わかって欲しかったんだろうなぁ。 | スピリチュアルに生きる!

スピリチュアルに生きる!

吃音・社会(社交)不安障害、脇見恐怖症など心の病で長年悩んできました。
問題だと思っていた事は問題ではなかったと気づき、今、自分の生きたい人生を創っています♪(*^^*)
夢の中で遊びます♪だってここは夢の中なんだから♪(*^^*)

AHグループの続きを書きたいんですが、その前に、前の記事で怒りを吐きだした記事を書きましたが


私は、自分を知るためのプロセスとして、怒りを吐きだしています。


ただ単に、学校の先生が憎いからとか、バカにしたいとか、そういう意味で書いているのではなくて、


私は基本、平和主義で、この世の全ての人と仲良くなりたいと思っています。


そんなの不可能だ、と言われても、いい人ぶっていると言われても、


やっぱり私は、分かり合える時がくると思うし、


私が相手で相手が私であるならば、仲良くできると思っています。


だって、元々一つだったんだもの。





それなのに、どうにも腹が立つことがあったり、反発心が出てきたり、怒りが出てくることがあって、


理解したいのに、それが出来ない時があったり、自分が正しいんだと主張したくなる時がある自分が


私は許せないのです。


そんなダメな自分を認めたくない、という感じかもしれません。


私はいい人のはずなのに・・・ってやつです。


ダメな自分を認めていく、ダメな自分でもいいんだ、と言ってあげることが私の課題の一つでもあるので、


ダメな自分をさらけ出しています。






愚痴や人の悪口を言うことを、私は私に許してあげたけど、


それは、今まで許せてこなかったから、というのもあるし、


自分と向き合うためのプロセスの一つとして、そこを通過したい、という気持ちがあるからです。


吐き出すことで見えてくるものがあると思うからです。


本当は何を求めていたのか?


相手に何かを期待していたのか?


何をわかって欲しかったのか?


それを知るために、感じた怒りをそのまま出してみたい、と思っています。





相手のことが嫌いだからなんじゃなくて、むしろ仲良くしたいからです。


学校の先生のことが嫌いなんじゃないんです。


けっこう怒りを出したくせに、嫌いじゃないなんて本当?と思うかもしれませんが、


本当に嫌いなんじゃないんです。


わかって欲しかったのに、わかってくれなかったことが悲しかったんだと思います。


いろんなことを突き詰めて考えていくと、『わかって欲しかった』 に辿りつくような気がします。


『大事にして欲しかった』 とか。





で、それは本当は親に対して求めたものだったんじゃないか、と思うんです。


本当は、親にそうして欲しかったのに、してもらえなかった。


その怒りを私はずっと持っているんだと思います。


それなら、親にその怒りをぶつけたらいいんだと思うんですが、


親には出せないのです。


親のことが好きだから、出せないんです。


だから、八つ当たりみたいに、他の人に出しているんじゃないか、って思いました。


親には出せないくせに、他の人には出せるなんてねぇ・・・。


って言っても、実際直接本人に言ったりはしてませんよあせる


ここに書いてるような口調で責めたりしているわけではないです。


一応、内弁慶なんで・・・。


心の中の声を、正直に書いてみたら、こうなったという感じです。


こんなこと思ってたんだ~~~と思いながら、書いています。






AHの本に、怒っている人は困っている人、と書いてあるんですが、


私はこの考え方がすごく好きで、本当だなぁと思います。


けっこう人って、悲しんでいる人とか、辛そうな人とか、苦しそうな人に対しては、優しいんですよね。


優しい声をかけたりする気がします。


励ましたり、頑張ってビックリマークとか、応援したりとか、元気になって欲しいなぁっていう気持ちになると思うんです。


でも、怒っている人に対しては、けっこう冷たいよなぁ・・・って気がするんです。


触らぬ神に祟りなし、みたいな感じで、敬遠するというか、


こっちまでとばっちり食うといけないので、近づかないとか、


怒ってる人を助けようなんてなかなか思えないんじゃないか、って思うんです。


怒ってる人に出会うと、こっちまで腹が立ってきたり、勝手に怒っておけば?ってな感じで


放っておくというか、わざわざ近づいて優しい声をかけたり、ってなかなかしないと思うんです。


私がそうだったから、こう書いているんですが、中にはそうじゃない人もいると思うんですが、


少なくとも、私は怒っている人を助けようなんて思わなかったし、


そういう人には近づかない方がいい、と思っていました。





でも、本当は、怒っている人は、助けて欲しいんだと思います。


怒っている人は困っている人、っていうのは本当だなぁ、と思うんです。


本人も気づいてないかもしれませんが、怒っていながら実はものすごく悲しみを抱えていると思います。


本当は泣きたいくらいの気持ちを持っているのに、それを隠して、自分を守るために


怒っているんです。


本当はすごく悲しくて、わかって欲しかったのにわかってもらえなくて、すごく傷ついたのに、


それを感じたくなくて、怒りに変えて隠してしまっているんじゃないかな、と思います。


自分でもそれに気づかないように。





私はきっと、学校の先生にわかって欲しかったんだと思います。


息子のことも、私が今まで頑張ってきたことも。


一生懸命伝えたのに、分かり合えなかったことが悲しかったのです。


私がいろんな葛藤を抱えながら見つけた息子への対処法を、そのまま受け取って欲しかったのに、


学校側は受け取ってくれなかったことが悲しかったんじゃないのかな。


私の言う事を信じてくれなかったことが、悲しかったんじゃないかな。






そして、それはそのまま、私が親に対して思っていたことなんじゃないかと思います。



私の頑張りを認めて欲しかった、とか、私の事を信じて欲しかった、とかにつながっているような気がします。


でも、親には怒りを出せないので、他の人を使って、それを出しているのかもしれないなぁ、と思います。


思いっきり迷惑な話ですがあせる


でも、直接言ってるわけではないのであせる


大目にみて欲しいです~~~あせる






だから、怒りから見えてくるものがあると思うので、こうして恥ずかしながらもブログに書いています。


愚痴や人の悪口から見えてくるものがあると思うので、私は自分にそれを許しました。


だからと言って、推奨しているわけでなくあせる私は、自分を知るためのプロセスの一つとして、


出していきたい、と思っているだけです。


奥底にある本当の気持ちを知るため、という目的のために。







怒っている人がいたら、困っている人と思って欲しいなぁって思います。


『何がそんなに悲しかったの?』


『何をそんなにわかって欲しかったの?』


って、助けを差し伸べられるような社会になったらいいのになぁ。


そんなこと聞いたら、怒っている人は余計に怒ってくるかもしれませんけどねあせる






お前に何がわかるんじゃ~~~!!プンプンむかっ




って言われるかもしれないけど、本当は困っていて、すごく悲しくて、傷ついている人だと私は思います。


はい、私もきっとそんな人です汗なんて都合のいいことを言ってしまったりしてあせる


こんな素直になれない、ダメな私でも、認めていきたいと思います。