以前もアップしましたが、まだ、解決されてない

ようです。

 

美しく歴史あるカトリック清水教会の聖堂が、

取り壊しの危機です。

信徒だけてなく、大勢の市民、県知事、市長も残して欲しい

と言っているのに、従順を履き違えてるのか、

司教に取り入りたいのか、司祭、役員は

意見を聞こうともしない。

 

 

新しい聖堂を建てたければ、それはそれで建てれば良く

歴史ある聖堂は、どこかに移築すれば良いだけです。

なのに、権力を武器に?取り壊そうとしている。

 

山口のサビエル聖堂は、火事で焼失しましたが、

元の美しい聖堂が復元されるか、それに似せたものが

建てられると思っていたのに、わたし的にはとても、

残念な聖堂になってしまったと思っています。

建て替えるなら、復元して欲しい。

 

他のカトリック信徒さん達、司教は、治外法権

なのか、誰も意見を言えないのでしょうか。

それって、カトリック司祭による性的虐待が

公にならなかった体質に似てませんか?

 

文化的にも価値があるのに、なぜ取り壊すのか。

わたしは、カトリックではないけれど、

取り壊しに躍起になる、本当の理由を聞きたい。

 

 

以下は、以前の清水女郎長さんの記事の一部です。

 

>初めから「取り壊しありき」の司教のやり方は、聖堂を残したい信徒だけではなく、県知事・市長(昨年末、聖堂を改めて見に来て「残してほしい」と言った)「残してほしいと署名した8,000人近い静岡市民」もあきれ返っている 司教に権力で押し潰され、委縮してしまった信徒もいるが「残したい信徒」はまだ多いので、聖堂を残すための方法を考えている。 初めから「聖堂は取り壊しありき」の司教方針で、上にしか目がついていない「ヒラメのような神父」を清水教会に派遣し、信徒の話し合いなど、途中でも強引にやめさせ、司教のイエスマンだけの「建設司教諮問員会」をつくり、話し合いをさせなかったことを「信徒が結論を出せなかったから」と「補完性の原理原則で、建設司教諮問委員会だけが、この聖堂問題を決定する」と…、いかにも信徒がダメで決められなかったように装い、倫理的に問題のあることを平然とやっている。 司教権力で押し潰され、委縮してしまった信徒もいるが「残したい信徒」はまだ多いので、聖堂を残すための方法をいま考えている。諦めたりはしない。請うご期待!!

 

 

主よ、憐れみたまえ‼️