サンチャゴで盗難じゃ
イースター島から再びサンチャゴへ戻った。
サンチャゴで一日ゆっくりした。
中に入り、ゆっくりすると落ち着く。
別にクリスチャンではないけど、あの空間は落ち着く。
憩いの場だ。
酒じゃ~~
ただし、気を緩めすぎると携帯パクられますよ。
色んな魚がいる。見てるだけでも楽しい。
しかもくそ美味い。口の中でめっちゃトロける。
サーモン食ったり、色々観光して最高の時間を過ごしてたのに、この後携帯を盗まれるのである。
夜12時の便だったので10時には空港に着くように移動した。
とうとう日本に帰る時がきたのだ。
イースター島と写真
ここは空港。奇妙な物を発見。
あれは乗客の預けた荷物じゃないか!!どうやって・・・?
どこかに向かう途中なのだろうか?
風の向かう先に僕も行ってみたい。
泊まったのはまだオープンしたての日本人宿「Hare Kapone」。
去年の12月29日にできたばかり。
ここを経営してる島在住5年目のキヨアキさん。
アットホームで最高です。
でも、食糧はサンチャゴで買いだめしてくるといい。
イースター島の物価高すぎだから。
歴史を感じる姿をしていた。
手前のモアイはすでにいなかった。
ここで激しい争いがあったんだ。
アフ・コテリク。
目があるモアイはマナ(霊力)を持つといわれている。
それで、モアイ合戦の時は、マナの力を潰すべく目を打ち壊したといわれている。
この島には馬がたくさん。かつては移動手段としてたくさん使われていたらしい。
雲花火と名付けよう。
職人技である。
実家に一個ほしいわ。
これぞモアイだ。
じゃあ、俺も♪
ここでは正座を組む習慣などないのです。
謎がここにも。
耳を澄ませば聞こえるんだ。
波や鳥の声が。それだけで心が洗われた。
そんな気がする。
昔の人たちの努力、見習わなければ。
トンガリキ。
15体のモアイが立ち並ぶ。
言葉が出ない感動ここにあり。
ラノ・カウ。
ハンガロア村に水を供給している貴重な火口湖のある火山。
サンキューっす。
ここではテント生活や。
足伸ばしたらギュウギュウになってしまう。
そんなレベルに小さい。
朝は日光の暑さで寝れないし。
ああ、なんかキャンプしたくなっちゃったなー。
間違わないように。
隠れてると思ってるのは地球からの視点で、太陽自体は隠れてるつもりはない。
「視点の違い」
そういうことって日常にもあるよね
どっちが強い光なんだろう?
なぜかな?終わりって考えるからそうなるのかな。
「楽しい夜の始まりだ」そう考えることにしよう。
海は寛大だから、いつも僕らの声を聞いてくれる。
色々あるんだね。
それが大事。
メッチャごちそうになった。ワイン飲まされまくり結構きてます。
イースター島ではタパティ」と言って、15日間くらい続くお祭りがある。
そこで踊る島のダンス練習中。
島の男になりたい。
体が無理か…。
勝手にそう名付けたんだけど、見事撮影成功。
イースター島、旅の最終地。
よかったな。
イースター島
イースター島。
自分の中では夢のまた夢の地であった。
教科書やテレビ、雑誌では何度も目にしたが、実際ここに訪れることができるなんて…。
歴史。
この島は海底火山噴火でできあがった。
4世紀~5世紀、インドシナ半島から押し出されたポリネシア人が最初にこの島に移民してきたのが始まりだ。
酋長を中心とする部族社会であったようだ。酋長の権力は絶対だった。
彼らは偉大なる祖先を崇拝していた。王や勇者達の霊を神格化し、部族の守り神として祀る習慣があった。
7世紀~8世紀にプラットホーム状に作られた石の祭壇(アフ)作りが始まり、遅くとも10世紀ころにはモアイも作られるようになった。加工し易い凝灰岩で作られたようだ。
最初は1人の酋長の下、1つの部族として結束していたが、代を重ねる毎に有力者が分家し、部族の数は増えて行った。島の到る所に、それぞれの部族の集落ができ祭壇が作られた。それで、モアイは集落を守るように立っているのである。
モアイ。
モアイにもさまざまある。作られた時期で容姿が違うのである。第一期のモアイは、人の姿に近いもので下半身も作られている。第二期のモアイは、下半身がなく細長い手を、お腹の辺りで組んでいる。第三期のモアイは、頭上に赤色凝灰石で作られた、プカオ(ラパヌイ語で髭あるいは髪飾り)と呼ばれる、飾りものが乗せてある。第四期のモアイは、全体的に長い顔、狭い額、長い鼻、くぼんだ眼窩、伸びた耳、尖った顎、一文字の口など、この頃に作られたモアイは、最もモアイらしさが強調されるようになった。
モアイ作りは10世紀~17世紀の約800年間は続いた。
平和だった生活もいきなり終わる。モアイ作り運ぶためには、本当に多くの木材が必要であった。大量伐採のため森が死んだ。森が死んだことで土が肥え、海へ流れ出てしまった。ついには土地が痩せこけた。そこに人口爆発が起こった。僅か数十年の間に、人口が4倍にも5倍にも膨れ上がり、やがて深刻な食糧不足に陥るようになり、頻繁に耕作地域や漁場を争っては、部族間に武力闘争が生じるようになった。
モアイは、目に霊力(マナ)が宿ると考えられていた為、相手の部族を攻撃する場合、守り神であるモアイをうつ伏せに倒し、目の部分を粉々に破壊した。その後、モアイ倒し戦争は50年ほど続いた。
1772年の復活祭の夜、オランダ海軍提督、ヤコブ・ロッゲフェーンが、南太平洋上に浮かぶ小さな島を発見した。
発見した日が「イースター(復活祭)」だったので、イースター島と呼ばれるようになった。
ヤコブがそこで目にしたのは、1000体を超えるモアイとその前で火を焚き地に頭を着けて、祈りを捧げる島人の姿だった。
1774年には、たくさんのモアイ像が壊され、島のモアイの半数ほどが、まだ直立していたという。そして山肌には作りかけのモアイ像。まるで作業を急に止めてしまったかのように放置されていた。
伝承では、1840年に最後のモアイが倒されたとされている。
18世紀~19世紀、住民らが奴隷
として連れ出されたり、外部から持ち込ばれた天然痘が、猛威を振るったりした結果、島の人口は更に激減し、先住民は絶滅寸前まで追い込まれた。1872年時の島民数は僅か111人であった。1888年にチリ領になり現在に至る。
これが俺のしってる歴史。












































