前記事に、別記事にしようと思っていた文章が混じってしまい、
誤解を与えてしまったところがあったかもしれない・・・と焦っております
読まれてなかったらいいんですが・・・
前記事で紹介した、吃音関係の記事の中に、こういう文章がありました↓
例えば「ヤフー知恵袋」には吃音の症状を持つ就職活動中の学生からの投稿 があり、
「父親は目に涙を浮かばせながら
お前は壁にぶつかるたびに吃音を言い訳にして逃げていると言われました。
お前は普段ちゃんと喋っている、ゆっくり落ち着いて話せば喋れる、いつも黙って聞いてきたが
もうそれを言い訳にしないで前向きに捉えて生活しろ、と言われました」
と切実な悩みを吐露している。
決定的な治療法はないというのに、オマエの努力が足りん、で済まされるわけだ。
↑↑↑
この父親の言葉を聞いて、みなさんはどう思われただろうか?と気になります。
この父親の意見に賛成の方、そうではない方、おそらく分かれると思うんですが、
私の予想では、父親の意見に賛成の人が多いと思うんですよね(^-^;
違うかもしれませんが、私はそう感じています。
このお父さんの言葉に、いろんなものが込められているというか、
私はこの言葉に吃音者を苦しめる全てがつまっているような気がするんです。
こういう考え方が、吃音者を追いつめるんです(>_<)
吃音を理解していない言葉です。
それをわかってほしい。
これを投稿した方は、就職面接のこと、吃音のことで病院に行こうかと悩んでいることを
父親に話したところ、こういう返事がかえってきたんです。
しかもご両親とも、とても心配されていて、応援もしてくれている、というのです。
それなのに、この理解・・・・。
これが現実だろうな、と思います。
これって、まさに私が学校で感じたことと一緒です。
先生方は、息子のことを真剣に考えてくれて、一生懸命だったかもしれません。
だけど、理解できていないです。
理解できてない、ってことに気づいてない。
悪意がないだけに、余計に厄介でした(>_<)
同じことが、吃音にも起こっていると思います。
それだけ、見えない障害は理解してもらうのが困難なんだと思います。
この父親の意見に賛成、という方は、吃音のことを理解していない人だと思います。
どうやったら理解してもらえるのか、私も考えていきたいですが、
どうして理解できないのかも、是非考えてもらえたらなぁと思ってしまいます。