フェルメール展 | もん・りいぶる21(21世紀のレビュー三昧)

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2008年8月2日~12月14日 東京都美術館企画展示室


いやはや、これ以下の美術展示を見たことがない。
これは酷い。最低であり最悪であり俗悪でありこれまでのダントツ最低記録保持展示の山梨県立美術館以下だ。

フェルメールの作品を目玉にしているとはいえ、全展示作の2割にも満たないフェルメールがメインで他の作家もフェルメールの名前にくっつかない限り日本で誰かの眼に触れるほどの価値などないものばかりだ。

「光の天才画家とデルフトの巨匠たち」というサブタイトルですら、嘘八百って感じなのだから、これは詐欺だ。もちろん、作品世界中から集めてきた苦労は理解はするが。

さてと、これは実際には美術展、いや原画展ではなかった。

あまりに低俗な「博物展示」だ。

作品数を遥かに上回るパネルの山。そして読むに耐えないだらだらとしたあいさつ文と解説文が壁面を埋める。
それを何かのありがたい経文であるかのように読みふける観衆。絵を見に来ている人はごくわずかなのだろう。解説に書かれていることやテレビで延々と放送された内容を現物で確認しているだけの人たち。
絵に対しても失礼な話だ。

さんざっぱら記事や番組で宣伝しておいて、内容は低調。それを埋めるのがこれでもかとばかりの解説の山。

平日に行ったにもかかわらず20分待ちさせられた理由は、ひたすらに「ありがたい解説&挨拶」に取り付いて離れなかったり、絵のパートパートを拡大したパネルと原画を比べることに熱中する観客が動かないのだ。絵を望遠鏡で見るというこれまた変則的な人たちや音声ガイドの解説が終わるまで動かない人など、これは美術を楽しむ行為がずいぶん拡大解釈されたなあと思ってしまう。
民度の低さ、美術教育のあまりの低さがこういう観衆を増やす。

まあ、それはいい、とりあえずその列の中に身を置いた以上、自分も同罪だからだ。

さてと、少々冷静になって展示された作品のついて簡単に感想を書いておこう。

基本的に絵画は抽象絵画が好きな筆者は、こうした具象の風景画はよほどのことがない限り面白いとは思わない。当然ながら、今回の作品はどれもつまらないものばかりなのだが、それでもまだフェルメールはすごかったのかな、と思う部分もあった。

筆者の具象絵画を見るときの基本的なチェックポイントは「質感」「量感」「情感」の3つの感性ポイントだ。
目の前にあるものをそのまま写実しても、それは技術でしかなくて美術ではない。そこには、あたかもそこにあるものに手を触れて触覚や温感が伝わってくるかという質感、持ち上げてみて重みや肌に伝わる圧力といった量感、そして写されたリュートの音色や少女の瞳の中の悪戯心などの情感が欠かせないのだ。

しかし、入り口近くの風景画群をはじめとして、ことごとくがつまらない。
上手ではあるのだろうが、それ以上ではない。構図を含めて眼を留めさせる力がないのだから、それは自分の感性だけで言わせてもらえば凡庸以外の何物でもない。

そういえば、「青、あお、アオ、群青~」と何かのおまじないのように青いところを探す観衆にたくさん出会ったが、出口の先の物販所でラピスラズリ(フェルメールの「青」の原材料)の装飾品の前がもっともひとの密度が低かったのが笑えてしまった。