『ジーッと見てしまう』 シリーズ?を書いていますが、
私という人間のクセとか、考え方・感じ方・思い方などなど、
少しずつ明らかになってきたなぁ、と思います。
自分を解体していくような感じ?
ぐちゃぐちゃになってしまった糸を少しずつほぐしていく作業というか、
もうどうにもならない、元には戻らない、って絶望していたけれど、
少しずつ整理されてきて、元の姿(ありのままで愛される私)が見えてきたというか、
私自身はそう悪くなかったんじゃないの?って気がしてきました。
ぐちゃぐちゃになってしまった糸っていうのは、『思考』だったり、『思い込み』 『勘違い』
だったりするのかな、と思います。
最初はちょっとだけ絡まっていただけなのに、
それをほどこうと一生懸命がんばりすぎた結果、余計にぐちゃぐちゃになってしまった感じ。
しかも、1人でその作業をやってきてしまった・・・。
こんなこと、誰にも言えない。
誰もわかってくれないに違いない。
大したことない悩みって言われるに違いない。
『気にしなかったらいい』 で済まされる。
こんなことで悩むような弱い心ではいけない。
もっと強くならないといけない。
人を頼るような甘い人間ではいけない。
こうあるべき、~してはいけない。
いろんなものさしや禁止令で、自分をがんじがらめにしてしまいました(/ω\)
それらが私から自由をうばうギプスとなって、心がいつも制限されているような苦しさに
つながっていたんだと思います。
ギプスのことを考えていたとき、タロットカードのソード8が思い浮かびました。
目隠しをして、体はグルグル巻きにされて身動きもとれない状態です。
私はこのカードがよく出ます。
ギプスをしている状態って、まるでこのカードみたいって思いました。
精神的にこんな状態で、東京行ってきたんです。(´д`lll)
よく行けたなぁ・・・
しかも、日常生活でもこれです
でも、グルグル巻きになっている包帯の正体がわかってきたような気がします。
私が自分に出している禁止令だったり、ヘドロだったりするんだと思います。
最近、これがヘドロだっていうのも、自覚できてきたんです。
なんだか嫌だったなぁ・・・とか、モヤモヤする気持ち、苦しい気持ち、辛い気持ちを
ノートに書き出すと、ほとんどが、自分に対する評価だったり、大事にされてないと思う気持ちだったりするんです。
それは全部、私が私のことをそう思っているんですよね( p_q)
自分が自分にそう言ってるし、思っているし、ヘドロのようなものをいつもかけているんです。
そして、いろいろ考えていくと、それは親の口ぐせだったり、いつも耳にしていた言葉だったりするんですよね(ノ◇≦。)
とにかく、ヘドロをかけるのを止めたら、とりあえず辛い気持ちは少なくなるんじゃないか?と思いました。
禁止令をやめてみる、とか。
私の場合、『人を見てはいけない』 っていう強い禁止令がかかっているので、
それを中和するために、とりあえず、『見てもいい』 っていうのをつぶやこうかなと思っています。
でも、これでよくなるとは思えないんですよね。
結局のところ、『人を見る』 ということに対して、どっちにしても意識がそこに向いているというのは
改善にならないと思うんです。
今度は、見てもいい、が見なくちゃいけない、になってしまう可能性もあるわけです(>_<)
私の場合、気をつけておかないと、いつの間にかそれが禁止令とかねばならないになってしまうので
そこに注意が必要だし、
なによりも、人を見る、ということに対して、意識しない状態が一番いいと思うんです。
見てはいけない、とか、見てもいい、とかじゃなくて。
ある意味、どうでもいいし、どっちでもいいし、そういうことを全く意識しない状態が理想だよなぁと思います。
吃音でもそうだと思います。
話すことに対して、意識しない状態が私は理想だと思っています。
でも、吃音であるかぎり、意識するからそうなっているわけで、これを意識しないでおこう
とするのも、そこに意識を向けていることになるんですよね(>_<)
ややこしいですけども・・・
視線にしても、話すことにしても、みんなは無意識にやっていることなんです。
見ようと思って見てるわけではないし、話そうと思った瞬間、何も考えずに言葉が出てくるんです。
なのに、それを意識してしまうから、自然じゃなくなってしまうんだと思います。
意識してしまったものを、意識しないようにする、っていうのがなかなかできない(T▽T;)
なぜなら、意識しないようにっていうところに意識が向いてしまうからです(>_<)
赤いリンゴをイメージしないでください、って言ったら余計に赤いリンゴを思い浮かべてしまうように、
ダメって言うほど、それをやってしまうし、意識がそこへ向いてしまうんだと思います。
その悪循環で、私は禁止令を出せば出すほど、ひどくなっていったと思います。
でも、今はとりあえず、バランスが崩れたものを元に戻すために、
『見てもいい』 とつぶやいていこうと思います。
最近、そうつぶやきながら外出しているんですけどね。。。
実際は半パニック状態なので、必死になって 『見てもいい』 をつぶやいてしまうし、
見てもいいけど怖いよぉ~~~(T▽T;)っていう感じですY(>_<、)Y
体が覚えているというのか、反応してしまうっていうか、
カチーーーーンと緊張しているし、呼吸も止まっていたりします(x_x;)
あ、そうそう。
『見てはいけない』 という禁止令のある私ですが、
人と話をするときは目を見て話す、っていう 『こうあるべき』 が入っているので、
それにも縛られていたりします(>_<)
目を見て話さなきゃいけないけど、ジーッと見てもいけない、って感じで
さらにややこしい感じになっています(/TДT)/
だから、適度に視線をそらさないとジーッと見てしまうことになるし、
そらせすぎも失礼かもしれないし・・・・ってこれまた考えすぎて
何秒ぐらいでそらせるべきだろうか?とかまで考えてしまったりとか
本当に、ノイローゼ的な思考回路しています。゚(T^T)゚。
こんなの、かなり疲れますよねo(;△;)o
そうです、だから、人と接するのが億劫にもなるんだと思います・・・
でも、人は好きです。
話に夢中になっている時は、意識してないので大丈夫だったりもするんですが、
ひとたび意識してなかった、ってことに気がつくと、途端にダメになったりします(>_<)
吃音でもそうです。
吃音のことを忘れる瞬間もあるんです。
でも、ひとたび、あれ?どもってないぞ?って気がついた瞬間、途端に意識してしまって
吃音になってしまったりします。
気がついた途端、不安が急激に襲ってくる感じです。
この不安を手放すことができたら・・・・・・いいのかもなぁ・・・・(´・ω・`)
いろんなことが、まだ実験段階ですが(実験なのか?)、解決策を探っていきたいと思っています。
またまた長くなってしまいましたが、とりあえず、このシリーズは完結とします~~♪
長々とおつき合いいただき、本当にありがとうございました