モンゴルだるまです。
12月2-4日の3日間、ウランバートルで開催されたモンゴル国際観光フェアは成功裏に終わったのではなかろうか、と思う今日この頃です。

少なくとも、私にとっては、日ごろ会えない地方の「特産品開発」とか「地元ツーリズム振興」に取り組んでいるツーリストキャンプとかツアーオペレーターのモンゴル人とじっくりおしゃべりできて楽しかったです。
さらに、今回は、中国内モンゴルからきていたフフホトとか中国にあるアジア観光開発コンサル会社の人とか、ロシア連邦ブリヤート共和国のバイカル湖観光振興協会の会長さんとかとのネットワークができたのは大きな成果です。

これまで、私、フフホトとかバイカル湖って、モンゴルでのツーリズム振興のライバルって思ってたんだけど。

でも、やっぱりじっくり行って見てもない地域に対して、無謀なライバル視って意味ないかな、なんて、今回、認識を改めました。

初対面なのに、いきなりバイカル湖の写真集やCDブックをプレゼントされちゃいました。
ちょっぴり片言の英語のロシア人のおじさん・・・あとでバイカル湖観光振興協会の会長さんであること判明。

そして、ロシア人の営業もすごいなぁと思ったのが、なんと、週明けすぐに、メールが来てたのです。
日本のJATAやベルリン、ロンドン、上海など世界有数の国際観光フェアにも参加してる大手の観光旅行会社であることが判明したんですが、なんと「バイカル湖にいらっしゃいませんか?招待します。」とのこと。

うわーお!

実は、私、モンゴルホライズンを設立する前から、やってみたかった旅企画がありました。
北京-ウランバートル-ウランウデーイルクーツクとシベリア国際鉄道での旅。
夏にやればすごくきれいだと思うんです。

北京-ウランバートルは夏の特急直行便を使うと、国境の町・二連が真夜中で、モンゴル側の国境・ザミンウードが早朝到着。ゴビ砂漠の完璧な地平線から昇る太陽を見ながら、モンゴル国初の朝を迎える。
そして正午にウランバートル到着。
そっから先は、私、真冬にしか移動したことないので、よくわからないのですが、モンゴル国の山がちステップをまるで縫うように走る列車で北上するわけです。真夜中にダルハン市でスイッチバック。エルデネットへ行く便とそのまままっすぐ北を目指すスフバートル・アルタンボラグ行き。アルタンボラグが国際貿易経済特区に指定されてからは行った事がないので、これまた気になる。
ウランウデは、モンゴル語・ブリヤート語だと「赤い門」。まさに国境の町にふさわしい名前です。
こっから先は、ブリヤート人たちの居住区。イルクーツクまでの鉄道は、バイカル湖畔沿いの白樺の森やタイガを縫って走っている。こゆい森林からぶわーっと広がるバイカル湖。真冬は凍っててよくわからんかったが、きっと美しいはず。

一番心配していた言葉ですが、ブリヤート語をしゃべれるツアーオペレーターもいるってことがわかった。
それに英語-ロシア語のガイドさんもいるとのこと。
私、ここ10年くらい、海外のパックツアーって使ってないので、ガイドさん付きっていうの、楽しみにしているのです。

来年は、ニュージーランドのエコツーリズム支援型のツアー会社との連携などもあって、ここんとこ、英語を使っての仕事も多く、なんとなく、「お、私、英語使えるじゃん」なんて、改めて感動しているところなのです。

モンゴル語どっぷりで英語は聞けてもしゃべれない、って思ってたのですが、意外といけるものです。
ロシア人の英語も、まぁ、それなりっていうか、難しいことは言ってこないし。

値段・料金・ロシアのビザ等の問題はあるけれど、1度、ぜひ行って見ようと思います。

結構、弊社のお客様でも興味もっていらっしゃった方もいたから、このブログ記事、ごらんになっていて、「ぜひ、モンゴルだるまと一緒にバイカル湖探検に行きたい!」という方はシベリア鉄道のたび、一緒に行きましょう。

観光振興協会会長さんは、イーゴリさんというまさにコッテコテのロシア人っぽい名前の方でした。すごく紳士的。
ビザは日本のロシア大使館で取っちゃっえるように招待状の手配してもらうこともたぶん、可能だと思います。

料金やどんなプログラムがあるか、もうちょっと調べてみますね。

いずれにせよ、せっかくだから、バイカル湖に生息するバイカルアザラシとか見ちゃったり、バイカル湖の生態やブリヤートの文化なども体験できるプログラムがいいですよね。
フブスグル湖の人たちによると、最近はバイカル湖に観光客を持ってかれちゃってるって話なのですが、夏に行って見たら、フブスグルとバイカルの差別化をどこですればいいのか、見えてくると思います。

フブスグル湖は冬も夏もそれこそ四季を通じて散々行き来しているところだし、地元の人たちが考えているツアープログラムも熟知しているのですから。

敵を知らずしてライバル視は不毛だ、というのが今回の国際フェアで感じたことです。

それにしても、写真がきれいだー。
モンゴルの写真家によるフブスグル湖の写真集もいいのですが、なんというかな、町並みとか、生活がね。

というわけで、ちょっとモチベーションが下がり、ないがしろにしつつあった、ロシア語の勉強も再開しようと思います。

モンゴル語は文法が大事!とかいっておきながら、ロシア語文法が苦手で、「My teacher is MTV.Ru」なぁんてMTVのVJの会話とか映画で覚えちゃっててロシア語会話は聞けとれるけど、しゃべれない、作文できないってまんま15年が過ぎちゃってますからね。

リナさんやCOCOさんたちに負けないよう、私も語学、がんばります。

そして、夏か初夏あたり、「シベリア鉄道でいくシベリアの真珠・バイカル湖ツアー」やりましょうね。

ペタしてね
こんばんは。今年最後の新月の夜、瞑想なんぞしてみましたが、珍しく、ぜーんぜん集中が続かなかったモンゴルだるまです。

なんでかなぁ?

まぁ、そういうときもあるじゃろう。

とりあえずブログでも紹介させていただいたエコツーリズム推進プロジェクトのセミナーの通訳が終わり、仕事も一段落だったんだけど。

例によって、家の中、ごっちゃごちゃ。
ギリギリまでセミナー資料の翻訳やってたり、私にしては朝の開始が早く、終わりが遅かったため、完全に家の中の秩序は崩壊しておりました。

掃除するつもりが、これまたイマイチ。
なんでだ?

まぁ、そういう日もあるじゃろう。

モンゴル赴任でいらっしゃったほそさんに実家から託されたさぬきうどんと、にくさんの大分ご当地手作り名産のゆずこしょう、という最強パワーの組み合わせでも、パワーがあがらんかった。

やっぱ、楽しかった、やりがいがあった、とはいえ、まぁ、それなりに仕事が終わると、「一段落」をつけるために、脱力しちゃうんだな。

オフィスの掃除もどっから手をつけていいのかわからず呆然です。

なんでモンゴル人に工事を頼むと、原状回復をしてくれないんだろう?
というか、自分の役割分だけやって、あとは破壊し瓦礫の山を残しても平気というメンタリティが理解できぬ。
結局、その工事によって、ちょっとやそっとじゃ太刀打ちできないくらいよごされ、ついでに備品も壊されていた。
むかつくー。

そして、一人ぼっちで、この清掃作業をやらねばならない上に、重いものがいっぱいあって、ひとりで動かすのは不可能ってわかってるからやる気が出ないのです。
持病の腰痛もここんとこ酷いしね。
言い訳はこのくらいにして、どっかで奮起しないといかんよね。はい。

12月も気がつけば2週目です。
なんとかクリスマスまでに大掃除をすませてスッキリしたいもんです。
通訳の仕事が終わり、ほっとしつつ、エコツーリズム推進プロジェクトのこれからを引き継ぐぞ!という立場で「翻訳」に関わることになった私としては、正念場はこれからです。

モンゴルだるまです。

今日は今年最後の新月ですね。

モンゴルでは、「冬の真ん中の月」であります。
これから寒さが本格的になるんですねー。
モンゴル本気の寒さを味わいたければ、「ユス(9)」という冬至の日をスタートに始まる極寒シーズン9x9の81日間がお勧めです。
9日で1旬として、最初の27日間は「若いユス」、その後、「壮年のユス」といって、寒さが骨身にこたえる感じでしばれ始め、ラストスパートで「老年のユス」となり、ツァガンサル(白い月)=正月を迎える。

月の動きと、太陽の動きを上手にとらえたモンゴルやチベットなどの遊牧民の暦の知恵には、学ぶところが大きいです。

で、モンゴル人遊牧民と恋に落ちちゃったリナさんからのご質問やCOCOさんからの文法徹底学習実践派の力強いコメントに気をよくして、「モンゴル語を学ぶ上で、なぜ文法学習が大事か」をざっくり考えてみました。


実は、私、大学に入るまでにモンゴル語をきいたこと、あったんですよね。
小学校のときの同級生に、外交官のお嬢様がおりまして、彼女が内モンゴル領事館とか駐モンゴル人民共和国日本大使を歴任したお父様と一緒にモンゴル、行ってたのです。

で、小学校6年間で、途中で出たり入ったりしてて、そのたんびに、いろんなギリ土産的鉛筆とかクラスメートに配布してくれて、その国の言葉なんかを教えてくれました。

だから、モンゴル語での基本挨拶が「サイン バイノー」だ、とか「1、2、3・・・10」までの数字とかは覚えていたのです。といっても、ぜーんぜん大学1年のときに、それらを知ってたからアドバンテージがあったかというと、そういうことはまったくなかったのですが。

モンゴル語の文法って、当時のご時勢でロシア語の言語学や語学学習法がそのまま踏襲される形で、さらにそれを日本語に直してるから、すごくわかりづらかったのです。

英語で文法を教えてくれてれば、こんなにこんがらなかったのに、っていうくらい。

「・・・の」というのが、英語だったら「所有格」って教わってたのが、モンゴル語だと「属格」っていわれる。ロシア語でなんで「生格」っていうかはわかるんだけど、モンゴル語では、うーん、そういう使い方だけじゃないじゃん!みたいな。

特に「造格」(-aap)とか「奪格」(-aac)
これらの使い方は実に使える範囲が広い。

文法体系を学ぶっていうのは、単純に教科書とか語学書に書いてあることを丸呑みにしなきゃダメってことじゃないんです。

私、この「まるのみにしなくていい」ってことを悟るまでは、モンゴル語文法がメタメタで、大学1年のときなんか、「このままじゃ進級できないよ」と夏休み終わった後のテストのあと、先生に呼び出しくらいましたから。

モンゴル語と日本語、基本的には語順などが似ているところがあるのですが、つきつめていくと、微妙に単語の並びがひっくり返ってたり、長い文章になると、日本語と同じように、主語・形容詞や形動詞などの修飾語・動詞を並べていくと、わけがわからなくなる。なので、意味を把握したあとで、モンゴル語らしく、切ったり、並べ替えたりしないといけない。
この辺の法則とか格助詞の使い方などが私もまだちょっぴり苦手で、10の文章があると2-3は、モンゴル人に「こうしたほうがいいんじゃないか」といわれたりもします。
でも、モンゴル人自身も30代くらいの人は日本語はべらべらでも、モンゴル語については綴りとか文法が微妙に怪しい。私の似たようなものです。

私のような外国人の場合、ある程度モンゴル語が話せれば、モンゴル人はとっても優しくしてくれます。
多少、間違えた言い方してても、意味を汲み取ってくれる。でも「あんた、間違ってるよ」とビシビシ訂正してくれる人はあんまりいないから、モンゴル人の中で生活してたり、仕事をしている人で、「モンゴル語がしゃべれます」とか「モンゴル語で資料を作ってる。」とか「モンゴル語の通訳することになりました」といってる人でも、「えー!そんなところで間違ってても、できるって言っちゃうの???」と驚愕せざるをえない人も相当います。

ある程度、仕事に慣れてきちゃって、モンゴル人との会話にも慣れてきてしまうと、かなり意識して、周りのモンゴル人に「ビシビシ、間違いは指摘してね」ってお願いしておかないと、ほんと、スルーされちゃいます。

そして、何が困るか、というと、公式文書とか、申請書とか、契約といった文書作成の際に、モンゴル語が微妙に間違えてて、その間違いが、自分の権益を著しく犯されることもあるのです。
ちょっとしたニュアンスの違いで人の心がすれ違うってこともあるのです。

悪気はないのに、自分が基礎をいい加減にしていたせいで損をするってこともあるんです。
「そんだけモンゴル語が上手にペラペラしゃべれるのに、これが間違いなわけがない」ってごり押しされるという恐怖。
実は2007年、モンゴル人共同経営者たちが私が融資してあげたお金や彼らの民間金融機関に預けていたお金を騙し取ったとき、まさにそういう言い方で私を脅し、絶望のどん底に突き落としたのです。

正確に情報伝達したり、真心をこめるためにも、モンゴル人と同じように文法を正しく、綴りを丁寧に確実に、誰が読んでも、誰がきいても誤解されない表現を使うってことは、モンゴルと真剣につきあうために大事なことだと思い知りました。

最低限とはいいません。

この正確なモンゴル語をマスターする、っていうのを最低限にしちゃうと、いつまでたっても、スタートラインにすら立てないから。

でも、単語は生活の必要性に迫られればいくらでも増やすことができます。
文法を抑えてないと、いくら単語をたくさん知っていても、ただ並べただけでは、正確に言いたいことが伝わってるかどうか、わかりません。

逆に、ぜーんぜんしゃべれなくても、文法さえキチンと修得しておけば相手の言うことはちゃんと理解することができます。
相手がいうことが理解できたら、その言い方を覚えてしまえば、そのうち自分でも使いこなせるようになります。

私の母親も18年前にモンゴル語を始めたときは、ぜーんぜんしゃべれませんでした。
でも、「文法だけ、しっかりやっておけば、絶対、使えるようになるから」って言っておいたら、、、

文学作品の翻訳、日本語の言葉の選び方はたぶん私より上手です。

ほんと、文法をコツコツやった人ってすごい。

しっかりやっとけ、といいながら、キリル文字の正字法とかちょっぴりいい加減で、いっつも母音を減らすとか増やすとかってところで、間違えちゃう私は、恥ずかしいんだわ。

あと、モンゴル語の文法、そして言葉の成り立ちを理解すれば、辞書に載ってない言葉に遭遇してもあわてなくてすみます。

そして、辞書に載ってない言葉、というのは世の中に沢山あふれかえっているもんなのです。

またモンゴル語-日本語、日本語-モンゴル語の辞書、いずれにしても、自然科学分野、つまりは動植物や鳥の名前とか、ほんといい加減で驚いちゃうのです。なんで、実物を確認してやらないの?

それに辞書には基本的な文法、つまり接尾辞とか動詞の変化形なんかは書いてあるけれど、実際に使える文章って載ってないものです。
会話集もしかり。
日常会話はあれやらこれやら載っているけれど、初めての観光旅行とか、限られたモンゴル人と一期一会みたいな、それこっきりの出会いに限定された交流なら使えるかもしれないけれど、本の通りに会話が進むことなんか、まずないのではなかろうか?

会話言葉にしても、心から話す言葉が、定型文ってこと、めったにないですからね。

だからこそ、本気でモンゴル人とつきあいたい人は、自分の本気、本音を相手に届けるためにも、自分の言葉で相手に伝えられる表現を身につける必要があるのです。
ひとつの文、言い方がひとつの表現、決まった文しかない、ってこともないのです。
TPOやニュアンスによって、微妙に違う。この微妙な違いって経験や話し相手との関係性で微調整していくものなのです。

ある意味、モンゴル語の文法研究って100年余り続けられているけれど、「これだ!」って全部を網羅した集大成って実はなくて、未だに日本でもモンゴルでも研究事業開発発展途上段階。

だからこそ、面白いんですよ。言葉って生きているから、その息遣いを文法という形で掬い取ること。
自分なりに論理的に考察し、体系化していくこと。

これはかなりのチャレンジ。

文法を学んでいますっていう人や、文法研究してる人は、逆に樹を見て森を見ていない、というか、意外と話すとつまらないというか発音とかしゃべり方とかがひっかかるなぁ、ってこともあります。でも、正確だからちゃんと言いたいことは根気よく聞いてくれる相手には伝わります。

逆に、モンゴルに長年住んでて、何人も、何年ものモンゴル人の恋人がいたり、配偶者がいても、モンゴル語自体は上達してない人も多い。相手とは長年一緒にいる仲良しだから、そんなに複雑なことを議論するってこともないだろうし、あんあん、ハンハンだけですんでるなら、それでもいいのかもしれない。

でも、真剣につきあうってことは、のっぴきならない衝突とか意見の食い違いも絶対避けられない。
付き合えば付き合うほどに、すれ違いが見えてくる。

このすれ違いや食い違いをどうやって乗り切るかっていったら、やっぱりとことん議論、話し合いをすることです。

根本的な問題を解決せずに、あんあん、はんはんで臍から下の合体とか、チューとか、おっぱいとかでなし崩しにしていると、結局、何度でも同じことでゴタゴタしなきゃいけない。

いつも議論っていうのはお勧めしません。
この議論というのは、頭を使うので、ここぞ、という勝負時の切り札です。

切り札なんだから、出す限りは、ちゃんと自分が目指す方向で機能してもらいたい。
だからこそ、切り札を切り札として使うための日ごろの努力や底力の構築は怠ってはいけないのです。

でもね、自分が我慢できる、「ま、いっか」って思えることならば、私たち女性がまぁ、いっかでスルーしておくのも、男女の関係の持続的発展で大事なことですよね。
モンゴル人には、「相手に譲歩」とか「相手の気持ちを汲んで許容」とかっていうスペックがついている人は希少種ですから。

文法を正しく使って、自分の思い通りの文章を作ることができるようになれば、もともと日本人は論理的思考をすることに慣れていますから、モンゴル人とつきあう上では、かなり対等に遠慮なく、堂々とぶつかっていけるし、議論で論理勝ちできるのです。

ジャイアン理論を押し付けてくる人たちに勝つためには、のらりくらりしつつも自分のゴールに話を導いていくための論理的思考とそれをリードしていく言葉が武器になるのです。

だから相手に誤解されないためにも文法、しっかりやっときましょう。

単語を増やすためには「エネ ユー ウエー(これはなんですか?)」で指差ししてけば、がんがん増えます。
実際、私だって、初めてのものに遭遇したときは「エネ ユー ウェ」で情報、仕入れてますから。

それに、会話集の例文を丸暗記するよりも、基本文法のほうが数は圧倒的に少ないから、覚えやすい、、、と考えてみれば、なんとなく、文法に対する苦手意識、なくなるんじゃないっすか?

人間関係でも語学学習でも、一日にして成らず。
日ごろの地道な努力と愛情、思い入れが結果を生み出してくれるのです。

リナさんだけじゃなくて、たぶん、恋愛って語学学習のモチベーションとしては相当、高いと思います。

がんばってくださいませ。