若い頃、今から20年くらい前かな?
大阪に数年間だけ(3~4年だったかな)住んでいたことがあります。
その頃にはすでに、人が怖くて悩んでいたんですが、当時は「対人恐怖」と言われていました。
「対人恐怖」っていう響きが私は嫌で嫌で・・・それこそ、とてもじゃないけど、人には言えませんでした(/ω\)
今は「社交不安障害」っていう言葉になってますが、まだこっちの方が私は受け入れられます。
大阪にいたときに、森田療法をやっている自助グループがあり、生活の発見会と呼ばれていましたが、
それに毎月?だったかな?参加していました。
そこにはいろんな悩みの人が集まっていて、大きく分けて、「対人恐怖症」「不安神経症」「強迫神経症」
の人たちが多かったと思います。
もちろん、吃音の人もいました。
「不安神経症」って、今で言う「パニック障害」のことです。
当時は、「不安神経症」って呼ばれていました。
「パニック障害」という名前が出て来た時に、「不安神経症」も進化したもんだなぁ~となんだか感慨深かったです。
生活の発見会で、私はいろんな悩みを持つ人に出会ったんですが、「不安神経症」の人が
電車に乗れない、というのを聞いて、初めはものすごくビックリしたことを覚えています。
どうして電車に乗れないのかが、当時はわかりませんでした。
今では痛いほどわかりますけどね・・・(ノДT)
私はパニック発作とかを起こしたことはないので、その恐怖はわかりませんが、
別の意味で、電車に乗るのが怖いからです。
当時は、今ほど電車に乗るのが苦痛ではなかったので、電車に乗れない人がいるっていうのが
本当に驚きの出来事でした。
他にも、自分の鼻の頭が気になってしまって困っている人や、
方角(西とか)が気になり、名前に「西」がついたり、場所に「西」がついたりしてもダメで
困っている人もいました。
当時の私は、「ウソでしょ?」って思わず言いたくなるような悩みもあったりして、
人ってなんでも悩みにできるんだな~って思ったりもしました。
でも、本当にみんな、真剣に悩んでいたんです。
悩んで、なんとかしたくて集まってきていたんです。
今では、ちょっとやそっとの悩みでは、驚かなくなりました。
そういうこともあるよね~~~って言える自分になれたのが、どこか嬉しいです。
真剣に悩みを聞くことができるだろうなぁ、って今は思います。
若い頃はやっぱり無知だったし、視野も狭かったと思います。
今でもまだまだだけど、若い頃よりは、少しは広がってきてるのかな、って気がしています。
私の今の悩みも、きっと「ウソでしょ?」って言ってしまいたくなるような悩みだと思うんです。
自分がそうだったから、きっと人もそう思うだろう、って思ってしまうんだけど、
「自分がそう思っていたから」、それに自分が縛られているんだと思います。
「ウソでしょ?」って思ってしまった自分のことを許してあげたらいいのかな。
私の中に、どこか小バカにしたところがあったかもしれないな、って思います。
「信じられなかった」んです。
「そんなバカな?!」って思っていたかもしれません。
私はなんとも思わないことなのに、それが気になってできない、っていう人がいるなんて、
信じられなくて、冗談だよね?ってちょっと思ってしまった自分がいたと思います。
今ではそう思ってしまったことを、すごく後悔しているんだけど、
私は未だにそのことに罪悪感をもってるのかもしれないなぁ、って思いました。
もう許してあげよっ。
誰だって、初めて聞いた事には驚くかもしれないし、
そういう経験を経て、成長するのかもしれないし。
これからは、いろんな人の事を理解しようと思っているし、
当時の自分のことは許してあげようと思います。
ま、顕在意識ではこう思っても、潜在意識の私はどう思ってるかわかりませんけどもね・・・┐( ̄ヘ ̄)┌
でも、許すことで、言えなかったことが言えるようになるかもしれないなぁって思います。
バカにされるのが嫌で、言えないんですもん。
それは、当時、私が人の事をバカにしていたからだと思います。
バカにして笑っていた、とか軽蔑していたとか、そういうのではないんです。
え?!って思いながらも、真剣に話を聞いて、理解しようとしていたんだけど、
思わずプッと笑ってしまいそうになったこともあったと思うんです。
本当に失礼な話ですが・・・・(>_<)
真剣に悩んでるのに、そんなこと思ってしまった自分が恥ずかしいです(>_<)
だからこそ、そんな自分のことを許してあげようと思います。
あ、でも、許しちゃダメだ、と思ってるのかもしれない。
教訓として、ずっと許しちゃダメだって思ってるのかもしれない~~(T▽T;)
なんかそんな気がしてきました・・・。
厄介だなぁ・・・・。
でもでも、もういいよね。
許してあげることにチャレンジしていこうと思います。