名門・尼子家の重臣として、戦国時代前半を駆けた山中鹿之助。
知勇に優れた武将で、当時ではかなりの剣豪でもあった。
実際にかなり有名な武将と一騎打ちを数々やっており、全てに勝利している。
滅亡した尼子家再興に尽力をつくし、毛利家との戦いに生涯をかける。
負ければ潔く死を選ぶことが当たり前だった戦国時代において、山中鹿之助は、毛利家に囚われても、監視の目をかいくぐり、トイレから糞まみれになりながら脱出を図ったりするなど、決して最後まであきらめない、ある意味「戦国一の悪あがき武将」である。
一時は悲願である尼子家再興を果たすが、結局は毛利家によって滅ぼされる。。。。
最期もやはり自害はせず降伏したが、山中鹿之助にさんざん苦汁を飲まされ続けてきた吉川元春に殺される。
「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」
最期の最期まで尼子家再興を決してあきらめなっかた山中鹿之助が、三日月に祈ったとされる有名な言葉。
江戸時代や明治時代では、武士の鑑として、忠義の士・悲運の武将として描かれる。
息子・新六とは
山中鹿之助の息子は、父親の死後、武士をやめ、伊丹で商人の丁稚奉公をする。当時は商人の身分がかなり低かったので、かなりあり得ないくらいアンビリーバルな事である。
しかし、これだけでは終わらない。。。。。。。
製法の失敗から清酒を作り出す事に成功・・・・・それをきっかけに一気に豪商への道へ!!!
なんと「鴻池財閥」の創始者となる。
鴻池財閥・・・・・江戸時代最大の豪商であった。当時の日本の富の半分以上は鴻池が握っているとさえ言われていた。
明治時代の廃藩置県(各地の藩に貸金をしていたのを踏み倒された)や戦後の財閥解体などで勢いはなくなってゆく。。。。三和銀行は鴻池財閥がつくった銀行であった。
戦国時代の超有名な武将の息子が、江戸時代のNo1豪商となる。
ホンマにビックリさせられる話しである。
これだから歴史は面白い!!