自分の悩みの為に、回避行動ばかりしてしまう私
本当は行きたい所や、やりたいことがあるのに、怖くて尻ごみしている状態でもありました(。>0<。)
だからと言って、何も出来てないわけでもなかったと思います。
自分の興味のあるもの、どうしても行きたい所、やりたい事はけっこうやってるような気がします(;^_^A
でも、息子絡みとなると、事情は変わるのです
私1人で行動できる時の方が、自分のペースで動けるので無理しないで済むんです。
でも、息子が一緒だと、そっちは行きたくない~~~と思ってても行かなきゃならないし、
逃げようにも逃げられなかったり、自分の無理のないペースにすることができないんです
私の思い通りにいかないことがある、というのがかなり不安材料になってると思います。
でも、育児なんて、思い通りにいかないことの連続です。
息子 対 私、の関係での思い通りにいかないことはいいんです。当たり前ですしね
そうじゃなくて、息子+私 対 世の中 との関係性が、私はとても苦痛
こんなこと思うの私だけかもしれませんがっ
結局のところは、私 対 私 の関係がうまくいってないのが、いろんなことの元になってるんだとは思いますが、
息子が絡んだ世の中との関係性が、私はうまくやれていない、という感じがして、
余計に辛くなるんです(自分を責めてしまって)
ちょっとややこしい話なので、前置きはこのくらいにして・・・・(;´▽`A``
今年の夏休みも、息子の興味ありそうなイベントがけっこうあって、
参加できるかどうかはわからないけど、
とりあえず、紙に参加してみたいイベントを書き出しました。
その中でも、私がこれは行ってみたい!と思う一押しのイベントがあり、
それは肝試し だったんです。
空き缶で作るランプ(カンテラ)&肝試し。
これにとっても魅かれました。
息子はすごく怖がりなんだけど、怖いもの見たさの気持ちもあり、
お化けとか、怖い話とか、ホラー系、ゾンビがけっこう好きなんです。
ドラえもんのアニメの中で、肝試しの話があったりすると興味津々だし、
なかなか肝試しってないんですよねぇ。
遊園地のお化け屋敷はあっても。
私自身、肝試しに参加したことがないので、その興味もありましたが、
きっとこれは喜ぶだろうし、ランプ作りも面白そうだし(息子でも簡単にできそうだし)
みんなでランプ作って、肝試しする、というぐらいなら、
私もそんなに抵抗はないだろう、と思ったんです。
人とのかかわりが全くないわけではないけど、やることが決まっていて、
例え人との交流に辛さを感じても、目的に集中できるという状況の方が、私にとってはいいんです。
みんなで協力する、っていう参加型のイベントはかなり抵抗あるんですが、
ランプ作りも1人作業のようなものだし、肝試しも息子と一緒に歩けばいいわけだし、
とりあえず普段できない体験をする、っていうにはもってこいだな、と思いました。
日時も申し分ない。
簡単に募集事項が書いてあっただけの小さな記事でしたが、
これは行ってみたいってすごく思いました。
ですが・・・・なんと、申込みは電話のみ
いつもは、ここで悩んだ挙句に却下、ということになるんですが・・・・
今回はあきらめませんでした。
誰かに頼もうか・・・・。助けてもらおうか・・・・。
それか、一度自分で電話してみるか・・・・。
丁寧な言い方ではなくても、『肝試しに参加したいんですけど』 ぐらいなら言えそうだ。
あとは、名前と参加人数と連絡先ぐらいかな。
なんとか、言えそうな気がする。
どもってもいいし。
参加したいんだ、ということはとにかく伝わるに違いない。
いろいろと考えた末に、電話することに決めました。
電話先が携帯だったことも、ちょっと安心。
『肝試し』 という言葉だけで、きっと参加したいという意思は伝わるだろう、と思ったんです。
ドキドキしながら、電話をかけました。
なんて言ったのか覚えていませんが
参加したい、ということは伝わりました。
で、向こうが聞きたいことがあったみたいで(なんだったか忘れましたが)
質問してきたんですが、それに答えるときに、半分か三分の二くらいしか言いたいことが言えなくて、
途中で言葉に詰まってしまったんです
でも、すごく重要な内容というわけでもなく、半分か三分の二ぐらい言えば、
あとは推測でわかるかな?ぐらいの内容だったんです。
察してくれる方は、「~っていう事ですね?」みたいに言ってくれるんですよね。
そうすると、私はすごく助かります。
その時も、優しい方で、大体の内容を察してくれて、先に言ってくれたので、
私は、『はい、そうです。』 と言って、伝わりました。
人って優しいなぁ~~~~♪って思いました♪o(〃^▽^〃)o
全然違う件ですが、電話した時も、しばらく言葉に詰まっていると(吃音状態)
相手が察して、代わりに言ってくれるんですよね。
言ってくれた言葉が全然違っていた、ということも時にはあるんですが
助けてくれようとしている感じが私はすごくうれしくて、ありがたいなぁ~と思うのです(^人^)
でも、これって吃音者によって、受け取り方は全然違ってですね
これって、『言葉の先取り』 って言うんですよね。
こちらはまだ言ってないんだけど、相手が先に察して言葉にする、っていうか。
吃音者に対して、『言葉の先取り』 はしてはいけない、っていう考え方もあると思います。
言葉の先取りをせずに、相手の言いたい事を待ってあげる、という感じで。
特に、子供(吃音)に対しては、言葉の先取りをせずに、どもっていても言いたい事を言わせてあげる、
ゆったりとこちらも言葉を待つ、受け止める、という対応の仕方はすごくいいと思います。
どもることがあっても、ちゃんと聞いてくれるんだ、最後まで言いたいことが言えたんだ、という体験は、
自信にもつながるし、自己肯定感にもつながる対応だな、と思います。
そして、私も若い頃は、『言葉の先取り』をされるのが嫌だったんです(。>0<。)
子供、というよりは、中学・高校時代も、そう思う傾向がありました。
『自分で話したい』 っていう欲求がすごく強かったんです。
自分で最後まで話せない、っていうのが、ものすごく不完全燃焼になってしまい、
『私ってできないんだ・・・』 っていう思いを強めたり、
自信をなくしてしまったり、ということにもなっていました。
もうちょっと待ってくれたら、自分で言えたのに・・・・・って思う事がすごく多かったです。
でも、今は全く変わってしまいました。
歳のせいなんでしょうか?
要は、伝わればそれでいい んです。
こっちが苦労せず、相手に思いが伝わってくれたら、それが一番楽だし、
大体言いたいことは相手もわかってるのに、それをジーーーーっと待たれても、
そっちの方が私は相手に申し訳ない気持ちが湧いてきたり、
自分も苦しくて辛い(´_`。)
大体察してくれたのなら、相手から言ってくれた方が、ものすごく助かる。
ありがたいなぁ~~~って本当に思うんです。
でもですね、言葉の先取り、ってわけではなくて、
こちらが詰まって、一瞬シーーーンってなると、その内容にも寄りますが、
相手が 『あ、これは言いたくないんだな』 という風に察してしまう場合があるんです。
聞いちゃいけないことを聞いてしまったかな?という感じで、察してくれて(勘違いして)
別の話題に切り替えてしまう時があるんです
で、こっちとしては、いやいやいや・・・・言いたいことすごくあったんだけど・・・・・
って思っても、次の話題に行ってしまってるから、また話を戻すわけにもいかず
もっと言いたい事あったんだ、っていうことにすら、言葉に詰まってしまって言えなくて
不完全燃焼・・・・・
となってしまうことはあります。
こういう場合は、言いたいことが伝わらなかったわけだから、ものすごく残念
もうちょっと待ってくれたらなぁ・・・・・って思う事はあります。
でも、向こうは私が吃音者だと知らない人の場合が多いので
伝えてないのもそういう勘違いの元になるわけだし、
伝えてあっても、どういう時に言葉に詰まるかなんて、相手はわからないわけですよね。
こちらもわかりませんけども
内容によっては、待って欲しい、と思う時もあれば、
先に察して言葉にしてくれた方が助かる、って思う時もあるし、
とてもこの辺の微妙さは、難しいところだと思います(´・ω・`)
吃音者によっても、この辺の受け取り方は全然違うので、対応を統一するのは難しいだろうなぁ、
と思ったりします(´・ω・`)
なんだか、別記事にした方がよさそうな内容でしたねっ
長くなったので、つづきます~~(・ω・)/