先日のAHグループの記事 の続きです。
心の中は悶々としたまま参加したAHグループ。
この気持ちを話そう、と思って、話しました。
怒りはあったと思うけど、怒りと言うよりは悶々としていて自分でもよくわからない、という感覚。
腹が立つ~~~という感じではなくて、ちょっと疲れ気味。
自分の怒りに自分がやられている感じだと思います。
でも、どうしたらいいのかわからない。
私は悪くない、って思ってしまうのも本当だし、
別に学校に行けないのなら、不登校でもかまわない、というのも本当。
でも、本当にそれでいいのか?という葛藤。
私は自分と向き合えてないんだろう、って思うのも本当。
でも、向き合わなくてもいいんじゃないのか?っていうのも本当。
相手のせいにしてる、っていうのも本当。
でも、相手のせいでしょ、って思ってしまうのも本当。
いろんな葛藤があって、よくわからなくなっていました。
そんな気持ちを話して、話しても全然スッキリなんてしませんでしたが、
話終わってから一枚カードを引きました。
人を傷つける考えを全て変えることを選べる
考えの中には、自分を傷つけるものも、自分の力になるものもあります。
自分の頭で何を考えるかを常に選んでいるのは私自身です。
ほかの人はだれも私の代わりに選んでくれないからです。
私は愛のある考え以外は全て手放すことを選びます。
今日、私の全ての考えを、自分自身で他人への怖れ・罪悪感・非難から解放することを決意します。
そのためにこうくり返します。
人を傷つける全ての考えを変えることを選べる。
うわ~~~~って思いました。
そうかぁ・・・私は人を傷つける考えを選んでいたのかぁ・・・と。
そんなつもりはなくて、どっちかと言うと、私は被害者だ、くらいに思っていました。
だから、自分を守る意味で怒りを出しているようなつもりだったのに(意識はしてませんが)
それが人を傷つける考えだったのかぁ・・・・と。。。
私が自分を正当化すれば、そうじゃない人を傷つけるんだなぁ、と。
私が、自分の正しさを主張するってことは、間違っている人がいる、ってことを主張しているんだなぁ、と。
確かに私は、被害者をずっと演じてきたところがあるので、
こんなに私は傷ついたんだ、というのを武器に相手を攻撃しているかもしれないなぁと思いました。
これって、コントロールドラマっていうんですよね。
その時によって立場は変わるかもしれないけど、学校との場合、私は被害者を演じているんだろうなぁと思いました。
被害者を演じていても、何もいいことないんですよね。
人を傷つけ、自分も傷つく。
私はその考えを選択することができるんだなぁ、と思いました。
でも、それでも、その考えを手放せそうにない自分がいました。
その方がいいよな、って思うのに、なんでだろう?自分の正しさにしがみつきたくなるんです。
自分でもそれがなんなのかわからない。
自分に向き合えない人って、自分でもなんでかよくわかってないんじゃないかと思います。
意識して、そうしているわけではなくて、よくわからないけど嫌なんだ、っていうところもあるんじゃないかなぁ。
今日は、AHグループで話しても、気づけないかなぁ・・・って気がしました。
悶々としたまま、帰るのかなぁ、って。
他の人の話を聞いていると、不思議な事に自分の抱えてるものとつながりがあったりして、
聞いているだけですごく気づけたりするんです。
そんな中、私許せてないよなぁ、って思いました。
きっと、幼稚園をやめたことをまだ引きずっているんだと思います。
納得したつもりだったけど、許せてないのかなぁ、って気がしました。
その許せない思いは、きっと親につながっているのかもしれませんが
でも、やっぱり許せないものは、許せないんです。
どこまでも頑固な私です
次に私が話す番の時に、そういうことを言ったかな?ちょっと忘れてしまったけど
どうして許せないのかわからないし、許さなきゃいけないのかがわからない、ということを
言ったような気がします。
そして、最後にまた一枚カードを引きました。
与えることと受け取ることは同じ
与えることと受け取ることは同じことであり、同時に起こります。
自分が与えるものしか受け取ることはできません。
これはどんな状況でも、どんな人間関係でもいえることです。
今日一日、私はやすらぎと愛を受け取りたいので、出会う人すべてに対してこころの中でこう言います。
私はあなたにやすらぎと愛を与え、そして自分でも愛とやすらぎを受け取ります。
やられた~~~~(ノ◇≦。)と思いました
自分が相手にすることは、自分が自分にすることだ、って知っていたのに・・・。
それに、私の心の中をのぞいてみたら、『やすらぎと愛』なんてものが全くなかったんです
そのことに、自分で気がついていませんでした。
気がつこうよ、って感じですが
カードを読んで、ふと心の中をのぞいてみたら、暖かいものがまるでありませんでした
こんな心だったら、自分も辛くなるよなぁって思いました。
相手だけでなく、自分のことも傷つけるっていうのは、このことなんだなぁって思いました。
学校の先生と言い争いとかをしているわけではないけど、
いつも接しているときに、私の心の中は 『やすらぎと愛』 なんてなかったような気がするし、
『怖れ』 とか 『不信感』 、『不安』 の方が大きかったと思います。
先生だけでなく、人全般に対して、こうかもしれません
このカードを読んだ時に、なぜか素直に 『こりゃいかん』 って思えました。
私が悪いわけじゃない、とか、私は被害者だ、とか、そういう気持ちがなくなったわけじゃないんだけど、
とにかく、私が求めてるものが私の中にないなんて、これはいかんな、と思いました。
『やすらぎと愛』 を私は求めているのに、それが全く自分の中にないなんて、ビックリしました。
私が正しいとか、そんなことはもうどうでもいいから、『やすらぎと愛』 を持ってみよう、って思いました。
まだつづきます~~(・ω・)/