2008年 宝島社(宝島社文庫)
ちょうど前作「チーム・バチスタの栄光」をテレビドラマでやっていて、読書習慣のないあるドラマ専業ブログなどでは頓珍漢な批評も登場していてつい微笑んでしまったが、海堂尊の小説は、人的な機微表現を少々逸脱したところが面白いのだから、原作を読まずにニュアンスにかける演技をけなしても仕方がないと独り言を言ってしまった。
そう、海堂の描く人物は文字の森の小説の中では理解可能でも、それを映像と演技で表現するのは難しいところが多い。
おなじみのグッチー田口の耳を覚醒させるための『マタイ受難曲』の件など、どうやったって演技をする側よりも「理解する観客」の側の才能のほうに問題が生じてしまう。
その点、文字情報しかない小説は読む能力がない人は最初からチャレンジしないのだし、わからなければ放棄してしまうわけだから、ある意味冷酷だしそれでこそ作者の工夫も楽しめるというものだ。
と、話が脱線してしまったが、海堂の繰り出すキャラクターたちはひねくれ物そろいでとても楽しい。
裏の裏は表ではなくあくまでも裏の裏、という本来の人間のありようを描いているから、某馬鹿みたいに売れるお手軽推理のような「サンプル帖から抜き出してきたような犯人」や「推理小説アーカイブに登録されている探偵」や「いまどき新聞記事にもならないほど陳腐で忘れ去られたような犯罪を誘発してしまう被害者」という眼腐れな人物はひとりも登場してこない。
これは常に二項対立でしかミステリーを書かない省力スタイルの作家たちに特有の現象なのだが、なにせ白鳥の駆使する被疑者特定システムで分析しようとするとそんなに薄っぺらい人物設定では、何も書くことがなくなってしまうからだ。
そこに少々のSFフレーバーを染み込ませ、医学情報を満載して「病院という密室」を舞台に話が展開していけば、そりゃあ面白くないはずもない。
と、ここまではかなりひねくれた解釈をしてしまったが、なにせ売れまくっている海堂の作品群であるがゆえに、「面白い!」「すごい!」なんて褒め言葉を連発したところで、それは本ブログの役目ではないのだから仕方ない。
多くの方が既に読まれているであろう本書だが、その気になったら意地の悪い2度読みしても楽しめるのだから、出番待ちの在庫本が尽きてきた方は、もう一度読まれてもよいだろう。