カトリック梅村司教って?
清水女次郎長の想い写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ【清水女次郎長の想い】blog.goo.ne.jp以前もアップしましたが、まだ、解決されてないようです。美しく歴史あるカトリック清水教会の聖堂が、取り壊しの危機です。信徒だけてなく、大勢の市民、県知事、市長も残して欲しいと言っているのに、従順を履き違えてるのか、司教に取り入りたいのか、司祭、役員は意見を聞こうともしない。新しい聖堂を建てたければ、それはそれで建てれば良く歴史ある聖堂は、どこかに移築すれば良いだけです。なのに、権力を武器に?取り壊そうとしている。山口のサビエル聖堂は、火事で焼失しましたが、元の美しい聖堂が復元されるか、それに似せたものが建てられると思っていたのに、わたし的にはとても、残念な聖堂になってしまったと思っています。建て替えるなら、復元して欲しい。他のカトリック信徒さん達、司教は、治外法権なのか、誰も意見を言えないのでしょうか。それって、カトリック司祭による性的虐待が公にならなかった体質に似てませんか?文化的にも価値があるのに、なぜ取り壊すのか。わたしは、カトリックではないけれど、取り壊しに躍起になる、本当の理由を聞きたい。以下は、以前の清水女郎長さんの記事の一部です。>初めから「取り壊しありき」の司教のやり方は、聖堂を残したい信徒だけではなく、県知事・市長(昨年末、聖堂を改めて見に来て「残してほしい」と言った)「残してほしいと署名した8,000人近い静岡市民」もあきれ返っている 司教に権力で押し潰され、委縮してしまった信徒もいるが「残したい信徒」はまだ多いので、聖堂を残すための方法を考えている。 初めから「聖堂は取り壊しありき」の司教方針で、上にしか目がついていない「ヒラメのような神父」を清水教会に派遣し、信徒の話し合いなど、途中でも強引にやめさせ、司教のイエスマンだけの「建設司教諮問員会」をつくり、話し合いをさせなかったことを「信徒が結論を出せなかったから」と「補完性の原理原則で、建設司教諮問委員会だけが、この聖堂問題を決定する」と…、いかにも信徒がダメで決められなかったように装い、倫理的に問題のあることを平然とやっている。 司教権力で押し潰され、委縮してしまった信徒もいるが「残したい信徒」はまだ多いので、聖堂を残すための方法をいま考えている。諦めたりはしない。請うご期待!!主よ、憐れみたまえ‼️