倉本聰、原作の映画化。何か読んだ気がするのだけど、この映画の根底にある贋作。この物語を書いたのは、数十年前にあった加藤唐九郎の永仁の壺事件が引っかかっているような事を書いていた。
正直言って、この映画は難解。仮に作品の上に作品を描く事。記憶の中の美は、深く考えて行けば理解できるかと思うが、若い女の子の最中に刺青を入れると言う事がこの物語との結びつきがよくわからない。何もない美しい背中。そこには、何も必要としない美しさがあると言う事なのか。
永仁の壺事件が元になっているとしても、この映画はこの事件の意味合いは全く違うと思いながら見ていた。変に予備知識を入れたせいで混乱してしまった気がする。
この映画を見て誰もが感じると思うが、ワンシーンワンシーンをとても丁寧に撮影している。そして、このワンシーンを撮るのにものすごく時間をかけているのもわかる。その分、映像に重厚感が生まれる。
倉本聰が好きな役者を集めて撮影しているのもよくわかる。ただ、中井貴一が嫌いな訳ではないんだけど、多分、ダークナイトのマイケルケインのような立ち位置だったのだろうけど、ちょっと物足りない気がした。けど、日本にはそんな役者もいないかなと思ったりした。
倉本聰がまだ生きて間に、フジテレビの再生も兼ねて北の国からを映像にしてほしい。今の時代だからこそ、倉本聰の人間とは?を考えさせてほしい。
もう、石原慎太郎も伊集院静もいない。深く深く人間を書ける作家がもう倉本聰くらいしかいないのではないかと思う。