ぴっしんの寝顔なんて需要しかないんだからネッツ
※クリスちゃんは専属寝顔見れるマンやから、一般供給してくれるアラウンドは正義。
※なんか急な結膜炎なったぽくて常に右目ウインク状態でKSに微熱奪われ、、、、、なんかキモいY
※お目々擦ったんよ 多分。

ぴっしんの寝顔なんて需要しかないんだからネッツ
※クリスちゃんは専属寝顔見れるマンやから、一般供給してくれるアラウンドは正義。
※なんか急な結膜炎なったぽくて常に右目ウインク状態でKSに微熱奪われ、、、、、なんかキモいY
※お目々擦ったんよ 多分。
Yが隠オニ上げてるさなかに、タイペイファンミ後に更にいちゃつくKSこぷんなちゃ💙
※寝顔共有よりもノンがぴーの頭引き寄せ甘々バスツアー(違)が有り難い。
※隠オニどうでしたか?コメントお待ちしております😊

Yが
ズボン履いてない時、
パンツ履いてない時とかにばっかし
訪ねて来るチングいてるねん
高確率で。
出会って17年間で、全戦全勝くらいいかれてるわ。
今日は下衣類全部履いてないというダブルプレイ
※お土産ありがとう
※ういろうありがとう
※ていうか付き合い的に17年くらい。友達ってええなあ💙
※慌ててちょっと待ってねえ言うてパンツとズボン履きますねん
とても不思議で、その夢の事で更に不思議な体験をしたお話 是非聞いてください。
Y家家族で、横浜に遊びに行ったのですが、私は20代後半で、キッズも小さい。
お昼ご飯を中華街で食べようと、歩いていたら、後ろから「姉ちゃん!」と呼ぶ声が聞こえます。
振り向くと、私の父と8月に亡くなった父の末の弟である叔父さんが立っていました。
父は私の事を普段から呼ぶとき姉ちゃんと呼びます。
今より随分と若く、父はグレー系のスーツ姿、叔父は赤いジャケットブラウンぽいスラックスととてもオシャレな出で立ちでした。
何をしているの?と聞くと、仕事で横浜に来ていると。今から食事をするんだけど、ここがおいしいよと、建物のぐるっと周りに小さな水路があって、小さな飯店や、小物のお店が連なって立っており 桟橋を渡り、なじみの店なのかレトロな飯店に一緒に入りました。
A定食とB定食のみのメニュー表。
二人は同じものを注文し、私たち家族も隣の卓に座りました。
もともと叔父は片耳が難聴で聞こえないのもあり 口数の少ない人でしたが、夢の中でも喋らず笑顔だけを浮かべていました。
夢の中ですが、若い頃の兄弟が揃って関東圏で仕事ってなんだろう?と考えているうちに、二人はあっという間に食べ終え、仕事があるから 行くよと去って行きました。
私たち家族が、その後雑貨屋さんを覗いたり、緑の水面を泳ぐ金魚を見ていたところで目覚めました。
叔父は昨年8月12日に亡くなり、13日に葬儀でした。
12日はYの母の誕生日、13日は私の誕生日。
倒れてから2年半動けずとも懸命に生きて、命尽きた叔父さん。奇しくも私達の親子の誕生日がお見送りと命日となりましたが、年末28日だったかな?お墓掃除を毎年この日にやります。叔父の遺骨も8月13日に入っておられます。墓掃除から帰って、この夢をみたことを 母に話すと、驚きの話を聞かせてくれました。
父と叔父は、結婚前に 横浜に住んで居て、今や大手電機メーカーに勤めていたそうです。
母も同時期 横浜の病院で管理栄養士として勤めていました。
母の事は知っていましたが、父と叔父の話は初耳でした。
母は、あんた知らんかったかな?と言ってましたが、父母の出会いが横浜やったん?と聞くと、Y地方に帰ってきてからだと。
父は関西住みでしたので、Y地方に母が帰ってきた時系列でどこかで知り合ったのでしょう。
それも凄い出会いだとは思いましたが、
Yの知るはずのない横浜の事を夢に見た、、、、若い頃の父と叔父の姿。
とても鮮明で、叔父の穏やかな笑顔が今でも思い出されます。
叔父は生涯独身でした。
晩年 年一くらいでしか会うことはありませんでしたが、父の兄弟の中で一番優しくて面白い人だったことも懐かしく思い出されます。
母もそんな事あるんやなあと呟いていました。
叔父のマンションの遺品整理を私と妹でさせて頂いたのですが、引き出しに、私や妹の写真、兄弟の写真、見たことのなかった、祖母の若い頃や、白黒で色は解らないけど、かちっとしたジャケット姿、とてもよく似た兄弟が並んで写っていました。
夢で見た頃か少し若い頃かな。
片づける手がしばらく止まってしまいました。
最後まで読んでくださりありがとうございました😊