Music from the Outskirts of Jakarta | もん・りいぶる21(21世紀のレビュー三昧)

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1991年 Smithsonian Forlkways

「ジャカルタ周縁部の音楽」の今昔を収録したスミソニアン博物館のカタログの中のインドネシア音楽シリーズの一枚。

全10曲収録で、前半5曲が古いレパートリー、後半5曲が現代のレパートリーという並べ順。

インドネシア音楽という書き方をしているが、演奏しているGambang Kromongの音楽は、どうやら中国式だったり西洋式だったりの楽器を使用して純度百のインドネシア音楽を奏でているわけではなさそうだ。

そもそも、インドネシア=インドの島々と名づけられた多島国家であり、有史以前からの土俗宗教とイスラム/ヒンズー教を中心とした宗教の多重に混在する多民族国家であり、インド・中東・中国・西洋列強に加えて近代では日本の侵略にまで晒されてさらにその多様な文化性に磨きがかかったといえなくもないだろう。

音楽という面で言えば、東南アジア最大の音楽国家であり、バリ島の伝統文化にばかり目が行きがちだが、インドネシア総体の持つ音楽的な深みもまた、きちんと正対して受容してみるべき音楽群でもある。

さて、音楽面で言えば、インドネシア音楽の中でも最もおなじみのガムラン音楽に使われる楽器群がやはり音色的には一番耳を惹きつける。そこに繰り返しのメロディと重層的なリズムによる眩暈のような酔いを呼ぶ宇宙的なサウンドが加わり、郷愁を引き付ける笛の音で止めを刺される。
ボーカルスタイルは当然のことながらビブラートを使わない歌唱法で、ゆったりとしたメロディを誘い込むように歌われると、やはり強い直射日光の下でダイナミックに展開される極彩色のバザールで飛び交う呼び込みの風景が彷彿とさせる。

分類上の古いも新しいも、そう大差はなく感じてしまうのだが、それはおそらくインドネシア音楽の中の「流行歌」との比較で感じてしまうものだろう。
それをそのまま書いて終わりにしてしまえば、日本でも地域地域の生活の中にある古い民謡と大ステージで全国展開される民謡ショーが同じといってしまうようなものだ。

やはり「古いレパートリー」には素朴と純情とむき出しの欲情が顕著だし、「現代のレパートリー」には、複雑さと自己顕示欲が明確にある。
テンポとしてのゆるさは同じ。しかし、のどかさを感じられるか否かは圧倒的に前者のほうがのどかだ。
どうしても「現代」にはジャズのフレーバーが入る。西洋の忙しなさが紛れ込む。

どちらがいいといっているわけではなく、現代のインドネシア人にとっては後者こそがまさに「living music」そのものであるのだから、部外者が的外れな懐古趣味でそれを批判しても仕方がない。
どちらかといえば、まだ受容の範囲もレベルもそう大きくない分、日本における過剰すぎる模倣の放つ悪臭のほうを強く感じてしまうのだ。
その悪臭にしてもわが日本の音楽の現状。

音楽はそのようにして受容されて廃れていくのか発展していくのかと考えると、#7のStambul Bilaなどは、アフリカからアメリカ大陸に拉致されて黒人霊歌の葬送行列に到る音楽の歴史と、そこから連なりさらにインドネシア諸島からインド亜大陸、そして中東までに流れ込んでいく「憂いのブルース」の普遍的な挑発力を感じてしまって、ついもう一度プレイボタンを押してしまうのだ。