのだろう。是非明らかにしてもらいたい。23日に発表された米国NRCの議事録の政府批判と酷似しているのも背景をうかがわせるものだ。


 天木直人氏は「親米保守のひと握りのグループの全く私的な事故報告」だとばっさり。また、大槻義彦氏は事故調は東電からの聴取がなく、「恥ずかしげもなく公表できたものだ」と断言。原発事故は「東電ぐるみの人災」であり、菅首相の対応が事故調のいうように「子どものサッカー」だとすれば「子供の旅客機運転」だと悲しくも痛快だ。おばけやUFOというイカサマを見抜く力のある大槻教授はさすが健在だ。


 新聞では菅首相の「知識なき政治介入」だと見出しが踊る。見てきたような会話仕立てである。ここらあたりは捏造が得意の特捜がいかにも実際の被告との場面であるように書くのとそっくりだから笑ってしまった。そういえばメンバーに弁護士もいたか。菅氏だけを悪ものに仕立てて、主犯である東電と保安院、原子力委員会に対する責任追及がとても弱いのだ。


 さらに東電は協力しなかったという。東電を聴取しなければ原因追及などできないはずではないか。主犯の被告を逃がしておいて事件の概要など見えるわけがない。政府の事故調を評価すると大上段に振りかぶっていながら、肝心の東電が行なった事故調査に関する評価はどうしたのか。原発は他の科学技術と違って人間が扱えない完成したなどとはとてもとても言えない危険なしろものと今度の東電原発事故ではっきりわかった。船橋の言う政府の対応だのガバナンスだのという寝言で防げるようなものではない。


 つまり、国民を代表すると自称する事故調査報告書は世界原発推進勢力のものである。民間事故調は真の事故原因から目をそらす自らの犯罪的行為に気がつかないのだろうか。だからといって菅氏の責任がないとはいわない。前回書いたとおり、メルトダウンを知っており、放射性物質の影響から国民の健康を守らなかった。放射線被曝や避難の範囲についての菅首相の対応について、山口二郎氏は「福島県の被災者の救済について、本来の政治主導が発揮できなかった」(「政権交代とは何だったのか」岩波新書)という。正当な評価だ。

 

 自民党政権以来の長年の 「原発推進政策の中に今回の事故を招いた大きな欠陥、さらにいえば犯罪性が存在する」(山口二郎)との犯罪性という本質的な指摘はこの事故調はできまい。ましてや、原発は当然廃炉であり、再稼働などとても認められないという結論は出せまい。日米同盟なぞという最終章があるから彼らの正体と背景がわかってしまう。日本政府は能力が乏しいのだから、IEAEや米国NRCやのいう事をよく聞いて原発を扱えということなのだ。衣装が横文字できらびやかでも性根の腐った意図はバレてしまう。


 菅首相の対応は、「住民の生命、健康を最優先して、それらの最高価値を実現するためにあらゆる手段を動員するという本来の政治とはほど遠いものであった」。さらに広島長崎の原爆や公害についても一貫して続く、官僚的発想を排除する政治主導ができなかったという。官僚は社会的混乱を恐れるという名目を盾に、費用と補償にいくらかかるかという配慮だけから常に被害範囲を狭くしてきた。わたしがブログで繰り返しているのはこのことである。今回も恣意的な20キロの同心円に閉じ込めようと必死だ。


 さて、大震災に際してツイッターで「あなたの言葉になりたい」と「詩の礫」をつぶやいた和合亮一という詩人が福島に住む。彼が被災地フクシマの25名にインタビューした本が出た。「ふるさとをあきらめない」(新潮社)である。避難所を渡り歩いた経験を持つフクシマのわたしは心底衝撃を受けた。漁師、酪農家、レストラン経営者、新聞記者などこれらの人々の体験は実に重い。

 

 


大震災の被害の重さではなく、原発大事故によって破壊されてしまったが、人々の暮らしと生き方がこれほど素晴らしいものであったかをはじめて知った衝撃なのだ。植民地東北の、平凡といえば平凡な、%や数字やコストなどでしか測ってもらったことのない人々の暮らしがいかにひとりひとりかけがえのないものであったか。そして、今もなお懸命に避難し町と戦い見えない敵に怒りを燃やして生き抜こうとする。


 国際派気取りの実は米国の僕プログラム・ダイレクター船橋洋一氏はじめ民間事故調の委員たちにフクシマの人々のぬくもりを持った泥臭い涙と怒りは伝わるまい。まるで遠くのドラマのように眺めるか無視しておしまいだろう。そして、リスク、コスト、ガバナンスだのと人を煙に巻き、「住民の生命、健康を最優先する」政治の姿など到底描くことはできまい。