心屋式カウンセリング受けました!その9 | スピリチュアルに生きる!

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吃音・社会(社交)不安障害、脇見恐怖症など心の病で長年悩んできました。
問題だと思っていた事は問題ではなかったと気づき、今、自分の生きたい人生を創っています♪(*^^*)
夢の中で遊びます♪だってここは夢の中なんだから♪(*^^*)


答えもちゃんとわかってるのに、吃音だったから言えませんでした(>_<)

本当はちゃんとわかってるのに、『わかってる』 ってことすら言えませんでした(>_<)

でも、『ちゃんとわかってる』 ってことを 私は知っていたんですよね。




私は、『言えなかった』 『できない子と思われた』 というところに注目して、

自分を責めているけど、

言えなかっただけで、ちゃんと自分は 『わかっていた』 し、『できていた』 という所を

ちゃんと自分で認めていないんだ、というのをカウンセラーさんは教えてくれました。

そこは、ちゃんと自分をほめてあげていいところなんだと教えてくれました。





他人にわかってもらえないのが悔しいんですよね?とカウンセラーさん。


そうなんです。


その通りなんです(>_<)


そして、今度は逆をいきますね、とまた魔法の言葉が始まりました。







バカにされてもいい



できないやつと思われてもいい



頭が悪いやつと思われてもいい



気が弱いってバレてもいい



だって気が弱いもん



本当はビクビクしているもん



それが本当の私だもん



バレないように隠してたけど



実はバレてるもん



みんな知ってるもん



もうとっくにバレてる



あ~~~知らなかったぁ~~~



バレてないと思っていたのは私だけだった





カウンセラーさん 『これどんな感じがしますか?』



私      『いやぁ~~う~~~ん。


        (私はけっこうすぐに言葉を出さずに考えてから話すタイプらしくあせる

           録音を聞いていると、うーーーーん、と考えている時間がけっこうありますあせる

           本当に自分がそう感じているのか、自分に確かめている感じというか・・・。

           こういう所もけっこう真面目だなぁ・・・と自分で思いましたあせる


        前よりは抵抗なく言えたかな、と思います。


        弱いのは弱いんだ、と思えてきているのかな。


        でも・・・やっぱり、バレてるんだろうな、とは思うけど・・・


        なるべくなら、バレたくないし弱いところを見せたくないし、


        まだ強がってるんだな、と感じましたあせる





私はずっと、吃音を隠して生きてきたんですが、


今までに、友達に、吃音なんだ、ということを話したことはあるんです。


だけど、やっぱり、詳しい話まではしたことはなくて、


どんな風に困ってる、とか、辛いんだ、とか、


そういう相手の負担(重荷?)になるかもしれない、って思うことは言えずにきました( p_q)





一応、私の吃音は、表面的には軽い方だと思います。


吃音仲間にも、軽い、と言われることがあります。


でもそれは、私が隠しているからというのもあるからであって、


心理的には、そうやって言葉の言い替えや隠そうとしているというのは吃音の中でも


重度なんだ、と知り、とても納得しています。





吃音というのは、とても複雑で、表面的に吃音とわからなければ軽いのか?というと


そうではないんです。


いかにも吃音だとわかる人の方が重度だと思うかもしれませんが、


心理的に見ると、隠してないという面では、軽度なのかもしれないし、


隠しようがない吃音の人だけど、心理的にも隠そうとしていて、


表面的にも重度、心理的にも重度、という人もいると思います。


一番キツイのは、その表面的にも重度、心理的にも重度、という人かもしれません。






私は今まで、いろんなタイプの吃音者に会ってきましたが、


表面的に重度的な人に、


『オレたちを見て、自分は軽くてよかった、と思ってるんだろ?』 と言われたことがあります(>_<)


それは、私が高校生の時に言われた言葉でしたが、


ものすごくショックでした(T_T)


確かに、言葉がなかなか出てこない人はいろんな面で大変だと思います。


言葉のほとんどがスムーズに出せない人にとっては、


私のように言葉の1割、2割程度がうまく話せないだけなんて、


自分たちとは辛さが違う、と思ってしまうのかもしれません。





確かに、私の心の中に、自分は軽くてよかった、という気持ちが全くなかったかと言われれば


やっぱりどこかで、私はまだ話せる方でよかった、と思ってしまう所があったかもしれないんだけど、


吃音の辛さは一緒だと思っていたし、


軽いからって、悩みが軽いとは限らないし、


軽いからなりの苦悩もあるんだ、というのもありましたが、


同じ吃音者に言われたことがショックでした(>_<)


私だけが言われたわけではなくて、私を含め、軽いと思われていた吃音者たちが言われたんですが、


吃音者同士の間でも、差別があるんだな、と思いました。





その表面的に重度だった人は、そう言わずにはいられないぐらい、辛かったんだと思います(>_<)


表面的に軽そうな私たちを見て、やりきれない思いもあったんだと思います。


でも、表面的に軽いからって、悩みが軽いわけじゃない、


心理的には重度の人もいる、と知って、


ちょっとホッとできました。


重度と言われてホッとする人なんていないと思いますが、


表面的に軽いだけに、わかってもらえない苦脳っていうのもあるんです(>_<)


大したことないでしょ、って思われてしまう。


そうなると、これまた、ものすごく悩んでるんです、っていうのが言えなくなるんです( p_q)


軽いのに、こんなことで悩んでる私はバチ当たりだ、感謝が足りん、とかね。






でも、隠そうとしている、という面で、吃音としては重度なんだ、と知って、


どこかホッとする自分がいるんですよね~~~。


私がずっと悩んできたことは、やっぱり軽いものではなくて、


それだけ苦脳する重度のものなんだ、と認めてもらえたみたいな気がして・・・・。


不思議ですよね。


悩みとしては、軽い方が喜ぶべきことなのかもしれないのに、


重度と言われてどこか喜んでいる自分がいるなんて(;´▽`A``


でも、それだけ、わかってもらえない悩みで、苦悩してきた自分がいるからだと思います。


同じ吃音者同士でもわかりあえなくて、


軽いからこそ、それこそ軽視されてきたところがあります。





書きたかったことがまたズレてきてしまいましたあせる


まだまだつづきますよ~~~(・ω・)/長期化してる~~(+_+)