明治から昭和にかけて

歌い継がれてきた

「唱歌」が見直されています。

中には「故郷」のように、

今でも広く愛唱されている

名曲があります。

歌詞には、

四季折々の日本の美しい

自然が詠われています。

『故郷』や

『春の小川』

『朧月夜』

『紅葉』は、

唱歌界の黄金コンビと呼ばれた、

高野辰之氏と

岡野貞一氏が作詞・作曲しました。

高野氏は長野県豊田村(現・中野市)の出身で、

『故郷』や『朧月夜』は

故郷の景色を詠ったとされています。

『春の小川』は東京の代々木公園に

流れる小川を歩きながら想を得、

『紅葉』は今はもうない

信越本線・熊ノ平駅付近からの風景を

詠んだといわれています。

熊ノ平駅は、横川と軽井沢の間に

あった山間の駅です。

急勾配の線路をゆっくり

走る機関車から眺めたであろう、


色鮮やかな紅葉が歌詞に詠われています。

唱歌に詠われている

美しい日本の風景は、

少しずつ失われつつあります。

しかし、唱歌を歌い継ぐことによって、

その美しさは永遠に残るでしょう。

私たちには、

日本の国土の美しさや、

日本人の心の美しさを

伝える使命があるのです。
江戸時代後期の

農政家・二宮尊徳は、

徹底した実践家として

「陰徳・積善・節倹」を

励行した人物として知られています。

『二宮翁夜話』に

以下の名言が遺されています。

「大事をなさんと欲せば、

小事を怠らず勤むべし。

小積りて大となればなり」

がその句です。

「大きな事をしようとするなら、

小さな事も軽く考えずに

真面目に取り組まなければならない。

小さな事が積み重なって

大きなものとなる」という意味です。

私たちの生活や仕事に当てはめると、

「塵も積もれば山となる」

ということわざがあるように、

日々仕事に励み、

少しずつでも蓄積をしていけば、

やがては生活できる

財を得られるということでしょう。

学問も仕事も日々、

コツコツと積み上げて努力をしていけば、

いつかは成功の栄冠に輝き、

一定の分野で頭角を現わすものです。

仕事は「はったり」や

「駆け引き」だけでは成功できません。

日々の職務における

堅実な努力の蓄積が信頼となり、

発展への大きな原動力となるのです。

$鬼瓦権蔵の心の叫び 言葉遊び 道徳


リアル・スティール


暗く沈んで、

ひねた子供が登場するのかと思ったら、

口の達者なこましゃくれたガキで、

大人を前にしても物怖じしない。

これが、

一攫千金を夢見る父親と、

堅実で計画的な息子の対比で笑わせる。

近い将来ありそうだが、

ロボットによる

ボクシングというアイデアがいい。

これを、

誰もが「ロッキー」のロボット版と

想像してしまうのがもったいない。

前半と後半とで試合の見せ方を

微妙に変えていくところに注目だ。

最初はロボットが

戦いのための道具でしかない。

息子のマックスとアトムの

コンビになってからは、

ロボットとコントロールする

人間が一体化していく。

さらに巧いのは、

いかにも旧型といった風体の

“アトム”が得意とするのが、

目の前の人間の動作を真似るという設定だ。

ロボットに人間味が加わり感情移入しやすくなる。

その逆のことを、

無敵のチャンピオン・ロボット

“ゼウス”に設定している。

最新型でいくら強いといっても、

それだけではこの

ロボットに敵意は感じない。

そこに、

カネに物言わせるオーナーと

非情な設計者を組み合わせることによって、

“ゼウス”を悪役に仕立て上げた。

試合も、

動物園の見世物試合から、

前座、

そしてビッグなメインイベントへと

スタイルが変わり、

試合の連続でも飽きない。

とくに大きな会場では、

会場に設置された大型モニターの

映像が効果的に使われ臨場感を増している。

リング外のゴタゴタも忘れていない。

因縁の元チャンプ・リッキーとの

金銭的トラブル、

チャーリーと師の娘・ベイリーの関係、

そしてマックスの親権問題を絡め、

ドラマに幅をもたせる。

しかも、

それらの結末をごちゃごちゃと

描かないところがいい。

言わずもがなのことをバッサリ切れる

ショーン・レヴィ監督は、

さすがにスピルバーグや

ロバート・ゼメキスに見込まれただけのことはある。

監督が日本贔屓なのか、

“アトム”という名といい、

ボディに「超悪男子」と

ペイントされたロボットが日本語に反応する。

しかも腕には“贖罪”

などの過激な文字が点灯して笑わせる。

以前は、

スピルバーグが関わって子供が

出る作品は幼稚なものが多かったが、

最近は大人が楽しめる

作品が目立ってきた。

$鬼瓦権蔵の心の叫び 言葉遊び 道徳


源氏物語 

千年の謎


思った以上の出来。

キャスティングが役にぴったり

ハマっていることが大きい。

話が進めば進むほど

“光源氏の空想の世界”と

“紫式部の現実の世界”の

判別に惑わされてしまう構成もいい。

豪華な十二単や

平安神宮の朱が鮮やかで、

セットとCGの融合も綺麗だ。

しかも邦画で、

登場人物が多い古典を素材にした

割には説明っぽさがない。

いちいち人名などの字幕が入らないのもいい。

源氏を演じる生田斗真は見た目といい

動きといい申し分ない。

真木よう子や田中麗奈といった

女優陣も適材適所の演技で文句なし。

それでもこの映画、

情熱を内に閉じ込めた中谷美紀と、

冷ややかな策謀家と化す

東山紀之によって、

式部の情念が物語のなかに根を

這っていく様がひしひしと語られ、

このふたりが物語の芯を押さえて離さない。

つまり、

この作品の真の主人公は

中谷美紀・紫式部と

東山紀之・菅原道長といえる。

そして真のラストは、

式部が道長邸を訪ね、

旅立ちの別れをするシーンだ。

現に、

音楽もあの場面を高らかに飾っている。

あの後のフィルムは不要だ。

ひょっとして、

監督自身、

そう思っているのではないか? 

数多な制約の中で、

式部と道長の別れのシーンに意地を

見せたような気がしてならない。

エンドクレジットの生田斗真は

見栄えしている。
 

$鬼瓦権蔵の心の叫び 言葉遊び 道徳


RAILWAYS

愛を伝えられない

大人たちへ


運転士ひとすじで生きてきた

男の不器用で頑なな姿を三浦友和が後援。

60を間近にして妻に出ていかれた

夫の焦りと憤りに、

同情しながらも意地悪く笑ってしまう。

余貴美子もいいが、

ここはどうしても男目線で観てしまう。

おそらく、

女性は余貴美子に感情移入して

観てしまうのではないだろうか。

「“おっ”じゃなく“ペッ”」の

台詞にニンマリしていたに違いない。

定年を機に残された人生を

どう過ごしていくのか、

同じ年代として心に残るのは

米倉斉加年が発する言葉

「これからの20年は長いぞ-」だ。

実感のある言葉から、

人生の3/4ほどを終わってしまう身として、

勇気をもらったような気がする。

まだまだ終着点を考える時ではない。

まだまだ何かに挑戦できる。

それに見合うだけの時間が残っている。

この作品が伝えたかったのは、そこにある。

長い冬が終われば、

温かい日差しの春がやってくる。

終着駅も、

新たな旅の始発駅になる。

鉄道会社の全面協力で、

臨場感のある運転室の様子や、

電車が走る様々なロケーションが、

新たな人生の岐路に立つ夫婦のドラマを

活き活きとしたものにした。

監督の蔵方政俊、

これが初監督だが、

作品から人間味のある優しさが伝わってくる。

また、この映画はひとつの警告を発している。

本気で別れる気がないのなら、

安易に離婚届の用紙など置いて

家を出たりしないことだ。

皆が皆、

この二人のように第二の人生を

踏み出せるとは限らない。

あることがきっかけで、

妻の仕事ぶりを見ることになる徹。

その仕事に打ち込む真摯な姿に、

雨の中、

同じ職業人として佐和子に敬意を

表した徹の仕草にグッとくる。

いよいよ、

徹の大きな決断によってドラマはラストを迎える。

p.s. シリーズ1作目

「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」

を見てみたくなった。