無情を生きる~山本和夫作詞の歌 | ひとりを楽しむ読書、美術鑑賞のすすめ

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山本和夫の詞は、どうにもできない運命に翻弄される人の悲しみを歌っている。

歌詞が確認できるものとして、北国の難所を歌った「親しらず子しらず」、

キリシタン弾圧を歌った「十字架(クルス)の島」がある。
どちらも中学生からの合唱曲として知られるが、背景の理解はなかなか難しい。

歌詞はこちらから
「親しらず子しらず」
https://sp.uta-net.com/song/117630/
「十字架(クルス)の島」
http://m.kget.jp/lyric.php?song=62829
 

いずれも作詞は山本和夫、作曲は岩河三郎。
山本和夫は福井県生まれの児童文学作家で詩人。

作曲家の岩河三郎は富山県生まれ、日本海沿岸にのこる平家の落人伝説を題材にしたい曲を作っているという。
 

親不知子不知は、古くから交通の難所として知られていた。

現在は北陸本線親不知駅を中心に青海駅、市振駅間約15kmの総称で、
親不知駅~市振駅の間が親不知、親不知駅~青海駅の間が子不知と呼ばれるそうだ。
 

地名の由来としては、以下の2つがあるらしい。

ここを通る際、崖の下の砂浜を波の合間を見て駆け抜けなくてはならず、親子が互いに顧みることができないという説。

波に攫われる者もあったそうだ。

 

越後国で平頼盛が存命と聞いた夫人が二歳の子を連れてここを通り、

その子を波に攫われ、次のように詠んだ歌が元になっている。

「親知らず 子はこの浦の波まくら 越路の磯の あわと消えゆく」
 

この場所については下記リンクを参照。

https://www.itoigawa-kanko.net/spot/oyashirazu_koshirazu/

 

この歌詞も地名の由来となった、平家の落人伝説をもとに書かれたそうだ。

詞では、旅先で病に倒れた父親を見舞うため、この難所を越えようとした母子が相次いで波に飲まれてしまう。

その自然の無常を詠んでいる気がした。
明日をも知れない病かもしれない夫に、父に早く会うために、敢えて難所を抜けても急ぐ必要があった。
子連れの女には無理な路程であったかもしれない。

波に攫われる瞬間、母は子の名を叫び、子は母を呼んだであろう。
その無情な海も、かもめが飛び交い暮れてゆく。

十字架の島は、落人伝説ではない。しかし無常を歌ったのは同じと思う。
ただ、信仰に生き、心のよりどころを見つけたキリシタン信徒たちが権力者に弾圧される。
神とすがるキリストの教えをみずからの足で踏む、踏み絵だけでも苦しい。
鞭で打たれ、責め立てられるのと、どちらがよいだろうか。
仮に肉体は死んでも、神の元へといけるのなら。

 

思えば日本でのキリシタンも、歴史の流れに翻弄されてきた。

当初は信教が奨励され、後に権力者によって禁止され、特に江戸時代には厳しく弾圧がされた。

信徒にとっては、ほかの仏教などの信徒と変わらず、魂の平安を願っただけなのかもしれない。

それなのに、ただ信じるというだけで苦しめられ、命をも奪われる。

その苦しみさえも、神を信じていれば受け入れられるものなのだろうか。

 

信教を持たない自分にはわからないものだけれど。

いずれにしても人の生は一見残酷にも見える大きなものに翻弄されるものなのかもしれない。

山本和夫の詞は、そこにささやかな花を手向けるように書かれたように感じた。