献金の行方
先日、召天者記念礼拝の御案内の葉書が届きました。元単立の教会からです。去年の11月のブログに、怒った様子を書きました。なので、今年は行きませんでした。献金を喜んで捧げる気持ちになれなかったからです。あくまでも、これは礼拝の姿勢に対する不満があったからです。これから書く事は、その教会の牧師ではありませんので、誤解のないように。わたしたちは、献金については厳しいです。母教会は開拓の教会で、牧師もきちんとしていたので、きっちり十分の1していました。何の疑いもなく。転勤で教会も転会し、もちろんそこでも、きっちりしていました。でも、教会以外の人から「教会の牧師って、給料全部自分のために使えるんだから、丸儲けよね。だって、家賃もタダ、水道光熱費もタダ、食べるだけだから。」って。ちょっと信じられませんでした。わたしたちは、開拓の教会の牧師がパンの耳をかじって暮らしていて、贅沢をしたのを見たことなくて、栄養が足りてないだろうと、いつだったか献金を、牧師のために使って下さいと、指定献金にしたら、断られました。献金は、神様のためのものだから、伝道のために使います。って。だから、牧師はみんな質素な生活をしていると、信じ込んでいました。それが、転会して実態を知りました。一部の日キの牧師はパチンコに行く、飲み屋にキープする、良い車に乗る、交換講壇で、互いに謝儀をもらう、子供は留学させる、伝道もしないので、教会員が減り、謝儀が少なくなると辞めて、他の教会にさっさと鞍替え。等々、それぞれに?のつく牧師が多いのには驚きました。謝儀が牧師の生活のためだけに使われているなんて。牧師にも生活がある。もちろんそうです。でも、キリスト者なら使い方を考えるべき。なので、わたし達は献金口座を作り、その中に礼拝献金を入れ、献金をしたい所に捧げています。おサエさんの大阪チャリティーマラソンもそこから、捧げました。とても、有意義で隣人愛を喜ばれる神様がきっと祝福して下さると信じています。教会に行かなくても、今はふたりだから大丈夫。ひとりになったら、どうなるかなぁ。主よ、憐れみたまえ‼️