- 愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)/光文社
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巻末の愛着スタイルテストをやって、私のタイプは「恐れ・回避型愛着スタイル」だということがわかりました。
恐れ・回避型愛着スタイルについて、書かれているところを抜粋します。
対人関係を避けて、ひきこもろうとする人間嫌いの面と、人の反応に敏感で、
見捨てられ不安が強い面の両方を抱えているため、対人関係はより錯綜し、
不安定なものになりやすい。
一人でいることは不安で、人と仲良くしたいと思うが、親密になることで強いストレスを感じたり
傷ついてしまうという矛盾を抱えている。
それは、人を信じたいが信じられないというジレンマでもある。
それゆえ、恐れ・回避型には、疑り深く、被害者的認知に陥りやすいという傾向がある。
自分をさらけ出すのが苦手で、うまく自己開示できないが、その一方で、人に頼りたい気持ちも強い。
不安型の人のように器用に甘えらえない。
さりとて、回避型の人のように超然とばかりもしていられない。
人間嫌いなのに、人と関わり、相手を信じようとするばかりに、そこで傷つくことも多くなる。
しかも、親しい関係になって、相手を求めたい気持ちが強くなるほど、うまくいかなくなる。
相手の些細な行動も、自分をないがしろにしているように受け取ってしまい、信じられなくなってしまうからだ。
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あまりにもその通りでビックリしましたっ!
そうなんです!
相反する気持ちが自分の中にあるんです。
どちらか一方だったらよかったのに・・・って思ってしまうぐらい、全く正反対の思いがあり、
そこで葛藤してしまうんです。
アクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態、ってよく言われますが、
本当にその通りで、気持ちは全然晴れないし、すごく疲れてしまいます。
人が怖い。逃げたくなる。
でも、人が好き。
誰かに甘えたい。
誰かに手を引いてもらいたい。
でも人と付き合うのは面倒くさい。
自分が出せない。
相手に合わせようとしてしまう。
相手が今、何を求めているのか、それに応えないといけない、と思ってしまう。
うまく応えられなかったら、それは失敗、って思ってしまう。
きっと嫌われた、と勝手に被害者になる。
いつか離れていくんじゃないかと疑ってしまう。
だからもういいや。
一人でいいや。
全てをゼロにしてしまおう。
いろんな事が嫌になる。
どうでもよくなる。
全てを捨ててしまいたくなる。
でもまた人に接すると、気にいられることに一生懸命になる。
私を認めてくれたかどうか、受け入れてくれたかどうか、が一番大事なことで、
私がどう思ったかは二の次。
相手がどう思ったかなんて、わかりもしないのに!
ずっとそれを探ろうとしてしまう。
いつか嫌われるんじゃないか、離れていくんじゃないか。
どうせ離れていくなら、私から離れよう。
嫌われる前に、私の方から離れよう。
そうしたら、傷つかないで済むし、きっと相手も嫌な思いをしなくて済むに違いない。
だれも、私なんかと居たいと思わない。
私のようなつまらない人と居たって、誰も喜ばない。
私は自分の事を「つまらない人だ」と思っているんです。
きっとそうなんです。
だから、相手を嫌な思いにさせないように、つまらない思いをさせないように
ずっと自分を偽ってきたように思います。
かなり小さい頃から、小学生のときには、私の中に「私はつまらない人間だ」っていう思いが
あったと思います。
それは、きっと、吃音でうまく話せなかったから、というのもあります。
姉が流暢に面白い話を話すのを横で聞いていて、すごくうらやましかったのを覚えています。
私にはその面白い話をすることもできませんでした。
面白いって、話し方もあると思うんです。
言い方、しゃべり方、タイミング、とか、いろんなものがあって、面白い!ってなるんだけど、
私の場合、途中でつっかえてしまうし、言葉が出てこなくなったりするので、
長い話はできませんでした。
せっかくの面白い内容でも、きっと私が話すと面白くなくなってしまう、というのはわかっていて、
いつも私は、話を聞く側でした。
面白い話をするから楽しい人、っていうわけでもないと思うけど、
当時の私は、小学生だったから、やっぱり面白い話をする子が人気あったんです。
その時に、きっと、私は面白い話しもできないからつまらない人なんだ、って思ってしまったのかもしれないなぁ、と思います。
それだけじゃないと思いますが・・・。
本にはまだこう書いてあります。
恐れ・回避型の傷つきやすさや不安定さは、養育者との関係において深く傷ついた体験に
由来していることが多い。
まだ愛着の傷を引きずり続けている未解決型の人も多い。
今も傷口が閉じないまま、クレバスのように裂け目を露出させている状態であり、
不安定な構造が表面にまで口を開いているわけだ。
そのため、些細なきっかけで、不安定な状態がぶり返し、混乱型の状態にスリップバックを起こしやすいと言える。
混乱型は、先述のように、虐待された子どもに典型的にみられるもので、
愛着対象との関係が非常に不安定で、予測がつかない状況におかれたことで、
一定の対処戦略を確立することができないでいるものである。
年齢とともに、対処戦略を確立して、一定の愛着スタイルをもつようになるのだが、
別離体験や孤立的状況などにより、愛着不安が高まったり、愛着の傷が再び活性化すると、
混乱型の状態に戻ってしまうことがある。
境界性パーソナリティ障害は、愛着という観点で言えば、混乱型に逆戻りして状態だと言える。
混乱に呑み込まれると、情緒的に不安定になるだけでなく、一過性の精神病状態を呈することもある。
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やっぱり、私って虐待されて育ったのかな?
予測がつかない状況っていうのは、本当にその通りだと思います。
私の母親はヒステリックだったから、いつ怒るか、その怒りが頂点に達する時間が突然すぎて
予測がつかないのです。
怒られる~~と思ったら、今日は怒られない、今回は怒られない、とかもあったりして、
こちらが拍子抜けすることもありました。
でもいつ怒るかわからないので、いつ怒られてもいいように体は防衛態勢に入っているのです。
そうやって気をつけていても、予測がつかず、いつも息が止まってしまうようなことが起こるのです。
怒られなかったとしても、それが信じられない。
何かあるんじゃないか?本当は怒ってるんじゃないか?ここで気を許してホッとしたらいけない。
安心してたらえらい目にあう。
やっぱり安定とはほど遠い環境だったかもしれません。
それにきっと、私もとても繊細だったんだと思います。
もともと、臆病で傷つきやすい性格・性質だったうえに、ヒステリックな母親だったもんだから、
余計に私は傷ついたのかもしれません。
相反する気持ちが自分の中にあるのは、自分でも頭が混乱してしまい、
私はおかしいんじゃないか?と思う事もあります。
精神的におかしいんじゃないか?って。
もしかして、生まれつきおかしいのか?とか思って不安になることもあります。
でも、この本を読んで、愛着障害の混乱型がそうさせてしまうんだ、ってことがわかって
ちょっとホッとしています。
きっと、私みたいな人も、世の中にたくさんいるんでしょうね。
もうすぐ本は読み終わるんですが、愛着障害の克服についても書いてあります。
あぁ~~やっぱりそうかぁ~~とか、いろいろ思いながら読んでいます。
私はもう一度、自分を育て直さないといけないんじゃないかって気がしています。
いや、もうそういうことはわかっていて、やっているつもりでもありましたが、
やっぱりそうなのかな、って感じています。
克服はできる!と思います。
きっとできるはずです。