駄目人間のブログ

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申し訳ございません。無駄なことばかり書いて無駄に容量を使わせてもらってます。ネットの害です。

 

先日、片付けをしに実家に行った時、小学生の頃から通っている床屋の前を通ったら、営業日なのにやっていなかった。調子悪くて、検査しないとならないんだよねと言っていたので、検査入院かなと思っていた。それから1週間くらいたって、そろそろ髪を切りに行ってみたら、何故か電気がついていない。お店のドアに、手書きで突然ですが閉店しますと書かれていた。

先月行ったとき、普段通りでまた来ますねーと言うと、またよろしくねーと言っていた。

1ヶ月前、そんな具合悪い感じしなかったんだけどな。もし閉店するなら、その時言ってたと思うし。


何十年もお世話になって、お礼すら言えなかった。悲しい。人との別れ程辛い事はない。



いま、司馬遼太郎の「世に棲む日々」を読んでいる。この本、のめり込むような小説ではないが、司馬遼太郎の小説の中で、ものすごい言い回しでハッとするような文章が何箇所か出てくる。他の本でもあるのだけど、例えば「高杉は、自分像というものをほとんど芸術的なばかりの見事さで…」なんか凄い文章だと思う。この本の1巻目にも、ものすごい文章がある。ある人が初めて松蔭にあった時の松蔭の印象を亡くなったあと、この時の印象を語っていたようなことを書いてあるだけなんだけど、この一節は号泣した。読んでいると、この情景がとめどなく溢れてきて、その気持ちが苦しくなるほどわかる気がした。

わたし、今の時代の人より少しだけ本を読んでいると思うが、川端康成の文章も凡人には思いつかないくらい文を書く人だと思った。ただ、川端康成は異次元の凄さ。

司馬遼太郎が、直木賞ではなく芥川賞に選ばれるろうな小説を書いていたらと思う。

瀬戸内寂聴という作家。父は、瀬戸内寂聴が若い頃に子供を捨てたことや不倫していた彼女の生き方が好きではないと言っていた。父が残した1万5千冊の蔵書の中に寂聴の本は1冊もなかった。私は、寂聴の若い頃を不倫や子供を捨てたことなどは、寂聴が世間で認められてから知ったので、過去の行いを切ってみることができる。父は、彼女と世代がそう変わらないし、父の友人や知り合いに作家の方もいたので、彼女の生き方が好きではないと思ったのかと思う。

ただ、今日の番組を見ていて思ったけど、まだ自分には彼女の作品を読む時期ではないかと感じる。作家としての寂聴より人間としての寂聴はものすごく魅力がある。人のために泣いて、人のために笑い、人のために怒る。

父は最後まで私を見捨てることはなかった。私だけではなく、ほんとう友人を大切にしてて、最後まで面倒をみていた。その中で何名かは、亡くなってお墓に入るまで面倒をみていた。なぜ寂聴を嫌っていたのか、このあたりなのかなと思ったりしながら番組を見ていた。