前記事 の続きです(・ω・)/
私にはもっと他の方法がいいんじゃないか?(感情をノートに書き出す方法とは違うやり方)
同じことをもっと別のやり方でできないだろうか?
と考えました。
それに、ブログで自己開示することで、何か得られるかもしれない、と思って、
ブログにいろいろと書きつづることにしました。
それから一年、そのもうちょっと前からですが、カウンセリングにも通っていたし、
よく泣いていました。
セラピーを受けて泣いたり、それまでよりは、感情を出すことができていたと思います。
でも、なんだかスッキリしない・・・。
怒りを出せていたか?というと、そんなに出せてなかったと思います。
どこかで親をかばってしまう。
あの時は一人で大変だったんだ、とか、父親がギャンブル依存で大変だったんだ、
母親はもとから神経質だから余計に大変だったんだ、苦労したんだ、
私たちが育てにくかったからだ、仕方のなかったことなんだ、などなど・・・。
どうしても正当化してしまって、責めるなんて母が可哀想な気がして、
バチ当たりな気がして、余計に怒ることができませんでした。
でも、怒りがなくなったわけではありませんでした。
私は怒りなんて持ってない、ってそう思っていましたが、時々出てくる猛烈な怒り。
しかも、それは親に向かわずに、他人に向かってしまう。
まさかそれが、親に向けられないから他人に八つ当たりしていただなんて・・・・。
もしかしてそうかもしれない・・・・と気づいてから、こんなに怒りを持っていたのか?と驚きました。
そしたら、心屋さんの本に、本当にそれは八つ当たりなんだということが書いてありましたΣ(・ω・ノ)ノ!
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やっぱりそうなんだ・・・
だから、私は感情の書き出しのやり方を変えました。
親に対してじゃなくて、とにかく腹が立ったり、心が波立ったときに、その感情を書き出すことにしました。
私は勘違いしていたんだと思います。
親に対してのことしか書いちゃいけない、と勝手に思い込んでいました・・・
親に対しての感情じゃないと意味がない、とか、ダメなんだ、って勝手に思ってました
私にはそれができないんだから、もっと違うやり方を考えたらよかったし、
誰に、とか関係なくて、その時の自分の感情を感じきることをやればよかったんだ、と。
一応、出て来たものはどんな感情でも感じてもいい、と許可してあげることはやっていました。
でも、ノートに書きだす、という作業は、親に対して限定、だと思っていたので、できていませんでした。
今頃になって気づくなんて遅いんですが
今は、怒りなど、心がザワザワしたことを書きつづっています。
なんか腹立つわ~~。なんか感じ悪いわ~~~。なんでそんな事言われやなあかんの?!
と、あらゆる暴言的なことも書いています。
そこから、自分が見えてきます。
私って、自分のことそんな風に思われる人だって思ってたんだ~~~とか。
誰も言ってない。
ほとんど推論。
そして、私をもっと大事にしてよ~~~~って言いたい自分。
認めて欲しい自分。
なんでわかってくれへんの??と求める自分。
全部、親に対してこう思ってたんだな~~~ってことに気づきました。
そこから、過去に自然につながって、そういえばこんな事思ったなぁ、こんな事もあったなぁ、
と思い出せています。(親との関係で)
まだ、親を責めるまでの感情は出てきてないですが、もしかしたら出てくるかもしれないし、
それはわからないけど、とにかく私の他人に対して出てくる感情のほとんどは
親に対してなんだ、ってことがわかったので、そのつもりで感情の書き出しをやっています。
雲黒斎さんの本にも、感情について、こう書いています。↓
実は怒りも悲しみも、外側から訪れるのではありません。
あなたを怒らせた出来事や、悲しませた出来事が、あなたに感情を与えたのではありません。
それらの出来事は、もともとあなたの中にあった感情を、アウトプットするきっかけを与えたにすぎません。
ですから、その出来事がなかったとしても、解放する予定の感情が、心の中にあるならば、
別な出来事が引き金となって、やっぱり怒ったり悲しんだりすることになるのです。
このことが理解できると、少なからず出来事に対する恨みはなくなっていきます。
「加害者」に見えていた人が、「解放のきっかけを担ってくれた人」に切り替わります。
そのきっかけづくりは、”その人”じゃなくてもよかったのですから。
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↑↑↑
私の中にもともとあった 『怒り』。
きっとそれは親に対して感じたものだったと思います。
でも、感じたくなかったから、封印してしまった。
だけど、消えてなくなったわけじゃなくて、ずっとありました。
一応ないことにしていたので、あることにも気づいてませんでしたが、
なにかのきっかけで、強烈な怒りが湧きあがってきていました。
それでも、気づきませんでした・・・・
それが、封印していた親に対する怒りだったなんて・・・
きっかけとなった出来事が問題なんじゃなくて、その出来事は、私の中に未消化の怒りがあるのを
教えてくれていたんですね。
心屋さんは、そういう人・出来事のことを 『師匠』 と言っていました。言ってたと思います、確か・・・。
加害者どころか、『師匠』 だったなんて
私けっこう師匠いっぱいいるなぁ~~~(;´▽`A``
旦那もそうだし、息子もそうかもしれません
感情が出て来たときは、それを消化するチャンス
腹が立った時は、チャンスと思って書き出して、感じ切っていこうと思います
親に対しての怒りなんだ、とイメージしながら・・・。
親に対してじゃない怒りなら、どんどん出せるんです。
黒いもの、いっぱい持ってます
いっぱい持ってるなんて悪いやつだ・・・とか、ダメな人間だ・・・なんて思ってしまいがちだけど、
そういう評価はもうしない。
そんなこと言ってても、黒いものはなくならないもん(´・ω・`)
もうこれは、持ってること認めて、出していくしかない。
隠しててもしょうがない。
隠してるつもりなんてなかったけど、やっぱり隠してた。
親に対しての怒りを思い出していく、っていうのがタロットの 『審判』 なのかなぁ。
何を封印したんだろう?なんて思っていましたが、怒りを封印した、って自分で書いててビックリしましたΣ(・ω・ノ)ノ!
封印してますやん・・・( ̄_ ̄ i)
自覚もありますやん・・・(-。-;)
きっとそれや
親に対する怒りだと思って、出していきます