色々なところでキャパシティ・オーバーが起きているように見えます。中東(もしくは北アフリカ)の状況に対して、アメリカを初めとする大国はもっと上手に対応できなかったのか?今回の原発問題に対するイギリスを除く主な西洋諸国の反応は適切であったか?そして大震災への我が国のリーダーシップの対応はどうか、もっと機能できたのではないか?これらは全て現在進行形の問題であり、どれもこれから改善することを望みます。或いは今までも、これで正しかったのかも知れません。

 然しながら初期段階でのキャパシティ・オーバーの感は否めません。外野から、或いは後から評論するのは簡単ですし、非建設的なことを云っても意味がないと思います。では建設的に、何を学ぶべきか考えてみました。たかが人間、されど人間とは云いますが、やはりたかが個人なのでしょう。個人の、或いは少ない人数の力量には限界があります。どれだけ迅速に、どれだけ多くの人の知恵と行動力を動員できるかが鍵でしょうか。今回の震災で、インターネットはその大きな力を見せつけました(まだ進行中ですが)。これからの復興にも、その長い道のりの中で、分散系の考え方が威力を発揮する可能性があると思います。

 キャパシティを有事に柔軟に膨張できる仕組みを予め考えておくことが、とても大切な時代なのでしょう。これは裏返してみると、リスク管理が進んだ時代には、普段はその管理が良くできていると過信してしまい、潜在的なキャパシティ・オーバーの状況を作ってしまっているのではないでしょうか。或る意味で、金融工学によるリスク管理が進んだと思っていた時に、先の金融危機が起きたのと似ています。

 未来に向けた想像力。何が起きるかも知れないかを先回りして考えること。そう云ったことが大切です。今回の一連のことも、まだまだ進行形です。リーダーシップには(そして私たち自身も)、想像力を逞しく持って臨んで欲しいと思います。繰り返しになりますが、まだ進行形です。これからだと思います。
 一週間が経ちました。長い、重い、一週間でしたが、明日からの一週間も、去年の一週間も、そして未来の一週間も、全て同じ一週間です。私にとっても長く重い一週間でしたが、その長さや重さは、被災された方々や、実際に救助や原発の沈静化に取り組まれている方々に比べれば、もちろん比較のしようがない-文字通りに本当に比較のしようがない-ものです。

 しかしひとつ思うことがあります。私の些細な一週間であっても、この重さを未来の一週間に於いても決して忘れないようにしよう。そして或る一週間だけでなく、継続してやってくるそれぞれの一週間で、このことを思い出すようにしよう。人は忘れる動物なので、実際にはかなりの速さで忘れていくでしょう。しかしなるべく意識的に思い出すようにしようと思います。
 今日も引き続き厳しい状況が続いています。暫く時間が掛かるのかも知れません。それでも知恵を出して社会を守り、創り、経済活動をしていく。それが人類がしてきたことでしょう。そういった過去の営みに、敬意を持たずにはいられません。そして自分や自分達が同じようにそういったことを成し遂げるためには、意志と平常心が必要だと思います。平常心のことなど思ったことはありませんでしたが、大切にしていきたいと思います。
 今日も引き続き厳しい状況が続いています。報道は原発問題を大きく取り上げており、心配です。しかしそれ以上に、地震と津波に被災された現地の方々のことを思うと、心が痛みます。今、出来ることは何か。様々な形で、しかもこれから長い時間を掛けて、自分に何が出来るかを慎重に考えて、しっかりと実行していかねばならないと思います。

 さはさりながら、今、取り敢えず何が出来るか?を考え、月曜日の夕方から、お客様がお持ちのマネックスポイントを日本赤十字社の「東北地方太平洋沖地震義援金」に交換出来るようにしました。今朝未明の段階で、それは即ち開始してから一日半の時点で、7000名の皆さまがマネックスポイントを義援金に交換して下さいました(その時点で約800万円)。現時点では1万人くらいの皆さまのご厚意が集まっているでしょうか。これらのご厚意は「マネックス証券口座保有者有志一同」名義で、日本赤十字社に責任をもって送金致します。

 今、出来ること。これからも考えていきたいと思います。
 引き続き大変厳しい状況が続いています。被災された方々には心からお見舞い申し上げると共に、様々な事態が好転していくことを希い、信じます。この「つぶやき」を暫く停止することも考えたのですが、私は証券会社の運営者として、このような状況の中でも、或るいはこのような状況の中であるからこそ、資本市場という大切な社会インフラの活動を支える一端として、資本市場に関して視点を発信することが、今出来ることの一つであると考え、敢えて書くこととしました。

 マーケットはほぼ全面安です。しかしこの下がり方が、いわゆる日本売り=トリプル安(株式、債券、円が同時に売られること)ではありません。株は建設株などを除いて売られていますが、債券は買われており、円も変動が大きいですが、強い円高になり、若干円安に戻り、また円高になっている状況です。どうしてこうなるのか?これは既に説明されていることだと思いますが、読者のために、そして私なりの解釈を、書かせて頂きます。

 株が売られているのは電力供給懸念を含めて日本経済の先行きが不安だからです。企業収益が下がると想像されるからです。一方建設会社などは、復興需要があると想起され、企業収益が良くなるだろうとの連想で買われているのでしょう。機関投資家はリスク資産から安全資産へのシフトを行っています。端的には株を売って債券を買っています。なので債券の金利は下がり、価格は上がっています。或いはそのようなイメージが、債券の値段を上げているのでしょう。復興のためにより多くの日本国国債が発行されるであろうという供給懸念よりも、今日どのように資金をシフトするか、といった需給やイメージの影響の方が大きいのだと思います。

 一方で、得も云われぬリスクの上昇から、様々な換金売り=換金行動が行われていると思われます。「手元にお金を置いておきたい」と云う行動です。これが外国にある資産を売って円に替える行動となります。或いはそのようなことが想起されます。保険会社は払い出しに備えて外国の保険会社と再保険契約などをしていますが、それらが払われる時にはお金が円に替えられます。或いはそれが想起され、そして円は買われたのでしょう。

 マーケットは、長いスパンでは事実に沿って動きますが、短いスパンではイメージ・心理が大変大きな作用をもたらします。今回のことが、この二日間株が売られたほど日本経済に、日本企業の収益に影響を与えるのか?恐らくそうではないでしょう。復興に必要なお金は、いずれは増税によって賄うしかない(日本国民全員で負担するしかない)と思いますが、税制を変えるには時間が掛かります。先ずは国債を発行して借金を増やして対応しなければなりません。ですから需給からいずれは国債は売られるのではないでしょうか?しかしこれは中々微妙で難しい問題です。

 そして為替。日銀は昨日・今日と大量に資金供給をしましたが、今回の事態で直面している日本の状況や株式市場を考えると、もっともっと資金供給は行われるべきです。行うでしょう。そうすると世界における”円”という通貨の供給量が増える。するとモノの値段と同様、円の値段も供給増から安くなっていくことでしょう。しかしそのようなことよりも、今何を想起するかがマーケットを大きく左右します。明日は明日のイメージがあるでしょう。

 こう云うとフラフラとしたものの様に聞こえるかも知れませんが、そのような”フラフラ”の中で流動性が生まれ、経済の血液になっていくのだと思います。資本市場が受け身ではなく、主体的に今の日本社会の再生に貢献出来ることは何であろうか。私の役目としてはそう云うことを考えていきたいと思います。
 今回の地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。本日は通常時のコラムは休ませて頂きます。私が云うまでもなく、色々と大変な状況です。皆が力を合わせていかなければいけないのだと思います。当社も社会に対して、そして社内で、力を合わせていきたいと思います。
 今日、午後2時半過ぎに成田空港に着陸しました。空港ビルから丁度出ようという時に、大きな地震が来ました。空港ビルも強烈に揺れ、映画を見ているようで、というか映画の中に入ってしまったようで、流石に緊張しました。日本中で体験したことなので、私の体験はこれ以上記しませんが、無事帰国したことを皆さまに報告しておきます。

 今日は5年半以上続いた銀座ソニービル内のマネックスラウンジの最終日で、そのことについて書こうと思っていたのですが、日本中で起きている状況に鑑み、今日は控えさせて頂きます。当社として出来ることは出来る限り致しますが、限界があることも御承知おき下さい。皆さまにおかれては、くれぐれも安全を確保されていることを希って止みません。
 未だにロード中ですが、数時間後に帰路につきます。この”数時間後”と云うのが曲者で、どんなに指を折り直して数えようが、機中で寝る以外に殆ど寝る時間がないのです。自分で要求したスケジュールではありますが、ベッドがこれほど恋しくなる瞬間はそうはありません。しかし恨み言を云っても始まらない。今日はつぶやきも短めに済ませて頂いて、ちょっとでも寝させてもらおうかと。

 不思議なもので、ロード中、特にアメリカへの出張は、いたって体調がゴキゲンです。三つ子の魂百までと云うか。相性ってありますからね。そう云う相性は、大切にしていきたいと思います。
 昨日ニューヨークの或るビルに入ったところ、いきなり後から強く抱えられました。すわ何事だ!と振り返ると、そこには曾ての同僚、パートナー、GWがいました。「ホウリー・カウ!」と叫んだ私は、暫く彼と立ち話をしました。「お前この野郎、俺に一言も云わないでこの街に来て隠れてそのまま行くつもりだったのか、こん畜生!」みたいなことを云ってました。じゃ、明日昼飯でも食おうぜ、と云うことで今日、2人でランチを食べました。

 会ってからずっと10秒ごと位に「クソ」(英語でです)が入ります。笑いながら。ウェイターのおじさんもからかって、「何でこんなにクソ高いんだ」と話し掛け、最初は平静を保っていたおじさんも、最後は笑いながら「高いねー」なんて云ってました。ほんのひと時でしたが、2人でクソクソ云いながら御飯を食べ、懐かしい話をし、楽しく過ごしました。彼も私もウォール・ストリートの債券部の出身。とにかく言葉が汚いのです、伝統的に、債券部の人間は。

 私が最初に就職した会社では、日中ど真ん中に、ウォール・ストリートのオフィスのトレーディング・フロアで「くそくそくそくそ♪」のような勝手な歌を歌いながらトレーディングをしている先輩がいました。一般から考えると、かなり変な場所です。因みに今日書いている「くそ」は基本的にS○○○ではなく、F○○○もしくはF○○○ingです。まぁ両方あるのですが。どうしようもない話ですが、久し振りに懐かしかったので、つい書いてしまいました。

 あー、クソあほらし、クソ眠い、ブタ寝しようっと!(なんて日本語では云いませんが、あの世界で英語では云っちゃうんですよね~)
 急遽、仕事の事情でニューヨークに来ています。30時間ちょっとしかいませんが。私はビジネスマンとしてはメイド・イン・ニューヨークなので、この土地にいると頗る調子がいいです。水を得た魚と云ったら少々いい気になっている感もありますが、やはりニューヨークは心地よく、楽で、しかも私にとっては自己実現(?)がしやすい場所なのです。随分苦労しましたからね。

 サッカーにホームとアウェイがあるように、誰にとってもホームグラウンドってあると思うのです。私にとっては生活上は下町近辺(新橋より南側、新宿・渋谷より西側は完全に苦手です)、仕事上はニューヨークこそがホームグラウンドなのです。なんか調子いいーっ!この街で充電して、また次の街に行きたいと思います。