数学を学ぶ意味・その2 | Petitぷてぃ小平編集室のブログ | 小平市のミニコミ誌, タウン情報, ポスティング

Petitぷてぃ小平編集室のブログ | 小平市のミニコミ誌, タウン情報, ポスティング

毎日どなたかに会いわくわくしながら取材をしています。

Petitぷてぃが
どのように出来上がるのかお知らせいたします。

ハイ!Petitの福善です。


本日も昨日と同様

昔年の数学話。


いや~ほんとビックリマーク

足し算・引き算・九九が出来れば

後はコミュニケーション能力があれば

何とかなるんじゃないかはてなマーク

と考えだした16歳女子の私にとって、

高校生活の数学の授業ほど苦しい時間はありませんでした。


さて、・・・昨日の続き。


勝手放題、好き放題、嫌な教科書は開けることもせず、

楽しく、おかしく高校生活は続き、

良い友人にも恵まれました。


ですが、やってきたのは二学年から三学年に生徒を進級させる

学年会議


その有様は大変だったらしい。


何しろ、例の数学教師が、絶対に私を落第させると言い張り

その頃の、私の担任に物をも言わせず

担任は泣きだしたらしい。


成績は赤点が並び、喘息持ちで欠席日数も多かった私。


そう、二年生の担任は津田塾を出たばかりの、お譲様。

かばう手段は見つからず、どうにもならなかったと思いますよ。


その時、登場、学年主任のグラマー担当・斎藤先生


「川島は(私の旧姓)悪い奴ではない。私のクラスに

某国立女子大学に必ず受かる女性が3人いる。

だが、自分が若く、その3人と川島と離れ小島に流され

誰を伴侶にするかとなったら、川島を選ぶと思う。

私が頭を下げるので、無傷で高校を卒業させてやってくれ」


と、頭を下げてくださったらしく、私は卒業出来たのです。

さすが、ヒステリックなH先生も学年主任には勝てず

一件落着、と言いますか、私の首はつながりました。


グラマーの斎藤先生、ご存命でしょうかはてなマーク

本当にありがとうございます。


なんで、生徒の私がこの一部始終を知っているのか、

それは、

社会科と家庭科は実に大好きな科目でした。

こんな私にも得手はあるものでして、


尚且つ、各教科担任の先生とも大変な仲良しでした。


社会科の谷田部先生からは、

「将来は新聞記者になったらいいよ」と言われ

家庭科の小川先生には、

「私の代わりに授業をして」と頼まれ、

実際に生徒でありながら、助手をしました。


そんなこんなで、

いつも職員室情報は流れてきたのです。


先日も高校有志女子会があり

H先生の話になりました。


あの後、H先生は他の高校に移られ、一人生徒を落第させたらしい。

年老いた彼曰く

「生徒一人落第させた事が今では私の唯一の心の傷だ」

とおっしゃっていたとのこと。


想像していたように、

家族も持たず、お一人で、病に倒れ療養されたらしく。。。


先生、ごめんなさいね。

私は、人生を重ねる過程で気がつきました。


数学は正解を出すことが大切なことだけではなく、

その思考過程が、人生の岐路にたった時、

理論的に考えをまとめあげる訓練になったのですね。


私は、その思考訓練をサボり続けたために

たくさんの、時間をかけ実地体験をし、遠回りし今に至りました。


不作法で、生意気な私に心を砕き

何とか学習させようと、指導方法を考えてくださったのでしょうね。


それなのに、高校卒業後も、


またまた、バッタリ町の中でH先生とお会いしたとき、

『先生、学年会議で落第せずに卒業出来たので、いまでは

楽しい学科だけ学べる短大で、しっかり勉強しています』


と、憎まれ口をたたき、先生を赤面させたのは、

Petit編集長の私であります。


最後に、劣等性の私に

手取り、足とり、数学を教えてくれた級友の皆さん

本当にありがとう。


今もNHKの高校数学講座など見て、なんとかしたい!!

と真剣に、もがいている私がいます。


の命ある限り

Petit の発行を決意しメラメラ

ブログランキングに参加しております。

応援よろしく、お願いいたします。

  ↓

にほんブログ村 地域生活(街) 東京ブログ 小平情報へ

クリック宜しくお願いします。