おはようございます🌞
いきなりだけど、本日8月9日は、北戸田のイオンモールでこんなイベントがあるんだよね
ウエストランドの井口が来るじゃん
最近、我が家ではこの曲がブームだから…
アイドル鳥越ではないけど、ウエストランド井口本人を見てみたいかも
今一番ハグしたい人は?
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ハグの日(8月9日 記念日)
2007年(平成19年)に広島市の「ハグの会」が制定。
日付は「ハ(8)グ(9)」の語呂合わせから。人と人とのつながりを育むハグ(Hug=抱きしめる)。大切な人に大切であることを伝えるハグ。人を信じ、勇気を与えてくれるハグを多くの人に理解してもらおうと記念日とした。


野球の日(8月9日 記念日)
スポーツ用品メーカー・ミズノの直営店・エスポートミズノ(現:MIZUNO TOKYO)が制定。同店の公募で決定した「スポーツ記念日」の一つ。
日付は「や(8)きゅう(9)」(野球)と読む語呂合わせと、高校野球の期間中で野球に対する関心が高まる季節であることから。
野球のさらなる発展が目的。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
MIZUNO TOKYOは、東京都千代田区神田小川町にあるミズノのフラッグシップショップ(旗艦店)で、野球やゴルフ、陸上競技、フットボール、ラグビー、バレーボール、水泳、テニス、バドミントン、卓球、柔道、アウトドアなど数多くのジャンルの商品を取り揃える。
「野球(やきゅう)」は、英語のベースボール(baseball)を指すが、「野球」という言葉は、明治時代に日本で中馬庚(ちゅうまん かなえ、1870~1932年)が作った和製漢語で、「Ball in the field」という言葉をもとに「野球」とした。
中馬庚は、教育者・元野球選手で、テニスは庭でするので「庭球」、ベースボールは野原でするので「野球」と説明した。日本では「ショート」とも呼ばれる「遊撃手(ゆうげきしゅ)」の名称も中馬庚が最初に訳語を作ったとされる。
遊撃手は英語ではショート・ストップ(shortstop)と呼ばれる。日本においては明治時代の野球が伝わってまだ間もない頃に、俳人・歌人の正岡子規(まさおか しき、1867~1902年)が「short=短く、stop=遮る」の直訳である「短遮(たんしょ)」、もしくは「短遮者」との訳語をあてた。
その後、中馬庚が「ショート・ストップは戦列で時期を見て待機し、動き回ってあちこちを固める『遊軍』のようだ」と説き、「遊撃手」という名称が広まった。
ムーミンの日(8月9日 記念日)
フィンランドの作家トーベ・ヤンソン(Tove Jansson、1914~2001年)作の「ムーミン」を記念する日。
日付は「ム(6)ーミ(3)ン」と読む語呂合わせから6月3日が「ムーミンの日」とされてきたが、ムーミン誕生60周年となる2005年(平成17年)、「全世界で通用する記念日を」ということで、トーベ・ヤンソンの誕生日である8月9日に改められた。この日には様々な催しが開催される。
一般社団法人・日本記念日協会のWebサイトによると、「ムーミンの日」は、東京都品川区上大崎に本社を置き、日本国内における「ムーミン」のライセンス管理などを行う株式会社ライツ・アンド・ブランズが制定、と記載されている。記念日を通して「ムーミン」の魅力をさらに多くの人へ伝えるとともに、親しみを持って応援してもらうのが目的。記念日は2022年(令和4年)に同協会により認定・登録された。
ムーミンの原型となるキャラクターは小説執筆以前にもたびたび描かれていた。小説として初めて登場するのは1945年(昭和20年)にスウェーデン語で著された『小さなトロールと大きな洪水』で、その後ムーミン・シリーズとして知られる計9作品に登場するようになる。
ムーミン谷で暮らす主人公のムーミントロールをはじめ、ムーミンパパやムーミンママ、スナフキン、リトルミイ、スニフなどの仲間がいる。「ムーミン」は英語では「Moomin」、スウェーデン語では「Mumin」、フィンランド語では「Muumi」となる。埼玉県飯能市にある「あけぼの子どもの森公園」は、ムーミン谷をモチーフにしており、「ムーミン屋敷」やムーミンに関する資料館「森の家」などがある。
ハンバーグの日(8月9日 記念日)
香川県三豊市に本社を置き、各種の冷凍食品の製造・販売を手がけ、全国の量販店・コンビニ・外食産業などに流通させている株式会社「味のちぬや」が制定。
日付は「ハ(8)ンバーグ(9)」と読む語呂合わせから。子どもから大人まで幅広く愛されているハンバーグを、夏休みの期間中でもあるこの日に、さらに食べてもらいたいとの願いが込められている。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

ながさき平和の日(長崎原爆忌)(8月9日 記念日)
1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、アメリカ軍のB29爆撃機ボックス・カーが原子爆弾ファットマンを投下し、長崎市松山町の500メートル上空で爆発した。
広島に次いで史上2番目の原子爆弾で、当時の長崎市の推定人口24万人のうち約7万4千人の市民が死亡した。また、建物は約36%が全焼または全半壊した。2020年(令和2年)8月9日時点で、長崎で被爆して亡くなった人たちを記した原爆死没者名簿の登載者数は18万5982人となっている。
原爆投下から50年を迎えた1995年(平成7年)に、長崎市ではこの日8月9日を「ながさき平和の日」に制定したという情報もあるが、一般的にこの日は「長崎原爆の日」と呼ばれることが多い。
また、この日8月9日には長崎市松山町にある平和公園において「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」(長崎平和祈念式典)が行われ、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けている。
平和祈念式典では、原爆が投下された午前11時2分に長崎の鐘やサイレンを鳴らし、原爆死没者の冥福と恒久平和の実現を祈り、1分間の黙祷が捧げられる。その後、長崎市長による平和宣言、平和への誓いが行われるのが通例である。
平和公園には、平和祈念像や平和の鐘、平和の泉、折鶴の塔、原爆落下中心碑、長崎原爆資料館、平和を象徴するモニュメントなどが配置されている。平和祈念像は、被爆10周年の記念行事の一環として建設され、1955年(昭和30年)に完成した。平和公園内の願いのゾーンに位置する。
長崎県南高来郡旧南有馬町(現:南島原市)生まれの彫刻家・北村西望(きたむら せいぼう、1884~1987年)の制作で、像は高さ9.7メートル、台座の高さ3.9メートル、重さ約30トン。
像のモデルは徳島県脇町出身で柔道・レスリングなどの指導者であり、陸軍大尉として従軍経験のある吉田廣一(よしだ ひろいち、1918~1967年)である。何事も1番でなければ気が済まないという性格から「先頭」を意味する「せんとうはん」の愛称がある。













