愚者になれ その4 | スピリチュアルに生きる!

スピリチュアルに生きる!

吃音・社会(社交)不安障害、脇見恐怖症など心の病で長年悩んできました。
問題だと思っていた事は問題ではなかったと気づき、今、自分の生きたい人生を創っています♪(*^^*)
夢の中で遊びます♪だってここは夢の中なんだから♪(*^^*)

若干話がずれてきた気がしないわけでもないですがあせる


私の中にもギャップがあるなぁ、という話をしました。


そのギャップを埋めたいと思ってきました。


内と外で違いすぎるのはよくないんじゃないか、と思ったからです。




でも、私はリクオの昼と夜のギャップにものすごい魅かれるんです。


特に、夜のリクオ。


昼のリクオは、すごくいい人で何も悪い所なんてないんじゃないかってぐらいなんだけど、


夜のリクオは、敵は多いだろうし、こんな人実際おったら嫌われるわ・・・っていう感じもするし、


えらっそうやし、勝手そうやし、一見冷たく見える・・・・って感じなんだけど、


そこがめちゃくちゃいいんです。


私はめちゃくちゃ好きで、めちゃくちゃカッコいいと思うし、胸がいっぱいになるんです。


実際、夜のリクオはいつもピンチから救ってくれるんです。


ここぞという時には絶対現れて、助けてくれる。


それが、仲間じゃなくても。


人間でも。





でも、昼のリクオと夜のリクオと比べたら、一般受けするのは昼のリクオだと思うんです。


夜のリクオはやっぱりどこか冷たくて、怖い感じ。


いい人には見えない。


ヤクザな感じ。


いい風に言えば、粋って感じですが。







私って、悪い人が好きやったんや・・・、って思いました。


自分の中の悪いところはあかんと思って、なくそうとしてきたけど、


もしかして、そういう所がものすごく好きなのかもしれない、と思いました。


なくそうとしてきた、抑圧してきたけど、そんなことせんでもよかったんと違うのか?


もしかして、そのギャップが魅力だったんじゃないか?


人と違うところが、魅力だったんじゃないのか?と思いました。






そして、どんどん話を進めていく内に、私の中には絶対にない、と思っていたぬらりひょんの要素を


実は自分が持っていた、ということに気づいていくんです。


私の中に、ぬらりひょんが持っているカッコいい部分があるなんて、ビックリでした。


絶対にない、と思っていたのに。


私は私が大好きやったんかもしれない、と思いました。


私の中にそういうカッコいい部分があるから、ぬらりひょんに心惹かれて仕方ないのかもしれません。


でも、そんなのがあったなんて、自分で忘れてる。


忘れてるどころか、あかん所やと思って、抑えてる。


封印して、いい人になろうとしてる。


昼間のリクオのように。


それがいいことなんだ、と思ってる。






でも、私の中に、ものすごく悪い部分があるんです。(いいも悪いもないけど、勝手な部分とか)


中高生のときは、それが色濃く出ていました。


好き嫌いはハッキリしていたし、物をズバッと言う人でした。


それで傷ついた人もたくさんいたと思います。


私もそれを指摘されてすごく傷ついたこともありました。


思ってることを言ってはいけないんだ、と勘違いしてしまいました。


自分を出してはいけない、と思ってしまったような気がします。






高校生の時、友達と話していた時に、何を話したのか覚えてないんだけど、


その友達が、私の考えを聞いて 『それヒトラーみたいやな』 って言ったことがあるんです。


えぇ?ヒトラーってめっちゃ悪い人やん。


私ってそんな考えしとんの?


そんなんあかんやん。


ヒトラーみたいなんて、あかんわ(>_<)


って思ったし、そんな心があるわけない、っていうのも思いました。


何を話したのかわからないけど、たぶん、人の上に立ちたい、っていうことだったんだと思います。


だから、ヒトラーみたいだと。


自分の思うように人を従わせたい、とか、コントロールしたいとか、そういうのがあったのかな。


野望みたいなものがあったのかもしれません。






でもそれって、ぬらりひょんやん~~。


ぬらりひょんは、妖怪の総大将なんです。


奴良組という組の中のトップで、魑魅魍魎の主となる、と言ってるんです。


私の中にも、トップになりたい、っていう気持ちがあるから余計に魅かれるのかもしれません。






学校にいて、友達三人で歩いてる時、私はいつも真ん中にいるのが好きでした。


両脇に友達を従えてるのが好きだったんです。(従えてるってえらっそうですが、両脇に人がいるのが好きでした)


それが普通だと思っていたんですが、ある時友達が、私は三人のときに真ん中で歩くの嫌や、って


言ったんです。


えぇ~~~そうなの?ってちょっとビックリしました。


私は真ん中がよかったからです。


その友達が言うには、真ん中だと両方の友達に気をつかわないといけないから嫌、っていう感じだったと思います。





私は、そんなこと全く思ってなくて、気なんてつかってなかったんでしょうねガーン汗


両脇に友達がいて、まるで私が従えてるみたいな気持ちになるのがよかったのかもしれない・・・。


実際、私はそんな頼りになる人でもないし、中心人物になる器でもないし、


目立たない存在で地味に生きてきた子だったんですが、(同窓会でもおったっけ?って言われる存在あせる


でも、私の中には、そういう存在になりたいっていう思いがあったのかもしれません。


ぬらりひょんなんて正に、しもべがたくさん居て、両脇に従えていて、真ん中を歩くような人です。


私の中に、ぬらりひょんはいるのかもしれないって思いました。




自分がまだよくわかってない中高生のころ、私は自分の中のそれに従って、それを表現していたのかもしれません。


でも、それではうまくいかなくなって、人に合わすということを覚え、


自分の中のぬらりひょんを否定してきたのかもしれない、って思いました。


ぬらりひょんを封印してきた、っていう感じでしょうか。


なくそうとしてきたんだと思います。





でも、今、ぬらりひょんに出会って、もうなんとも言えない気持ちに襲われています。


私の中のぬらりひょんが反応してるからじゃないのかな?


私の中のぬらりひょんが、目覚めようとしているのかな?


そして、それは悪いものではなかったんじゃないか。


めちゃくちゃカッコいい部分でもあったんじゃないか?って思いました。




私は、私自身のことをカッコいいと思っていて、めちゃくちゃ好きなんじゃないか?ということがわかったんです。


本当にビックリしました。


私の中に、あんなにカッコいいぬらりひょんの要素があったなんて。


ウソやろ?っていう気持ちと、確かにそういう部分があるかもしれないっていう気持ちとで複雑でした。


私があのカッコいいぬらりひょん?


そういう部分が私の中にある?


私ってあんなにめっちゃカッコいいの?


いろいろ思っていたら、嬉しすぎて、憧れだと思っていたぬらりひょんが私の中にある、っていうのが


嬉しすぎて、感動して、感極まって、涙が出ていました。




好きになる、魅かれるっていうのは、自分の中に同じものがあるから魅かれるんですね。


ないんじゃなくて、あったんですね。


ぬらりひょんは、それを教えてくれたんだと思います。


私の中にもそういうところあるよ、って教えてくれたんだと思います。


そして、そこを否定する必要なんてないんだと。





今なんて、ぬらりひょんの欠片もないぐらい、ぬらりひょん的ではありませんガーン


三人で居ても、真ん中なんて居たくもないし、横に並ぶよりも後ろで隠れるように付いていく感じだし、


隅っこでヒッソリ目立たないようにしてるぐらいです。


でも、ぬらりひょんをちょっと思い出してもいいんじゃないか、と思いました。


ぬらりひょんみたいにはなれなくても、そういう所を今よりは出していってもいいだろうし、


思い出してもいいんじゃないかな、って思いました。





まだ続きます~~(・ω・)/ 長っあせる