モンゴルだるま@モンゴル語通訳・エコツーリズム普及仕掛け人兼業遊牧民です。

2014年9月1日に、ずいぶん昔の記事に対してコメントをいただいたことに気づいたのが、ネット復帰したおとといだったのですが、お返事遅れてごめんなさい、という感じです。

記事のコメントにコメント返ししようかと思いましたが、モンゴル人との恋愛や結婚などでのお悩みをかかえて当ブログにたどり着いていただく方も多いようなので(検索ワードなどからの想像)、きっと一緒に考えてくれる人やコメントをいただけたりもするのかなぁと思い、久々の更新のきっかけ記事にさせていただきました。

長くなるから、何回かに分けて考えています。
その1:自分の本心を見つめ直す
その2:結婚した2人の将来・金銭感覚について想像してみましょう



コメントがついた記事はこちらです。(別ウィンドウで開けます)

いただいたコメントは以下のとおり。

1. 姉さんアドバイスを!
だいぶ以前のブログをみて 是非ともアドバイスをお願いします。 この夏モンゴル旅行で ガイドさキスされ お嫁さんになる? それですっかり 恋してしまいました。今年6月まで 日本にいた彼が 手紙を書きます。と言ってくれた言葉を信じて 一ヶ月半 なんのれんらくもない。モンゴル男性は その場限り なんですか? まぁ人それぞれ何でしょうけど  とにかく今は 愛しさと 切なさで 心が辛い毎日です  どうかアドバイスを お願いします


はちご 2014-09-01 18:07:34


質問をいただいたブログネタの記事やその1・その2の記事を読んでいただくと、モンゴル人男性(日本語ガイドや乗馬ガイドなど旅先で巡り合った男性)との結婚前提のおつきあいって大変だわ、ということは想像していただけるのではなかろうか?と思います。

でも、それでも「好き」「愛してる」どんなことがあっても、「この恋愛、貫いて結婚したい」とほんとに望むならば、それはもう「貫いちゃえ」っていうしかないんじゃないでしょうか?


日本人同士でも恋愛相談・結婚/離婚相談というのは、いろんな質問サイトで人気のコーナーであることを考えると、他人同士がひとつの家庭を築き、愛し合い続けることはとても難しく、奇跡みたいなご縁なんだろうな、って思います。

そういう「ご縁」がモンゴルの人と結ばれてしまっていたとしたら、それもまた運命だと思うし。
運命なのかカルマなのかわからないけれど。
あるいは運命の思い込みなのかもしれないけれど。


うまくいくか、いかないか?の前例での比率とかを参考に「自分の恋愛を推し量る」というのは、不安や期待や、絶望的に「あきらめよう」という複雑な乙女心ゆえだと思います。

結婚できれば、それで「成就」とはいかないのが、男女の仲であり、難しいのが国際結婚です。
籍を入れるのもめんどくさいけれど、モンゴル国内で婚姻関係を登録するのもかなりめんどくさいです。

生まれてきた子供をどこで育てるのか?ということや、その子供のアイデンティティをどう築き上げていくのか?とか、2人だけの生活ではなく、新しくできるであろう家族のことや、彼や自分の親兄弟との関係なども考えなければいけない。

結婚というのはつくづく、「社会的」関係なんだなぁ。

ツアーで巡り合い、恋におち、愛をはぐくみ、結婚したカップルの数は、たぶん200組以上あると思います。

ガイドさんが日本語ができる、ということから、生活拠点を日本に移す場合も多いですが、モンゴルに嫁ぐ、という選択もあります。
ツアーで来る⇒モンゴルが好き⇒モンゴル人が好きな日本人女性がモンゴルで暮らす・・・生活コスト的には、日本人女性がこれまで稼ぎ、築き上げてきた預貯金・資産を元手に2人でビジネスなり生活の基盤をつくる、奥様の実家からの援助やお祝い金などで資金調達をする、などともかくも2人で暮らすための当座の経済基盤は作れると思うんですよ。

でも、問題は、モンゴルという国は「旅行で来るには楽しく素晴らしい国だけれど、仕事や生活のために暮らすには、外国人にとってかなりストレスがたまる国」である、ということです。

このギャップにどう対応していくか?ということ。

言葉の面でも「モンゴル語と日本語は文法が似ている」とはいえ、やはり習得するにはそれなりの時間や学習環境が必要ですし、本人の情熱や努力も不可欠です。

慣れない生活環境のなかでどれだけ、この情熱や努力や時間を投資できるのか?

言葉だけでなく、生活への適応とかは壮絶に大変です。
私は大学でモンゴル語やモンゴル文化・歴史・政治経済などの事情についてを専門的に学び、留学し、通訳として、コーディネーターとして仕事の基盤をモンゴルとし、いわば、人生の大部分をモンゴルにかけていますがそんな私でも、四半世紀弱たった今でさえ、日々、モンゴル人やモンゴルの制度に対して、「人としてどうよ」と腹をたて、外国人差別に悔しい想いをしたり、不安な想いを抱えたりしながら暮らしています。

愛する彼がどれだけ日本人女性に愛を注いで守ってくれたとしても、四六時中一緒にいては、生活が成り立たなくなってしまう・・・ということを考えると、なんとしても腹をくくって適応していくしかない。

でも20年前に比べると、今は圧倒的に、モンゴル人と日本人の国際結婚カップルは増えていますし、子宝に恵まれて幸せに暮らしている方々も大勢モンゴルで暮らしていらっしゃいます。

不安なときに愚痴をこぼしあったり、相談したりできる「同じような立場のモンゴル人の妻」もいます。

一人ぼっちにはならないでなんとかがんばろうって思える環境は20年前に比べれば、ずいぶん整ってきています。


大事なことは「自分自身の気持ち」「相手にどれだけ自分を賭けられるか」「嫁となる覚悟」で、これはモンゴル人のみならず、だれがお相手だったとしても同じことじゃないでしょうか?

どれだけ辛い思いをしても、どれだけ悔しい想いをしても、どれだけ不安を抱え、傷ついたとしても、それでも、「この思い、本物」って自分が信じられるならば、とにかく「愛は貫いたもの勝ち」だと思います。

結婚がゴールじゃないかもしれない。
恋が泡沫の恋になってしまうのかもしれない。
彼が誠実な人じゃなかったのかもしれない。

だからといって、彼と恋に落ちた自分が「人を見る目がなかった」とか「モンゴル人男性は不誠実だ」とか「もてあそばれた」とか卑下したり、「失敗した」とか思う必要はないと思うんです。

誰かに対して、夢中になって恋ができるって、ほんと奇跡的なことだと思うから。

辛い想いの根本に何があるのか?

何が不安なのか?

そういうことをひとつひとつ解きほぐし、掘り下げていけば、はちごさんの本当の気持ちを見つめることができると思います。

本当に結婚を誓い合うほどに燃え上がっていたのであれば、終わりもまた、きちんと締めくくった方がよいです。

金銭的なコストとか、これまで彼を愛してきた時間とか、連絡に使った電話代とか、不安や怒りや哀しみなんかで振り回されてしまった自分とか、、、

「失った」と思うものがどんだけ多くても、
「人を愛した」自分というフィーリングは素晴らしいものであり、うきうき幸せだった時間は本物です。

どんなに辛くてもね、人を愛するってそういうことなのかもしれない。
でも、できれば、ハッピーな気持ちで人を愛し、愛されたいですよね?

Kinki kidsも歌ってるじゃないですか!
「愛されるよりも、愛したい マジで」って。

でもどうせ人を愛するならば、そして、その愛を成就させたいんだったら、マイナー調のメロディでその恋愛を考えるよりも、超楽観的なメジャー調で考えましょうよ?

私、ブラジル音楽のサンバやショーロが大好きなんだけれど、かなり明るいリズムやメロディーでどんなに素敵な歌詞なんだろう?って思ったら「男が浮気してた」とか「女に捨てられた」とかなにそれ?そんな悲痛な失恋の不安を歌ってたの?とびっくりすることが多いのです。

純情だから、惚れっぽいから、失恋も激しく、どーんと落ち込み、派手にハートブレイクするんだけど、それでもちょっぴり明るく、ほろ苦い旋律で、心がうきうきしちゃうビートになっちゃう・・・

モンゴル人との恋のみならず、恋はサンバのリズムがいいんじゃないでしょうか?

自然消滅で「あんな男、こっちからお断りよ」って吹っ切るもよし。
彼の本心を確かめるまであきらめられない、って想いがあるなら、モンゴルに乗り込んで、直接彼を問い詰めるのもよし。
彼を信じ、自分の愛情をまっすぐにぶっつけるもよし。

でも、せっかくの恋愛なので、最後の最後まで、自分をごまかさず、どーんと楽しんじゃいましょうよね。

恋愛も結婚も一人じゃできません。
独りよがりでもできません。

そして、相手を信じられなくなったり、自分の愛がぐらつく自分が辛くて、あきらめちゃったら、そこで初めて失恋です。

失恋した自分、を受け止めてあげたら、わんわん泣いて、がんがん怒って、わーーーっと友達に愚痴をこぼして、相手の欠点をじゃんじゃんリストアップして、美味しいものいっぱい食べて、飲んで、ちょっと髪を切ったり、エステ行ったり自分を磨いて、そして、きれいさっぱり失恋を乗り越えちゃいましょう。

どんな恋でもしないよりは絶対まし、ですよ。
恋は両想いより片思いのほうが燃え上がるんだから、失恋パワーは絶対、明日の自分を磨く起爆剤になる強いものです。

いずれにせよ、はちごさんのご多幸をお祈りしています。