伊勢丹な人々/川島蓉子 | もん・りいぶる21(21世紀のレビュー三昧)

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2008年 日本経済新聞社(日経ビジネス人文庫)


いわゆる業界ライターといわれる人の中には、博覧強記で特に人名に詳しい人たちがたくさんいる。
彼・彼女の得意技はひたすらブランド名も含めた人名を記憶しておくことで、彼らの書く文章からこれらの固有名詞を取り除いてしまうと、ほとんど何も残らない。

今回取り上げる川島蓉子という人の文章は、さらにロジックがないからいよいよカラカラスッカラカンだ。

おそらくは川島は膨大な取材記録(ノート?メモ?)をもとにこの百貨店中の最高峰を「人」の面から再構築しようと試みたのだと思う。
日常の仕事とはいえ膨大な取材を敢行し、それをあちらこちらに書きながらも、ひとつに取りまとめようという試みは、いたって全うな発想だし、伊勢丹について総覧的にわかる本があればもちろんよい勉強になるはずだから、読みたい人だってたくさんいるに違いない。

市場はある。
そして、その市場が求めているものを提供するのが日経があり、日経は「本というプロダクツ」と「文庫本という低価格なプライス」と「日経ビジネス人文庫用に確保された書店の棚スペースとうプレイス」という3Pが見事に用意されている。

しかし、最初のP=プロダツクの中身が貧困であっては、これはいただけない。
どこでも安価に買えるものだからといって、中身もチープ、いやお値段以下ならそれは困ったことだ。


では、なぜそう貧困な内容なのかをご説明しよう。

簡単に言ってしまえば、日常の取材で行っている「ダラダラとしたながれそのもの」がそのまま提示されているからだ。
多少時系列な売り場ごとの章立てにはなっているが、書いていることは目に付いた順思いついた順出会った順であって、それを通す背骨がない。軟体動物がクネクネと身体をくねらせながら脳細胞の間をすり抜けようとするから、個々の固有名詞の羅列意外には何も残らない。
しかも、そこには日常の思いつきそのままの提案だったり意見が挟まれるのだが、その根拠となる理論も比較対象となる客観的な事物も登場しない。
ただ思いつくまま気の向くまま。

それは、一百貨店ファンが通い詰めながら書いた日記だったらそれでいい。思い込み日記でもいいだろう。
雑誌のちょっとした記事の単位=一回分の日記であるならば、まあ断片的に読んで「なるほどそんな感想を持ったのね」で終わる。
しかし、お金をもらって文章を書く以上、もうちょっとましな書き方が出来ないと致命的だ。

こういう類の本を造るときには、基本的にロジック構造を先に構築して造らなければならないのだが、そのあたりは編集者も手が出せなかったのだろう。

ということで、筆者の真似をして勝手に提案をしてみよう。

ロジカルに章立てをするなら
1.伊勢丹のオリジナリティを売り場の変遷から見る(全体の俯瞰)
2.伊勢丹な人々-トップの視座
3.伊勢丹な人々-現場マネージャーの視野
4.伊勢丹な人々-売り場はこうして変わった-現場最前線の視線
5.変わったもの変わらないもの-伊勢丹らしさの源泉
6.伊勢丹売り場変遷年表(世情・百貨店界・小売業界比較)

なんて構造であれば、伊勢丹がよくわかるのだけどな。
大きなもの・範囲からより細かな視点に下ろして行って、最期にもう一度まとめる。
そして文中にちりばめてしまった比較対象群をもう一度客観的に見られる情報を提供して終わる。

まあ、そのくらいやってから書けば、「こんなにたくさんの人を知ってる」「こんなにこのお店がすきなの」以外のことを書かざるを得なくなるだろう。

ということで、はい、書き直し。