人間は生まれたばかりの頃はみな、自分は何でも出来る、という万能感を持っているそうです。

自分が泣けばお母さんがおっぱいをくれたりおむつを替えてくれたりして、不快→快へとしてくれるし、欲しいものは与えられるし、それが全て自分の能力のなしうること、と勘違いしている訳ですね。

 

しかし、大きくなるにつれ、だんだん自分は万能ではない、ということが明らかになってくる。

儘ならないことがある、ということを経験し、自分は特別な人間ではないんだ、でも価値があるんだ、と受け入れていくことが大人になっていくこと。

 

そうはいっても、近年は万能感を抱き続けたまま大人になる人が多いそうです。

「努力すれば報われる」という耳障りのいいウソ。

便利になりすぎた生活。

兄弟が少なく、経済的に豊かで、理不尽に怒られたり、物質的な苦労をしない生活。

ゲームもいつでもやり直しOK。

自分の人生も全て思い通りになる、ならないのは自分が本気になっていないせい、環境のせい、と、万能感を手放すチャンスが少ないのでしょう。

私も、そういう傾向があるな、と思います。

 

万能感を手放せないと、精神的な高揚を得ることによって、現実を直視しないようにする、という手法を取ることが多いそうです。

第一線で活躍した著名人が、薬物依存等になるのは、おそらく万能感を手放したくない(=自分は特別ではない、と認めたくない)という一面があるとか。

アルコール依存、仕事依存、セックス依存なども同様。

常に予定を入れて忙しくし、ワイワイ騒いでいないといられない、というのも、ある意味依存なのかもしれません。

 

日本語には「諦念(ていねん)」という言葉がありますね。
「ものごとの道理・真理を悟る心。また、諦め(あきらめ)の気持ち」という意味です。
つまり、ものごとの道理・真理を悟っていく過程は、「あきらめ」のプロセスでもある。
「あきらめる」の本来の意味は、「明らかに見極める」ということです。

 

自分は特別な存在ではない、でも、唯一の存在としての価値がある。

そのことを認め、地道にコツコツ生きていくのは、実は心が強くないと出来ないこと。

ガッカリしたり失望したり、無力感を味わったり、そういうことは意外と骨が折れます。避けて高揚感を得ている方が心地いい。

よくわかる。

 

私の中でまだ、「私も特別な人間なはず」「もっと出来るはず」という気持ちがくすぶります。

いい大人なんだから、そろそろ認めないとカッコ悪いですね。

私の現状は、神様からの、コツコツ地道に行くんだよ、というメッセージかもしれません。