今こうして振り返ってみると六年って長いですね。
義母のすごいところは愚痴ぽくないところです。
なので彼女が住んでいる間は彼女に対する愚痴を言って来たことがなかったので、いて欲しい時にいなくなることや、ちょっとした送り迎えなどしてくれないことに対して奉仕の精神よりギブ&テイクの関係を重視する私だけが負の感情を持っていて、義母はなんとも思っていないのかと思っていました。
これらのことは彼女が出て行ってから義母から聞いたのですが、そもそもなぜ彼女が自分の両親の家ではなく義母の家に住んでいたかというと、彼女のご両親は共にかなりの高齢。
彼女のお父さんは年齢のわりには元気なのですが、お母さんには多少の介護が必要なことから両親の家には戻りたくなかったのではないかと。
もちろん本人から直接聞いたわけではないので憶測なのですが、近隣に高齢の両親が二人暮らししていて、住むところがないにも関わらず、なおかつ関係は悪くなさそうなのでただ単に24時間、介護人にはなりたくなかったのではと私たちは推測しています。
それと彼女はずっと無職だったのですが、いくらアメリカが不景気だったとは言え、2013年頃からは少しずつ雇用も回復し、私たちの周りでリストラされた人たちも徐々に仕事が見つかっていたので、これも不思議だったのですが、どうやら彼女は不定期に一人暮らしの高齢の婦人のちょっとした雑用を頼まれることがあり、この婦人が彼女に一時間$50払っていたようで、彼女は正規の仕事を見つけることによってこの仕事を失いたくなく、正規の仕事探しに積極的でなかったようです。
時給$50貰えればお年寄りの世話も嬉々としてやるのに、家賃分くらい義母のため動けなかったんでしょうかね~
この辺りはアパートでも千ドル近くはするらしいのですが、、、
結局彼女は畑の水やりをやることを拒否したことにより、義母の家を出ることになったのですが、クリスマスにカードを送ってくるでもなくその後、音信不通になりました。
せめてもの救いは彼女が最低限の常識を持っていたこと。アメリカでは同居人から物を盗まれただの、パーティー三昧で近所に迷惑かけただのという話も聞かないではないので、そういうことがなかっただけでも良しとしています。
そんな義母ですが昨年念願だったトリプルクラウン(メキシコ国境からカナダ国境まで南北に縦断する三本のトレイル)を達成し七十七歳にしてまだまだ元気です。(何か月も歩き通して達成する人もいますが義母はリタイア後始めて数年かけて達成させました。)
というか元気過ぎて、いつか最年長ハイカーとしてアウトドア雑誌の表紙を飾る日が来るのではないかと思われるくらいです。
愚痴愚痴言わず、自分のことで毎日忙しい彼女、私もこういうところは見習わないといけないなと思います。
でも近くにいるとパワーを吸い取られているような気もします。
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