「自他一如」の境地に達していたあるご夫婦(大雅・玉瀾夫婦)の物語が
「近世畸人伝」のなかで描かれているのを今朝学んだ。
「自他一如」と「無私」の世界の素晴らしさが胸に響いた。
ある時、大雅は呼ばれて大阪に絵を描きに出かけました。ところが肝腎
の絵筆を忘れて行ってしまったのです。
それに気付いた玉瀾は急いで夫の後を追いかけ、ようやくある寺の前で
大雅に手渡すことができました。ところが大雅は、
「これはどちらの方かは存じませんが、よくぞ私の絵筆を拾って下さいま
して、まことにありがとうございました。」
と、筆を押しいただき、急いで行ってしまいました。玉瀾もまた少しもこれ
を気にすることなく、そのまますたすたと家へ戻って来たということです。
今の自分だったら・・・・
なんで気付かんのん
君のためにしたのに
って相手を責めていたと。
結局、この物語が言いたかったこととは
ご夫婦が天然ってこと(冗談)
ではなくて
無私になって自他一如になってした事を
自分自身が誇ったり、相手に求めたりするのではなく
ただ純粋に、相手が上手くいくようにまたは相手の歩みに対して背中を
押してあげることを自然とできる人となることなんだと気付いた。
こんな人生
体現してやる。
幸せ・仕合せとはこんな処にあるのかも
自分にはまだまだ遠い道のり