吃音関係の記事です↓
面接官は、吃音者を「コミュニケーション能力不足」と勘違いしてはいけない
■いつから「噛む」ことが笑いを誘うようになったのか
■吃音は就職活動で大きな壁になってきた
■「滑舌悪い芸人」がはらんでいる危険性
■企業は兎にも角にも、コミュニケーション能力を求める
■吃音を正しく理解するために
以上の内容が書かれています。
吃音症のために、就職面接がうまくいかない、持っている能力をアピールできない、
能力がないとみなされてしまう、などなどいろんな問題があると思います。
記事に書かれていますが、企業のほとんどが、採用時に 『コミュニケーション能力』 を
最重要視しているそうです。
企業が求めるのは兎にも角にも、コミュニケーション能力。
とってもざっくりとした便利な言葉だが、具体的にほぐしていけば、
そこでは「対面した相手と、建設的に正しく話す事ができるか」が最低ラインとして設定される。
と書かれていますが、これが出来ない吃音者は最低ラインから外れるということにもなりかねません。
うまく話せないだけで、仕事はちゃんとできるのに・・・。
でも、話すことも仕事のうち、だと思うと、なんとも言えませんが・・・
面接の時点でうまくいかずに、就職するのが困難な吃音者も多いと思います。
就職してからも、理解してもらえず、人によっては困難がまっているのです(>_<)
でも、面接時もそうですが、吃音であることを事前に伝えるとか、
就職してからも、吃音であることを包み隠さず、アピールしていき、援助をしてもらう、
ということはできないんだろうか?とか、思ってしまいます。
吃音であることを伝えた時点で、不採用となる会社であれば、縁がなかったとあきらめるしかない
のではないかな、と思いました。
その辺も、吃音に対する捉え方にもよりますが、非吃音者と同じと思って面接を
受ける必要ないんじゃないかと思うんです。
吃音があるのは、まぎれもない事実であり、現時点ではどうしようもないと思うんです。
吃音の症状にもよりますが、いつ出るかわからないし、出ずにうまくいくかもしれないし、
ほとんどの言葉に対して出てしまって、話自体するのが困難な人もいるし、
それは人によっても違いますが、それをそのまま認めるしかないんじゃないかって気がするんです。
それで、仕事に支障が出てくることもあるかもしれない、っていうのを理解してもらった上で
採用してもらわないと、あとあと本当に苦労が待っているような気がします。
私は、今、専業主婦ですが、また仕事をすることになった場合、
話すことが仕事の支障になりそうな職種だったら、事前にちゃんと話そうと思っています。
それで不採用ならば、それはもう受け入れるしかないと思っています。
やっぱり、吃音があるっていうのは、障害があるのと同じことだと思うからです。
でも実際、全く話さなくてもいい仕事なんて、ないだろうし、
仕事はできても、仕事仲間とのコミュニケーションがとれなくて一人ぼっちになってしまう可能性もあるんです(>_<)
それは吃音者にかぎらず、誰にでも起こることかもしれませんが・・・。
吃音者の就職問題は、簡単に言ってしまえるようなものではないのと思うので、
実際今働いておらず、吃音を隠してばかりいた私が言うのは全く説得力などないと思います(>_<)
でも、私はなによりも、吃音者が吃音者としての自信を取り戻す方が大事じゃないかと思います。
吃音があってもいいんだ、ってところをベースにしないと、何をやってもうまくいかない気がします。
吃音があるからと言って、生きていちゃいけないわけではないし、
価値がないわけではないんです。
でも、吃音を理解してくれず、能力を認めてくれない社会がある、っていうのも確かにそうかもしれないって思います。
だけど、なによりも、一番、吃音者自身がが吃音をどう捉えているか?の方が私は大事だと思います。
吃音症という病気のような障害があるんだ、っていうのを伝えて理解してもらうのも大事だけど、
吃音者自身が、自分の価値をちゃんと認めていくのも大事だと思います。
生きていく上で、コミュニケーションに障害があるっていうのは、とても大変なことだと思います。
しかも、話言葉以外の言語を獲得していない吃音者。
非吃音者と同じように話言葉が主流の社会の中で生きていくのは、大変です。
だけど、絶対に生きる道はある。
私はこうしてブログで言いたい事を吐き出しているときは、とても流暢に話せているような気がして、
とても嬉しいんです。
だから、ブログを書くのをやめられないのかもしれません。
でも、だったら、インターネット上で、コミュニケーションをとることは可能ということです。
社会では無理でも、ネット上であれば、コミュニケーションはできるはずです。
いろんなコミュニケーションがあっていいし、なんなら仕事もネットの世界でしたらいい。
話すことが必要になってきたら、その分野は得意な人に頼めばいい。
自分の能力が発揮できるような場所を、もっと広い視野で探せばいいのかもしれないって思います。
それが簡単かどうかはわかりませんが、障害を持っている人はみんなきっと苦労されている気がするんです。
非吃音者のように生きたい、同じように認めて欲しい、って私は思ってきたんですが、
明らかに非吃音者ではなくて、吃音者なんです。
その事実をちゃんと見て、ちゃんと認めていく。
そして、障害のあることが劣っているわけではないことを、吃音者自身が心から理解する。
吃音がある=劣っていてダメな人間だ
っていう図式があるんじゃないかと思うんです。
私がそうだからです(。>0<。)
そこがイコールではないんだ、というのを、心から理解していくのが大事かなって思いました。
でも、おそらく、吃音者はいろいろな場面でバカにされたりして、とても傷ついてきています。
私は吃音者は繊細な心の持ち主の人が多いと思っているんですが、
繊細だからこそ、受けた傷も大きいだろうし、大きなダメージを受けて身も心もボロボロになってしまった人が多いと思います。
まずは、その傷ついた身体(心)を癒していく。
自分の価値を認めれらないことが多かった人生ですが、
今度は自分が自分で価値を認めていく。
そうやって吃音者が自分の価値をどう感じているか、が変わらないと、
就職面接でも自分のことをアピールできないと思うんです。
相手が価値を決めるんじゃなくて、
自分が価値を決める。
自分が思っている自分の価値が、そのまま社会に投影されて、それで苦脳しているのではないか?
と思うところもあるんです。
だって、人生は自分で創っていますから・・・。
それでもどうしても働き口がなかったら・・・・最後は生活保護に頼るしかないと思います。
私はそう思って、何かあったときは頼ろうと思っています。
最低限、生きる道は確保されている日本。
だけど、生きる価値なんてないんじゃないかと思ってしまう吃音者は多いと思います。
それは、理解してくれない社会、っていうのもあるかもしれないけど、
なによりも、自分が自分の価値を認められない、認めてこれる状況じゃなかったんじゃないか?
自分には価値がないと勘違いしてしまっただけなんじゃないかって思うんです。
まず、自分の価値を取り戻すことが大事かな、と思いました。
吃音がある=劣っていてダメな人間だ
(みんながみんなそう思ってるわけではないと思います。私が自分のことをそう思っているんです)
ここを変えていきたいです。