遂に来ました春一番!冬かと思っていたら、あっと云う間に春が既に来ていました。"Spring has come."という云い回しは、的を射てると思います。急に来るんですよね、春って。花粉症に悩まされる方も多いことと思いますが、私はこれからは本当に楽しい季節だと思います。

 しかしうっかりしていると、春を満喫する前に梅雨が来てしまいます。如何に春を確実に感じるか?毎年このことを思うのですが、そしてこのようなことを思う季節は四季の中で春だけなのですが、毎年あれよあれよと云う間に春は過ぎてしまいます。今年こそは!これにはやはり計画が必要です。

 花見、どうせやるなら昼間の花見、桜の樹の下で卵焼きでも食べながらお酒を飲むのがいい。筍や蕗のとうなど、春の食材を香りを確かめながら食べること、やはり天ぷらでしょうか。菜の花畑のあの色を眼前に広げ、そしてあの匂いを嗅ぐこと、これは格好の場所を予め確定しないといけないでしょう。蓬餅、桜餅。桜餅はやはり長命寺で買って隅田川沿いを散歩する日程を組むべきでしょうか。皇居東御苑も梅が咲いてる頃に行かねば!

 しかしもっともっと春らしいものが一杯あったような。以前は和漢三才図会のデジタル版をPCの中に持っていて、こう云う時に思い出すのに便利だったのですが、PC交換時に動かなくなってしまいました。先ずはその復旧からかな。
 要領が悪いのか、やたら忙しくなってきています。こう云う時は加速して忙しくなっていくもので、或いは雪だるま式とでも云いましょうか、とにかく日々昨日よりも忙しくなっていきます。まぁしかしこう云う時は、効率良く解決しようと解決方法を考えるよりも、ひとつずつ山の脇から崩していくしかありません。山と云えば、山を越えるのに一気に道筋を見極めることは不可能で、先ずは頂上まで登り、それから行き先を見定めて尾根を下るのが結果として一番近道であるのと一緒です。

 ただ、とにかく脳を使い続けなければいけない。筋トレなしでいきなり重いバーベルが上げられないように、脳で考えることも、或いは精神(と考えられる領域)で行うことも、脳や精神を鍛え続けていないと力は出ないものです。脳も筋肉と同様、明らかに物理的構造物です。忙しすぎて何を書いているのか良く分かりませんが、今日も明日もそう思って脳トレーニングを続けたいと思います。
 つい数日前に、NYSE Euronextとドイツ取引所の合併の話を書きましたが、今度は米ナスダックOMXグループが、他の米国取引所グループと連携してNYSE Euronextをドイツ取引所から奪い返して統合しようとしているとのことです。激しいです。大昔のテレビ番組、ねるとん紅鯨団を見ているようです。というのは冗談で、そんな軽い話ではありません。

 世界の取引所が活発に動いている。さて日本の取引所はどうなってるんだ?と話が展開しそうですが、私が思うに、世界の主要国は、先ず始めに金融産業を国の重要な産業のひとつにしようという国としての意思があり、その上で各取引所もそのフレームワークの中で活動している、世界的に競争している、合従連衡から奪い合いまでをしている、とそう見えます。

 翻って我が国を見るに、国に金融産業の位置付けや戦略を考えている場所があるようには思えません。勝とうと思って闘っても負けることがあるのが道理。試合する気がなくて勝つのはかなりきついと思います。それでも尚、民間は頑張るしかないですね。ファイト!
 アルコール分0.00%の『チョーヤ 酔わないウメッシュ』なるものが発売されるそうです。なんと!きっとヒットするのだとは思うのですが、わたし的にはちょっと違うものの方が。

 古い話だからもう書いてもいいかなと思うのですが、そしてお酒は本来成人になってからですという注釈付きで書きますが、私は幼稚園の頃から梅酒を飲んでおりました。小学生の夏は、学校に行く前に水ようかんの空き缶に梅酒の原液を入れ、それを冷凍庫に入れておくと学校から帰ると美味しい梅酒シャーベットが出来ていて、それを食べてから遊びに行くような子でありました。いけない子です。

 中学一年の時にはスキー学校にウィスキーを持ち込んで先生に捕まり、学年初の始末書=校長訓戒なるものをもらい、親も呼ばれて説教を受けました。他にも大変色々あるのですが、ここではこれ以上書くのを控えましょう。

 酔わないウメッシュじゃなくて、酔っぱらうコーラとか発売されないですかね?(大人用ですよ)
 先週の土曜日、長岡に冬の花火が上がりました。雪が続いた天気の中で、土曜日は雲ひとつない快晴。輝く星を背景に、二尺玉まで上がりました。私はそれを感慨深く見ていました。この日に花火が上がるのは、例年では考えられないことです。そして夜空に花火が広がることを、私は本当にありがたいと思う理由がありました。偶然なのか。思いが作用したのか。見えない力というものがあるのか。世の中には分からないことだっていっぱいあります。しかしまぁそれはそれでいいではないかと思うのです。冬の花火を見て、私は感謝の気持ちでいっぱいでした。
 今夕から長岡へ行きます。最初は一つの理由で行く筈だったのが、気が付くと五つ位の理由に増えていました。或る意味で賑やかな、長岡行になると思います。

 私は長岡に思いがあります。しかし長岡をほとんど知りません。二泊三日の短い長岡行ですが、一つ一つの理由に丁寧に向かうことが、私の長岡の印象を決定するでしょう。

 或いは町には固有の印象というものはそもそもなくて、自分の心の中に自分で彫っていくものかも知れません。私の長岡を感じに行ってきます。
 私の好きなコンテンポラリー・アート。昨日は久し振りに楽しいフェアを見ることが出来ました。楽しいフェアが珍しいのか、私が最近あまりそういうところに顔を出していないのか、その辺はかなり不明です。秋葉原と湯島の間あたりの、6年前に廃校となった練成中学校なる区立中学校の校舎を使ったギャラリーで開かれている、TOKYO FRONTLINEなる催しです。

 コンテンポラリー・アートと廃墟風建物の組み合わせは良くあるケースで、昔、食糧ビルという古いビルが永代橋の先にあり、そこにはコンテンポラリー・アートのギャラリーが多くあり、食糧ビルが取り壊される時にはアート・ナイトのようなものがあり、随分と盛り上がったことを思い出しました(あれは8年ほど前でしょうか)。TOKYO FRONTLINEには、色々なギャラリーが出展しています。秋葉原の外れ。日曜までですが、御興味のある方は是非(入場有料です)。

 因みに近くにぽん多なる高いが美味しいとんかつ屋(洋食屋)さんもあります(昨日は行けませんでしたが)。下町は好きだなぁ。
 世界的なプラットフォームの名前はどうなるのか?NYSE Euronextとドイツ取引所が合併します。これに併せて、シンガポール取引所によるシドニー取引所買収提案の内容も、実現性を高める方向に素早く変更されるなど、世界の取引所ビジネスが音を立てて急速に変わろうとしています。風景が一変する可能性があると云っても過言ではないでしょう。

 当然このニュースはアメリカでも大きく取り上げられていますが、面白いのはその新・世界取引所の「名前」が、大きなテーマとなっていることです。合併合意をしても、名前は決めていません。政治的な配慮からと思われますが、アメリカ社会がかなり大きく気にしているようです。アメリカのニュース映像などを見ても、「ニューヨークの名前がなくなるなんてあり得ない」「当然ニューヨークの名前を残すべきだ」「名前はNYSEであるべきだ」などを感情的に発言している光景も散見されます。

 トヨタの件でも随分感情的な対応が気になりましたが、アメリカは少々余裕がなくなり気味でしょうか?実際にはそんなことはない(余裕を失うべき事態は発生していない)と思いますが、余裕を失っているように感じている人が増えたのは恐らく間違いないでしょう。自国の野球チーム一番を決めるゲームを「ワールド・シリーズ」と呼びきってしまうようなおおらかな気持ちを持つのが、アメリカらしいと思いますが、やはり時代の流れには勝てないのでしょうか?
 一昨日までの週末、ロング・ウィークエンドは、久し振りに出張などのない週末で、且つ三日間だったので、とにかく長く感じる週末でした。書斎で仕事をしながらいつも音楽を聴いてるのですが、普段は忙しくて、或いは面倒臭くて、同じCDを何度もリモコンでリピートしたり、或いは最近聴いたばかりでプレイヤーの上や近くに転がっているCDをまた掛けたり、そんな風にしてました。しかしロング・ウィークエンドは時間がたっぷりあったので、一枚終わるごとに机からプレイヤーまで動き、CDを取り替えました。

 私はかなりの数のCDを持っていますが、全く整理していません。完全にアトランダムに棚の中に押し込んであるだけです。その中から、グイッと指を突っ込んで一枚ずつ抜き出し、次から次へと聴きました。時にCDの背中のタイトルを見て、時に当てずっぽうで指を入れ。時間があるので、そうしてデスクワークをしながら時間を過ごしました。あれは土曜日の夕方。ふと指を入れて引っ掛かって出てきたのが「The TIMERS」でした。

 おぉー。早速聴いてみると、それまでの”ながら”が出来ない。その歌詞と内容に聴き入ってしまうのです。熱い。痛烈な風刺。特に、参議院議員衆議院委員政治倫理委員会委員ギーンギーン国会議員などとお経のようにロックする「ギーン ギーン」、総理大臣総理大臣なんにもはっきり言わねぇ総理大臣どうだいオイラとブルースしようぜなどど痛快にシャウトする「総理大臣」、I'm just a lonely Japanese man Feel like a motherless child I'm just a lonely Japanese man Cause my country is so stupid と淡々と歌う「LONELY JAPANESE MAN」と3曲続く後半は、正に最高です。作詞・作曲はドカヘル・グラサンおじさんのZERRY。昭和63年の作品です。

 政治が今も変わってないことに驚くと共に、これだけ熱くストレートに批判をした勇気と、それを可能にした時代の空気を懐かしく思います。当然の帰結として、私は「COVERS」を山の中から探し出して、それもしっかりと聴いたのでした。美しい。これも同年の作品。批判精神、空気だけでなく、曲としての素晴らしさがあるのがもちろん大前提です。私は懐古主義者ではないつもりですが、あの頃は色々と元気があり自由で楽しかったなぁと思いました。

 書斎にはCDだけでなく、本も整理されずに多くあります。机の周りや、或いは机の上にも、文庫本が無造作に積まれています。その机の上のひとつの山、一番上にある保険会社からのお知らせの葉書などをふと取ってみると、その下には「キッチン」がありました。おー、懐かしい。これは昭和62年の作品です。久し振りに読む。面白い!味がある、切れがある。まだ携帯電話のない時代のお話しです。

 当時、吉本ばなな22歳、清志郎は36歳の頃でしょうか。ちょうど私が就職した頃のことです。清志郎の歳は、私が起業した頃の歳とほぼ同じです。頑張ろうっと♪
 今日はバレンタインデー。ドキドキした時期って中高大とその両側にちょっと足した、10年から15年間ぐらいでしょうか。懐かしい、文字通り甘い思い出です。

 テレビで見たところによると、最近では「友チョコ」が主流なのだとか。これは女の子から女の子の友達にあげるチョコで、その番組で使われたチャートでは、実にバレンタインデーにあげるチョコの過半数が友チョコとなっていました。マジかよ!寂しくないか?ホントにそれでいいのか?ウソ?男はどうなってんだ!女もどうなってんだ!?

 ま、そんなに熱く反応する必要もないのですが、ちょっとその名前が私の或る部分をヒットしたのです。友チョコ。う~ん。中を抜くと、35年前の今日の思い出が蘇る。懐かしいなぁ。元気かな?