私は、吃音症(難発性)です。
以前は楽に言えていた言葉(音)が、今は言いづらくなった、とか、
その逆もありで、
調子のいいとき、悪いときの波もかなりあります。
どういう時にいいのか?悪いのか?
はっきり言ってよくわかりません(>_<)
最近の私は、母音(あ・い・う・え・お)がとても言いづらいです。
他にも、言いづらい音はありますが、昔は母音に関しては言えていたのに、
最近は言えなくなりました(>_<)
母音が頭につく言葉、けっこうあるんですよ~~。
朝の挨拶もそうです。
『おはようございます』
対面だとまだいいんです。
タイミングとか、歩きながら言いやすいリズムを作ったり、その勢いを使って声を出したり・・・
っていうのが出来るんですが、
電話は声だけで勝負なので、そういうのができないんです(>_<)
でも、朝電話してるんだから、『おはようございます』 って言うのが礼儀だよなぁ・・・って思うと
言わないわけにいかないし、しかも、最近は(前からかもしれませんがあまり電話に慣れていないので知らないのですが)
『今、話してもいいですか?』 とか、『お時間大丈夫ですか?』 みたいに気づかいの言葉を言うじゃないですか。
それって、たいてい母音で始まるんです
挨拶の壁を乗り越えたとしても、まだこの気づかいの言葉が残っている・・・
あ、そうそう、その前に自分の名前を名乗らなくちゃいけない・・・
私の名前も言いづらい音です。
けっこう吃音者には嫌われる名字しております
旧姓も実は同じ音で始まる名字でした。
名前には小さい頃から苦労させられていますが、なんとかしのいでおります。。。
結婚するときに、言いづらい名字の人とは結婚できないな、と思っていました。
結果として、吃音者(全てではありませんが)に苦手とされる名字になってしまいましたが、
旧姓が全く同じ音で、多少扱いに慣れていた、というのがあったからまだよかったのかもしれません。
息子の名前を考えるときも、言いやすい名前かどうか、意識しながら決めました。
だって、母親だとどうしても、いろんな場面で子供の名前を言わなくちゃなりません。
息子本人に対してもそうだし、病院だったり、学校だったり、友達だったり、
いろんな場面で言う機会が多いのに、その度に苦しい思いをするのは耐えられないって思ったからです(ノДT)
一生ついて回る名前、息子の名前も満足に呼べないなんて、こんな辛いことはない・・・(T_T)
と思って、言いづらい名前だったらやめておこうと私は思っていました。
でも、そのことを旦那には言えませんでした・・・
だって、言いやすさよりも、息子のためを思って考えた名前にするのが当然だと思うからです
私の言いやすさで決める部分が何パーセントかあるのか、と思うと、
申し訳なくて、申し訳なくて、申し訳なくて・・・・・°・(ノД`)・°・
そんなことをお願いするなんて、できませんでした・・・
だから、言わずに、2人で考えました。
たまたま、つけたいと思った名前が、言いやすい名前だったのでよかったんですが、
でも心のどこかでは、本当はもっと別の名前がつけたかったんじゃないか?
言いやすい名前だと思ったから、賛成したんじゃないか?とか、
いろいろ思ってしまうところはありました。
でも、画数もみて、バッチリだったのでそれに決めたし、名前に込めた意味にも
愛を込めたつもりです。
それでも、言いやすさを考えなくてはいけなかった所が、やっぱり申し訳なかったなぁ・・・・と
罪悪感を感じずにはいられません・・・
未だにこのことは旦那に言っておりません
もし、旦那のつけたい名前が言いにくい音だったときは、ちゃんと言おうと思っていたんですが、
うまい具合に、言いやすい音の名前で決まったので、言う機会を失ったんですが、
今思えば、言ってもよかったんですよね・・・。
理解してもらってもよかったのかもしれませんが・・・・。
なんだか私の勝手で、子供の名前まで自由に決められない、なんてことが
申し訳なさすぎて、言えませんでした・・・。゚(T^T)゚。
でも、今でも言いやすい名前である、ってことは、本当によかったなぁと思います。
子供の名前を言うたびに、不安がやってきたり、苦しかったりするなんて、
それが一生つきまとうかもしれないなんて、やっぱり私には悲しすぎるからです(T_T)
こんなこと、非吃音者には理解しがたいことだと思います。
でも、吃音者にはあっても不思議ではないことです(>_<)
ブロ友さんの記事で同じようなことが書かれているのを読んだ時には、
正直ホッとしました。
もし、吃音が障害であるならば、そういう選択でも仕方なかった、と思えるんじゃないかな?と思いました。
だって、言えない音をわざわざ自分の子供につけるなんて、
親が障害者ならしないでしょう。。。
だって、子供の名前を呼べないんですから・・・。
言える音の名前なら、呼べるんですから・・・。
だけど、吃音が障害なのかどうかわからない、という立ち位置で考えると、
自分の都合で名前をつけたヒドイ親だ・・・・って思ってしまって、
自分を責めてしまいます(ノДT)
そりゃあ私だって、自由に名前をつけたかった。
つけてあげたかった。
でも、吃音が治るかどうかわからないという現在、一生言うのに苦労する名前はどうしても
つけれなかった・・・・
だから、仕方なかった・・・・・って、なんとか思いたいけど、
やっぱり、ごめんね・・・って責めてしまう気持ちが残ってしまう。。。
おそらく、悩んでいる吃音者はそうじゃないでしょうか?
開き直れない。
でも、責めていたってしょうがない。
吃音者は、自分を責めてしまうことがものすごく多いと思います。
ここを変えるというか、責めなくてもいいんだ、ってことにしないと、
悪のスパイラルから抜け出せないような気がします。
強い自己否定がものすごくあるのを感じています。