花腐し/松浦寿輝 | もん・りいぶる21(21世紀のレビュー三昧)

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2005年 講談社(講談社文庫)

第123回芥川賞受賞作。
だから読んだわけではないが、月刊誌の方の文藝春秋に掲載された受賞作を読んだはずが、書店で手にして全く読んだ記憶がなくて悔しくて改めて購入して読み直した次第。

どうやら地上げ屋噺がその当時のリアリティに照らして少し違和感があったからなのだろう。
今読み返すと、今の世の中のさまよえる様にこそお似合いの小説という気もする。

松浦寿輝の物語ぶりは、あたかも詩人が言葉遊びに飽きてストーリーてリングを愉しんでいるような浮遊感のある言葉遣いがとても印象に残る。
最初から小説を志したというよりも、たくさん読んで感じて多くの詩を書いてその挙句に浮かんでは消えるあぶくのような物語に三百六十度光を当ててみて、それを言葉で表しているという印象を受ける。

本書は基本は現物によるリアリティを求めない小説だ。
現物ではなく人間の脳裏に浮かぶ虚と実と肉体の存在と不在とがない交ぜになった状態での生態におけるリアリティで書き綴られているから、言い方を替えれば「脳にとってのリアリティ」だけを求めた小説なのだと思う。

その性能の高さは、文字からしか得られない、特に漢字かな混じりの日本語の機能を最大限活用しているからに他ならないのだろうが、何よりも言葉に対する愛情の深さを強く感じさせてくれる。
言葉に対する愛情があればこそ、物語そのものの内包する人間に共通する矛盾を突かれても、静々と従ってしまいページを繰ってしまうのだ。

芥川賞の対象作品は基本的に原稿用紙100枚から200枚の範囲。
その範囲に収まりきる物語の形をした散文詩の香り高さを、味わうには絶版になるまでの間しかない。
おそらくは2005年に初版で刷られて以来、重版されていない本書は、探して買うだけの価値を持っているだろう。誰にでも、とは言わないが、少なくとも最後までこのレビューをお読みいただけた方にとってはと述べて終わりにしたい。