烏賀陽弘道『フェイクニュースの見分け方』 | ...

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烏賀陽弘道『フェイクニュースの見分け方』(新潮社 2017年)

 

 

私は歴史の研究をしてきた。文献史料に書かれている事実をもとに過去の出来事を検証し、当時の状況を明らかにする。
まずテーマをどう設定するかから始まり、関連する史料の記述を集める。その史料は公的な記録や証文なのか、私的な日記や手紙なのか、なんのために書かれたのかなど、細かく検証した上で使っていかなくてはならない。
調査の結果、現在見つかっている史料からはこれだけのことはわかるが、これ以上はわからないという結果になることもある。
わからないこと、つまり史料に記載のないことを根拠のない推測で埋めることは断じてしてはならない。

このような研究の仕方を知っているからか、論拠や出所があやしい情報はなんとなく見抜くことはできる。少なくとも信頼できる話ではないとして関わらない必要がある。

それにしても、“フェイクニュース”つまり出所のはっきりしない情報は巧妙に作られ発信されていると、この本を読んでわかった。
それらのニュースをよく読むと、誰がいったかはっきり書いてない、文の主語が抜けている、じつはどちらとも取れる結論など、おかしい点は見受けられるが、感情に流されて見落としてしまう。
前に紹介した『フェイクニュースを科学する』にあったように、自分が信じたい情報を信じる、友人など周りの人が言っているから大丈夫という意識がはたらいてしまうせいだろう。
特に印象に残ったのが、「メディアは“わからない”と言いたがらないという点だ」(p 123~129)
前にも書いたように、研究であればわからない点は推測で書いてはいけない。しかし報道は「わからない」ことにも何らかの結論を出さないといけないということらしい。

今は「テレビや新聞に書いてあったから全て正しい」や「有名な教授が言うから大丈夫」とは言い切れない。
なんのために発信されたのか、をよく考える必要があるということだろう。