あれよあれよという間に、心屋式カウンセリングシリーズ、その9まできてしまいました(;´▽`A``
カウンセリングの様子、というよりは、
吃音に対する自分の思いもどんどん出てくるので、
話が脱線しまくっておりますが
私の中では全部つながっているというか、
まぁ、勝手に言葉が出てくるので
この流れに乗りつつ、ゴールを目指そうと思っています(笑)
どうして、私がこうしてカウンセリングの様子を書いているかと言うと、
吃音という悩みが特殊だからだと思います。
今のところ、原因もわかっておらず、治療法も確立されてない、という中、
治そうと思うと治らない、という性質もあります。
どこかに相談したくても、吃音のことを伝えることすら出来ない人もいるし、
理解してもらえない場合もあるし、
だまされたりとか、
いろんな歴史があります。(大げさかもしれませんが)
実際、吃音がよくなった人はたくさんいるのに、
どうしてよくなかったか、の情報が意外に少ない。
吃音に対する治療や、カウンセリング、セラピーなどの内容的なものは
私のところには情報として入ってこないんです。
私は、吃音者として、そういう情報がとても知りたいのに
だから、私が知りたいから、書こうと思ったんです。
私のように、知りたい吃音者はいるだろう、と思って(;´▽`A``
だけど、私は吃音を治すのが目的でカウンセリングを受けたわけではありません。
ゴールは吃音を治すことではありません。
吃音があろうとなかろうと、自分を好きになるため。
自分と仲直りするため。
自分で自分を認められるようになるため。
いい所も悪い所も受け入れて、『統合』 するために、
そのヒントが知りたくて、受けたんです。
だから、吃音が治ったのかどうか、は関係ありません。
吃音があることが、幸せになれない理由ではない、と思っているからです。
今までさんざん、吃音があるから私は不幸なんだ、と思ってきた私が言うのも
まったく説得力はありませんが
吃音があっても幸せ、なくても幸せ。
幸せになるのに吃音は関係ないんだ、というのを
証明したいと思っているんです。できるかわかりませんが
吃音にはいろんなタイプがあるし、生きてきた背景もみんな違います。
だけど、幸せになるための何かヒントみたいなものがあるんじゃないか?
共通するものはあるかもしれない、と思い、
カウンセリングの内容を書こうと思いました。
内容自体、賛否両論いろいろあると思います。
それは、どんな事に対してもあることだろうと思います。
でも、私は書きたい、と思ったから書くことに決めました。
きっと、読んでくれている吃音者もいるだろう、と思って。
一緒に、幸せへの道を探せたらと思っています。
吃音の苦悩をわかっているから(;´Д`)ノ
生きる希望を見つけたい。
ですが、こう長く書いていると、このまま書いていていいのか不安も募ってきます(>_<)
でも、私は書くつもりなんですけどね頑固なんでね・・・
このまま書いていていいのか、タロットに聞いてみました。
『審判』
こうして書くことで、過去に封印してしまったものをよみがえらせることが出来るみたいです♪
確かに、吃音のことは過去に封印して、あきらめてきたところがあるような気がします。
封印と同時に、自分の可能性も封印してきたんだと思います。
もう一度、それをよみがえらせるためにも、私は書いていこうと心新たに思いました♪
いつも読んでくださっている方、本当にありがとうございます(^人^)
ものすごく励み・支えになっています。
かなり長期化していますが
是非、読んでくださいね~~♪(・ω・)/