土曜日、日帰りで神戸に行ってきました。全国縦断投資セミナー in 神戸を開催するためです。ギリギリに起き、駆け足で近くの駅まで走り、新幹線の切符で入りました。その時から分かっていたのですが、ポケットの中には千円札が一枚だけ。まぁなんとかなるだろう。東京駅に新幹線発車5分ほど前に着き、これまた走って新幹線改札に。改札を超えてから、「今なら未だ買える!」と朝ご飯の駅弁を買おうとすると、なんと「現金のみ」の札が。

 え!?おばさんに聞いても、現金しか使えませんとのこと。税込み千円のお弁当を買い、また走ってホームへ。間に合った!そのままのぞみに乗り込むと、間もなく発車したのでした。しかし飲み物がない。でもきっとSuicaで買えるだろう。これが甘かった。ワゴンサービスは現金のみ。車内自動販売機も現金のみ。車掌さんに確認してもSuicaもクレジットカードも使えないとのこと。なんでぇ~!マネックスポイントから交換したモバイルSuicaポイントならいっぱい持ってるのに。。

 私は水分を大量に取るタイプなので、朝の断水はかなりきついものでした。名古屋駅のホームに入線する時、窓からホームを見ると、Suicaの使える自動販売機が。行くしかない!到着と共に飛び降り、急いでペットボトルのお茶を買い、そしてまた飛び乗ったのでした。あー危ない。好きですけどね、この手のこと。小さい時からよくやってました。でも車内でもSuica使えるようにして下さい!
 新日鉄と住金の合併に向けた検討の開始。日本企業のグローバル化が加速していくでしょう。いや、加速させていかねばなりません。国内二社統合によって世界第2位を造れるところが、経済大国ニッポンの面目躍如という感じで、株式市場も好反応でした。

 このグローバル化について思うことが3つ。1.グローバル化は約束された成功ではなくてリスクを取る行動であるということ。そしてリスクを取らなければリターンはないし、今の日本はリスクを取るべきステージにあるということ。2.グローバル化の流れを、政治・行政は後押ししてくれると私は信じていますが、間違っても水を掛けるようなことはしないで欲しいこと。3.そして真のグローバル化とは、ビジネスの市場をグローバル化していくことではなくて、企業活動の源である「人」をグローバル化していくことであること。

 この3番目のポイントは、必ずしも一般的な考え方ではないかも知れませんが、私はとても重要に思っています。例えばこんな話があります。アメリカの超一流大学付属の医療機関。世界中から優秀なドクターが集まり、大変高度な研究と医療が行われてきた。その力の根源は、世界から集まったドクター/スタッフの多様性であると。しかしこのドクター/スタッフの子供達は、アメリカで生まれ、或いはアメリカで育ち、”アメリカ人”になってしまい、その子達を集めても、多様性によるメリットが親の代のようには発揮されないと。そんな観察があることを、私はアメリカの学者さんから聞いたことがあります。最も重要なグローバル化は、人材のグローバル化だと思うのです。いずれ日本も、そういう道を歩めるでしょうか。

 我々はもっとリスクを取るべきだと、そう思います。
 時間がないと中々行けませんが、私は美術館が好きです。コンテンポラリーアートも好きですが、クラシックなものも好きです。しかし問題はとにかく時間が掛かると云うことです。ニューヨークのメトロポリタン美術館など、本当は丸3日ぐらい掛けてゆっくり見たいのですが、そんなのんびりとした時間も取れませんし、流石に本当にやるとかなり肉体的に疲れるでしょう。

 もうひとつの問題は、そもそも美術館に行くまでが遠くて大変だと云うことです。ニューヨークにはいい美術館が多く、仕事で行くこともあるのでいいのですが、その他の海外都市は、そもそも行かない、或いは全くフリーの時間がなくて美術館など寄ることが出来ません。スペインとかロシアとか、行きたいところはあるのですが、中々行く機会がありません。偶に東京に展示会が来ることがありますが、忙しくて行きそびれたり、行こうと思ってもあまりの混雑に辟易としてしまったりします。

 そんな悩みを一気に解決!グーグルが「Art Project」なるものを始めました。世界17カ所の美術館をウェブ上で巡ることが出来る。これは素晴らしい!行ったことのない美術館を訪問するも良し。お気に入りの美術館をヴァーチャルツアーしながら思い出に耽るも良し。個人的にはニューヨークのフリック・コレクションが入っているのが、(今のところ)世界で一番好きな美術館なので嬉しいです。インターネットって、本当に人の生き方を変えていきますね!
 ギャンブルでプレイする場所を変えることを「河岸を変える」と云います。最近、河岸を変えるか悩んでいる、とっても下らない話をひとつ。あまりにも下らないので、「どんな内容でも読んで構わない」と思われる方だけ先へお進み下さい。

 下らない話とは、トイレの話です。会社に於いて、私は大きい方の用を足す場所(台?)を決めています。右から○番目と。理由は、自分的にはリスク管理的な観点からなのですが、その詳細な内容は御想像にお任せします。この場所を決めると云う感覚は、河岸を決めるのと似ています。ところが最近、どうもその河岸に新しい参加者が増えたようで、これは目撃したのではなく、なんか場の感じから新しい関与を感じるのですが、それが気になっています。あー、やはりどうしようもない話だ。しかしここまで書いたので書き切ると、河岸を変えるような感覚で、この定位置を変えようかとここ暫く悩んでいるのです。こう云うルールとか感覚って、一般的なものでしょうか?私だけの問題でしょうか?あー書かなければ良かった。しかし今日は忙しくて時間がないのでこのまま失礼させて頂きます。

 3000回弱書いてきたつぶやきなので、史上最低のつぶやきとは思われますが、御容赦下さい。
 今日は特別な日です。未だ昭和の頃から、今日は私にとって特別な日になりました。毎年この日はとても寒いものですが、今年の今日は比較的暖かい気がします。

 年年歳歳花相似 歳歳年年人不同(ねんねんさいさいはなあいにたり さいさいねんねんひとおなじからず)

 唐代の有名な七言古詩の一句ですが、この部分だけを詠み、その意味に考えを巡らす時、私の考えは果てしない彷徨を始めます。人不同とは本当は何を意味するのか?果たして本当に人不同と云えるか?或いは花と人とは、本当は何と何の対比を表しているのか?どちらが動いていくかは、全て相対的な概念です。

 私の中で動かないもの、変わらないものが何かを、私は知っています。今日はそのことを確認する大切な日です。今年の今日は未だ終わっていません。
 木曜日に書いたネタの続編で、手抜きのようで甚だ恐縮ですが、「プールで一杯泳ぐとカラダは温まるのではないか?」との仮説の証明に挑んでみました。木曜日よりも明らかに寒い日。プールの水温も通常より冷たいことはあっても決して温かいことはないと感じる日。私はまた1キロせっせと泳いでみました。最初のうちはなんか冷たい感じ。あー、やっぱりおっちょこちょいであったか。とも思ったのですが、挫けずにせっせと泳ぎました。平、クロール、背泳ぎ。なるべく休まずにせっせと泳ぎました。すると確かに水温が気にならなくなってきました。うむ、これは仮説が正しいかも知れない。そう考えて1キロを泳ぎ切り、ジャクジーに浸かりました。数分入った後、シャワー、サウナと進んだのですが、やはりサウナ室でカラダを触っても冷えていません。なるほどー、これは本物だ。顔もやはり上気しています。いい気になって無理をしないように気を付けなければいけないとは思いますが、久し振りに発見したカラダに本当に良さそうなこと。ちゃんと続けていきまーす。
 日銀の政策委員会・金融政策決定会合議事録。2000年7月17日分と8月11日分を読みました。ゼロ金利解除に至る経緯です。これが面白い。ビデオテープを観るように克明に書かれていて、臨場感に溢れ、中々読み応えがあります。各委員の論の展開や、滲み出る人柄というか味もまた様々で、こちらも小説のようで楽しいです。各委員に対する個人的な感想も持ちましたが、それは書くのは控えておきましょう。

 2000年8月というと、当社がオリジナルに上場を果たした月です。上場日は8月4日。その前後にこのような議論がなされていたと知ると、感慨深いものがあります。当時の日本、特に金融界は大混乱の時代で、毎月のように大手金融機関が破綻したり、或いは合併したりしていました。そして日銀の読みは少なくとも結果的には外れ、ITバブルの崩壊と共に、景気やマーケットはこのあとすぐに虚しくも崩れていったのでした。当社はその直前に上場を果たしたのです。

 社会がドラマチックなだけでなく、あの頃私たちもかなりドラマチックでした。そんな雰囲気を思い出しました。私はドラマチックな生き様が好きです。詩は心情を詩的に書くのではなく、まず詩的な心情があり、それを書かざるを得なくて書くものだ。そんな類のことを、確か朔太郎が書いていたと思います。安吾も同じようなことを云っています。ドラマはこれからだよん♪
 私は泳ぐのが好きですが、一方でわりと冷え性です。冬は泳ぐと冷えるという問題があります。冷えると、ジャクジーに入ろうがサウナに入ろうが、どこかしら冷えた分だけカラダに負担が残ります。困ったもんだ。ほんのちょっと水温が違うだけでも随分結果は違うのですが、実は水温自体はいつも一緒で、自分の体調で冷たく感じたり温かく感じたりするのかも知れません。

 しかし私は新しい発見をしました。いつものことでおっちょこちょいですから、単なる勘違いかも知れませんが。いつもより多く泳いでみました。これは冷え問題とは関係なく、単に長く泳ぎたいから泳いでみたのです。普段は500メートル程度泳ぐことが多いのですが、1キロ泳いでみました。するとなんか体が温かいのです。ジャクジーに浸かったあとにサウナに入りお腹とか背中を触ってみても、いつもなら冷えているのに全く冷えていないのです。はて?あっという間にサウナからは出て、更衣室に行って鏡を見ると、顔も何となく上気しているのです。さてどうしたことか。

 考えられるのは、1.水温がいつもより温かかった、2.体調が単に良かった、3.長く泳いだので血行が良くなった。1.かなり幅もある25メートル・プールですから、コスト管理の観点からもそんな簡単に水温が高いとは考えにくいです。2.体調・・・これはありますが、必ずしも特別に体調が普段より飛び抜けた状態だった訳ではありません。3.これか?スキーで指先や足のつま先が冷えて冷えてしょうがなくなった時、解決する方法はとにかくバリバリ滑るしかありません(少なくとも私の場合)。泳ぎでもこんなことがあるのかなぁ。

 前述したように、あー勘違い、となる可能性が高いのですが、暫く試してみようと思います。
 今日は私の大切な友人の18歳の誕生日です。18歳。私にとってその年齢は、特別な意味を感じる歳だったと記憶しています。キラキラして甘酸っぱいと云うか。とても多感だった頃、海に行って感傷に浸ったりしていました。あまりハッキリは書けませんが、一般に考えられる範囲内での逸脱行為も盛んにしておりました。

 あの頃、とにかく詩を多く読んでいました。朔太郎が一番好きでしたが、それ以外にもかなりの量の詩を読んでいたと思います。当時は誰よりも朔太郎の詩が分かると勝手に自負していて、私なりの朔太郎解釈をまとめようと考えたり、或いは朔太郎の詩に限らず、私が好きな詩を集めたアンソロジーを作ろうかと思っていました。随分前にこのつぶやきにも書いたことがありますが、アンソロジー編集は途中まで実際にしていたのですが、大学に行って飲みほうけてしまい、未完で終わってしまいました。

 後悔しても後悔し切れないのは、このアンソロジーを作らなかったことです。アンソロジーは、自分自身の鏡でもあります。当時の私の感受性や心を、魚拓やマスクのように、完全に写し取って残すことが出来たのに。友人は大切な記録を彼流のやり方で残しているようです。頑張ってね。


 追伸:本日は当社の親会社であるマネックスグループ株式会社の第3四半期業績発表の日であります。各種開示はマネックスグループ(株)のウエブサイトで行っておりますので、御興味のある方は御確認下さい。
 私は白髪があります。一応47歳ですから、あって当たり前ですが、場所が偏っています。髪の毛は昔から多い方で、細めでしなやか。若干茶色がかっている、どちらかと云うと女性の髪の毛のような毛質です。その全体感は変わっておらず、あちこちに白髪がちょっとずつ生えている訳ではなく、ほとんどの場所には白髪は全然ないのですが、前頭葉、おでこの上の部分だけ局地的に白髪が生えています。関口宏さんみたいな。

 もしかしたら知的でカッコいいかも知れない、なんて思って気にしていなかったのですが、前頭葉の白髪は自然に黒く戻ってくるのでもなく、一気に増えている訳ではないのですが、しっかりと頭皮上の市民権を確立したようで、ずっとそこに生えているのです。そして僅かずつではありますが、以前よりも目立ってきた気がします。これは本数が増えているのではなく、その白髪の出来が完成してきており、即ち透明感が強くなってきており、一方周りの毛は変化がないものですから、コントラストが強くなってきたようです。

 詳しくは知りませんが、通常は耳の上のあたり・側頭葉から白髪は生え始めるようで、前頭葉から、或いは前頭葉だけと云うのは、比較的珍しいようです。ホルモンバランスが崩れていると云う説もあるようですが、私はやはり人間の人間たる所以=前頭葉を多く使っているのでそこだけ白くなったと考えたい。「そこだけ年取ったんじゃないの?」と憎まれ口を叩いた社員がいますが、彼は耳の上辺りから着実に白髪が増えています。俺は増えてないもんね。ま、目くそ鼻くそを笑うみたいなもんでしょうか。

 私の前頭葉の白髪は、普通に会って話している人からは、「え?白髪なんてあったっけ?」と云われます。ライトの加減でしょうか、写真とか、そう云う時だけ目立つのです。もしどこかの紙面で私の白髪に気付いても、写真が特別と思って鉛筆かなんかで塗りつぶしておいて下さいネ。