逝ってしまいました | 誰にも言えず綴る

誰にも言えず綴る

余命宣告された夫は2023年8月、逝ってしまいました。これからどう生きていこうか…。

火曜日は面会でゆっくり話し、
水曜日はちょっと苦しかったけど、
薬が効いて楽になったとLINEがあり、
洗濯物とリクエストのカロリーメイトゼリーを届けるねと返事して、
木曜日のお昼頃届けるつもりでいたら、

施設から連絡。

夫の調子が良くなく、

会いたがってるから今から来れますか❓


カロリーメイトゼリーを買って11時前に着き、

抗原抗体検査を受けてから入室。

ドクターから説明。

今から医療用麻薬を使うから意識がぼんやりして寝てしまうかも…と。


長男が週末に面会に来ますと言うと、
そこまで持たないから今すぐ連絡してと言われる。

夫は14リットルの酸素でも

数値が70台で心拍数が140近くになってしまって、


苦しく苦しくて…
医療用麻薬の処置にすごい時間がかかり、
長く苦しませて可哀想で。

私は夫の手を包み込み、
大丈夫だよ、大丈夫だよ、と声をかけて…。
ケアマネさんも来てくれて一緒に励ましてくれてた。

次男も間に合って一緒に励まして、
暑い、暑いと言うので、
次男にセリアに扇子を買いに言ってもらって、

しばらく私と夫だけの時間が流れていった。


意識もまだしっかりしていて、
時々吸い口で水を含ませて、
やがて…
呼吸が落ち着いてきた気がし始めて、
よかった、薬が効いてきた、夫が少し眠れるといいなと思った。

しばらくすると、

目を時々開いて私を何度も見た気がしたけど、

瞳孔が開いてしまって焦点が合ってない気がして…

薬のせいかなと思ったりして、

ゼロゼロした呼吸をしたので、

痰なのか、死前喘鳴なのかもわからず…


次男が戻ってきてしばらくは

浅い呼吸をしていたが、

看護士さんたちが体位を変えて薬の量を足そうとしたタイミングで、

もうほとんどダメだった。


看護士さんが必死に声をかけてくれて、

長男さんがもうすぐ来るからがんばって❗と何度も何度も…。

2回、ゆっくり息をして…

逝ってしまった…。

長男は間に合わなかった…


こんなに呆気なく逝ってしまった。


最後の最後まで意識がしっかりしていたので、

施設のドクターも看護士さんも、

もちろん私も、

まだまだ持ってくれると思っていた。

薬のせいでもう意識はなくなっても

まだがんばってくれると思っていた。


突然すぎて気持ちがついていかない。

横たわっている夫は、

ただ眠っているだけで、

ゆっくり、ゆっくり、

息をしている錯覚に陥ってしまう。


帰宅して、泣いては落ち着きまた泣くの繰り返し。

これからどうしたらいいのか、

もう夫とは2度と会えない、話せない、

全てが受け入れられない。

息子たちから、

とにかく今は葬儀までがんばる事を目標にと言われる。


今は夫のためにできる事を精一杯するだけなんだ。

わかっている、わかっているけど、

私の横に夫がいない。


カバー写真は1年前に、

まだ元気だった夫と行った

豊田の風鈴寺。


この写真に限らず、

ほとんどのカバー写真は、

夫と一緒に出かけた時の風景です。