函館1日目の最後に巡ったところは、函館市立博物館です。
場所は、函館山麓にある函館公園の中にあって、周りには動物園や遊園地、図書館などが点在しています。
今回の旅行にぴったりの企画展示がありました。志士三千「函館戦争」です。
企画展のこのポスターを最初に見た時は「志士三千」が読めなくて、「志士シチ」?、えっと思っていたのですが・・・。
慶応4年4月に江戸城無血開城になり、戊辰戦争は、上野、北陸、東北へと舞台が移り、新政府が決定した徳川家に対する処分は、駿河、遠江70万石への減封というものでした。
約8万人の幕臣が路頭に迷うことになることを憂い、海軍副総裁の榎本武揚は、蝦夷地に旧幕臣を移住させ、北方の防備と開拓に活路を求めたのです。
そして、約3千人が開陽を旗艦とする8隻の軍艦で10月21日(西暦12月4日)に函館の北、内浦湾に面する鷲ノ木に上陸を開始したのです。
そうです、3千人の志士が、箱館にやってきたのです。やっと分かりました。
展示は、実物展示が多く、結構充実しているので、箱館戦争に興味がある人は、見る価値がありますよ。年末まで継続されるようです。
普通、博物館の場合には保存の関係で写真撮影ができないのですが、どこにも撮影禁止の文字がありません。
そこで、念のため、事務室に写真撮影について聞いてみたところ、「大丈夫ですよ」と快くありがたいお言葉を頂きました。心置きなく撮影させていただきました。
展示の中に、なんと、吉村昭「夜明けの雷鳴」の主人公高松凌雲がパリの医学校「神の館」から持ち帰った外科手術用具があるではありませんか。箱館戦争に持参したことは小説を読んで知っていましたが、これには感動しました。
これだけでも函館に来た甲斐があったなあ、と思いました。
外科手術用具と言っても、どう見てもノコギリやペンチにしか見えないのですが、こうしたもので当時、オペをしていたのですね。
下の写真は、高松凌雲が、慶応3年、パリ万国博覧会に出席する徳川昭武の随行医として渡欧した時のメンバーです。
後の左から3人目が高松凌雲で、中央で椅子に腰掛けている一際小さい方が徳川昭武(徳川慶喜の実弟)です。
一行の中には、次期NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公の渋沢栄一も事務方として同行していました。
吉村昭「夜明けの雷鳴」の中でも渋沢栄一の「緻密な計算」と「人への誠意」が描かれています。
今年の6月に千葉県松戸市にある徳川昭武の邸宅「戸定邸」に行ってきましたので、参考にご覧ください。
函館の2日目も快晴です。気温は21度ですが、東京と違って湿度がなく、カラッとした天候です。
次に向かったのは、ベイエリアです。ここも函館の観光スポットですね。
金森赤レンガ倉庫群は、素敵なショッピングモールとして生まれ変わっています。
ここから、八幡坂を上がって、元町公園周辺を散策するのが人気のようです。


















