悩みを言えるって大事だなぁ。 | スピリチュアルに生きる!

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吃音・社会(社交)不安障害、脇見恐怖症など心の病で長年悩んできました。
問題だと思っていた事は問題ではなかったと気づき、今、自分の生きたい人生を創っています♪(*^^*)
夢の中で遊びます♪だってここは夢の中なんだから♪(*^^*)

今でこそ、こうしてブログで私は吃音で、脇見恐怖症で、社交不安障害です、って


ハッキリ言えていますが、ここまで来るまでにとても長い時間がかかりました。


ブログと言えど、私はなかなか書くことができませんでした(>_<)


吃音に関しては、仲間もたくさんいるし、若い頃よりは受け入れられてきた(多少開き直り?)


ところもあるのか、そんなに抵抗なく書けた気はしますが、


若い頃なんて、『吃音』 『どもり』 なんていう文字を見るだけでもダメだったし、


自分がそれを言葉に出して言うこともあり得ないぐらい、拒否していました(ノ◇≦。)


吃音のことを誰かに相談したこともなかったですし、母親に言ってもまともに聞いてくれず、


治すためにいろんな相談機関を探すわけでもなく、気にするなで終わりでした。


私の時代にあったかどうかわかりませんが、言葉の教室とか、あったかもしれないのに、


私は誰にも言えずに、1人で抱え込んで、自分でなんとかしないといけないと思っていました。






かなり長い間、『吃音』 『どもり』 という言葉が言えませんでした。


吃音だから言えない、っていうんじゃないです。


心理的に言う事ができませんでした(。>0<。)


目をそらしたかったのかもしれないし、認めたくなかったのかもしれないし、


とにかくその言葉に敏感に反応して、シャットアウトしてしまう感じY(>_<、)Y


仲間に対してでも、言えない時期がありました。





『どもり』 より、若干 『吃音』 の方がまだ言いやすかったかもしれません。


でも、『吃音』 自体を知らない人の方が多くて、結局 『どもり』 って言った方が通じたりとか(>_<)


今は、『どもり』 っていう言葉は差別用語になってるのかな?


そういう背景もあるからなのか、かなり抵抗ある言葉でした。






こんな風に、この記事だけでも 『吃音』 『どもり』 をかなり書いていますがあせる


昔の私にしたら、あり得ないことですガーン汗


きっと、当事者でかなり拒否している方は、この記事自体読めないかもしれません(>_<)


だから、こうして書けていること自体、私にとってはミラクル的です。


こんな風に書けるようになるとは、思いませんでした。


以前よりは、受け入れられてきているのかな?






脇見恐怖症のことは、書けないと思っていました(>_<)


まず、脇見恐怖症っていう言葉を知ったのもそんなに前ではありません。


視線恐怖症っていうのは、自分が視線恐怖になる前から知っていましたが、


他者視線恐怖、自己視線恐怖っていうのがあるのも知らなかったし、


その中で私は自己視線恐怖の、脇見恐怖症なんだ、というのがわかったのは、


ほんの数年前ぐらいだと思います。





それまで、私は、自分みたいな悩みは私だけかと思っていたんです(ノДT)


普通の視線恐怖に当てはまらなかったし、こんなことで悩んでいる人なんて


世界中で私1人なんじゃないか・・・って思って、どこか怖かったんです。(´д`lll)


気にしなければいいだけのことかもしれないけど、それにとらわれてしまって、


話したらきっとバカにされるだろうし、まともに取り合ってくれないだろうし、


私はとうとう頭がおかしくなってしまったのか、異常者なのか、人間失格者なのか、


とても怖かったですo(;△;)o


双子の姉にも言えませんでした。。。





なんでも話せるはずの、なんでもわかってくれるであろう双子の姉にさえ、


私は言えずに、1人でずっと悩み続けました。


どうして姉に言えなかったのか?


姉との間にもいろんなことがあるんですが、おそらく、言ってもわかってくれないっていう


勝手な私の思い込み(過去にいろいろあったんですけどね)だったり、


吃音と一緒で、そのことを口にすることすら出来なかった、というのがあったからだと思います。


今は言えるようになりました。





こうしてブログでも書くことが出来るようになりました。


以前の私にしてみれば、あり得ないことなので、以前よりは受け入れられてきたのかな?


という気がしています。





悩みをカミングアウトする、ってすごく勇気がいります(>_<)


その悩みが一般的に認められている?悩みならまだいいんです。


でも、吃音にしても脇見恐怖にしても、マイナーすぎる悩みというか、


そうそういないんですよね(>_<)


吃音は100人に1人はいるという割合ですが、脇見恐怖はどうなのかな?


かな~~り少ないと思います(>_<)


実際、私は私以外の脇見恐怖症の人に会ったことがありません。


自助グループみたいなものがあるのかどうかも知らないし、


東京とかではオフ会がされている、という情報を見たことありますが、


とにかく、実際会ったことがありません。


ブログで悩みをつづっているのを読む程度です。






実際会うっていうのも、脇見恐怖症の場合、勇気がいると思います。


吃音は、話す事に対しての悩みなので、脇見恐怖のそれとはまた違うと思います。


(でも、吃音者でも、仲間に会うことはかなり勇気がいることだと思っています)


私は、同じ悩みを持つ相手(脇見恐怖)であっても、実際会うのは怖いです(。>0<。)


でも会ってみたい。


その人に対しても不快な思いをさせてしまわないかが心配ですが、


迷惑かけてもいい精神で、会えるなら会ってみたいなぁと思っています。


自助グループってないのかな?σ(^_^;)






悩みを言えるって、大事だなぁと思います。


でも、言う相手を選ばないとダメかも・・・σ(^_^;)


こういう悩みって、気にしなければいい、って言われるのがオチですから・・・ガーン汗


知らない人にとっては、それしか言えないと思います(>_<)


気にしすぎだよ~~~って、言ってしまうことだろうなぁと思います。


それで当然だと思います。


でも、言われたこっちとしては、ガックリくるんですよね・・・(´□`。)


気にしないことが出来ないから悩んでいるわけです(>_<)


でもいいんです。


私も自分がこういう悩みじゃなかったら、きっとそう言ってしまっていたと思うんです。


ただ、専門家(カウンセラー)が言うのは、私の中ではあり得ないですけどね・・・(゜д゜;)


カウンセラーとか、セラピストさんと言われる、人の悩みを聞くという立場の人が言うのは


勘弁して欲しいです・・・。





どうせ、気にしなかったらいい、って言われるんだろうな・・・・って思ってたのかな?私。


だから、相談できなかったのかもしれないなぁ。


相談する相手をちゃんと見極めればよかったのかもしれません。


もっと、広い視野を持てばよかったのかもしれないですね。





悩みを1人で抱え込まないって大事ですね。


ブログでもなんでもいいから、吐き出すって大事だなぁと思います。


そして、できたら、仲間とつながる。


自分1人じゃないんだ、っていうのがすごく励みになると思います。


脇見恐怖症の人と、つながりたいなぁ~~と思う今日この頃ですσ(^_^;)