間違った解釈 | スピリチュアルに生きる!

スピリチュアルに生きる!

吃音・社会(社交)不安障害、脇見恐怖症など心の病で長年悩んできました。
問題だと思っていた事は問題ではなかったと気づき、今、自分の生きたい人生を創っています♪(*^^*)
夢の中で遊びます♪だってここは夢の中なんだから♪(*^^*)

森田療法を学んでいたとき、私はきっと解釈を間違ってしまったんだと思います。


それか、私には森田療法が合ってなかったのかもしれません。


でも、その時はそれしかなかったから、一生懸命学んだことを実践していたと思います。




森田療法では、対人恐怖・不安神経症・強迫神経症などで悩んでいる人たちのことを


「神経質症」と言っていました。


どういう人が「神経質症」に当てはまるのか、の説明もありましたが、今は忘れてしまいました。




表に出ている症状はそれぞれ違うけど、みんな根っこの部分は同じなんだ、と言っていました。


それから、神経質症の人たちは、「幼弱性」がある、とも言っていました。


「幼弱性」とは、自己中心的な考えで、幼稚で弱くて甘えた、わがままな心、だったように思います。


その幼弱性があるからいけないんだ、幼弱性をなくそう、という考えだったと思います。


私がそう解釈をしたのかもしれませんが、「幼弱性」を悪者にしていたところはあったと思います。




神経質症の人は、幼弱性があるから、いつも自分のことばかり考えている。


自分を中心に世界が回ってると思ってる。


自分がどう見られるかばかり気にしていて(ええかっこしい)、人のことまで考えられない。


だから、自己中心的な考えなんだ。




って感じだったと思います。


例えば、花瓶に生けた花があったとして、「それをこの部屋に置いて」と言われた時に、


適当に置くんじゃなくて、どこに置いたら相手にとって綺麗に見えるかな、と相手のことを


考えて置くのがいい、という話しもありました。


その、相手のことにまで気がいかないのが、幼弱性なんだ、と。


だから、自分のことよりも、相手のことを考えて行動する、っていう教えだったように思います。




自己中心的はダメだ、自分よりも相手のことを考える、っていうのが、私の頭にものすごく入ってしまって、


自分の中の幼弱性をなくすために、私は一生懸命でした。


「自分をなくそう」としてたんだと思います。




これは、私の解釈が極端で、強迫観念的なところもあるから、間違ってしまったのかもしれません。


自分のことよりも、相手のことを考えなきゃいけない!と思ってしまったんだと思います。


とにかく、私がこんなに悩んでいるのは、私が自己中心的で、幼弱性があって、


相手のことまで気がいかない人間だからなんだ、と思ってしまっていました。




私だけでなく、周りもみんなもそういう解釈だったと私は思っています。




その当時、誰も自分が育ってきた環境の話しはしなかったし、両親がどんな人たちなのか、


生い立ちに関しての話しは一切出ませんでした。


どうして、自己中心的で幼弱性のある性格になってしまったのか、そこを追求することもなく、


神経質症の人は、自己中心的で幼弱性があるんだ、という考えだけでした。




今考えたら、私は森田療法で、さらに自分を責めてしまったんじゃないかと思います。


「私が悪いんだ」っていう思いしかありませんでした。


こうなってしまったのも、私の中に幼弱性があるからなんだ、としか思ってませんでした。


だから、それをなくすために、一生懸命でした。




私が「自分がない、わからない」って思うのは、自分をなくそうと努力してきたからじゃないかな、って気がしました。




悩みを解決するために勉強したのに、私は逆に自分を追い詰めていただけだったんじゃないかなと思います。


森田療法を知ってから何年も、その考えで頑張ってしまったので、きっと潜在意識にまで刷り込まれていると思います。


未だにその考えが抜けなくて、自分のことよりも相手のことを・・・・って思ってしまう自分がいたりもします。




今の私は、自己中心的でいい、と思っています。


相手のことよりも、まず自分のことを大事にすることが大切だと思っています。


それが、相手のことを尊重して、大切にすることに繋がっていると思うから。




古い考え方を、自分の中で修正していかないとなぁ、と思っています。





森田療法が悪いわけじゃないと思います。


私の解釈が未熟だったところも大きかったと思います。


森田療法では「あるがまま」の自分を認めていく、受け入れていく、ということも言っていました。


それは、「ありのままの自分を認める」っていうことだと思います。


でも、当時から私はその考えが理解できなかったし、反発してきました。


今もう一度学んだら、何か大きなものを得ることになるのかもしれないなぁ、とは思いますが、


また「幼弱性」の話を出されたら、心が折れそうになる気がするので、勉強するつもりはありません(・_・;)



私の潜在意識は未だに「私の中に幼弱性があるからダメなんだ」って思ってるんじゃないかな?


この辺も罪悪感とつながってるような気もします。


こういう考えも、どんどん手放していきたいです。