恐れ・回避型愛着スタイル | スピリチュアルに生きる!

スピリチュアルに生きる!

吃音・社会(社交)不安障害、脇見恐怖症など心の病で長年悩んできました。
問題だと思っていた事は問題ではなかったと気づき、今、自分の生きたい人生を創っています♪(*^^*)
夢の中で遊びます♪だってここは夢の中なんだから♪(*^^*)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)/光文社
¥903
Amazon.co.jp


巻末の愛着スタイルテストをやって、私のタイプは「恐れ・回避型愛着スタイル」だということがわかりました。

恐れ・回避型愛着スタイルについて、書かれているところを抜粋します。



対人関係を避けて、ひきこもろうとする人間嫌いの面と、人の反応に敏感で、

見捨てられ不安が強い面の両方を抱えているため、対人関係はより錯綜し、

不安定なものになりやすい。


一人でいることは不安で、人と仲良くしたいと思うが、親密になることで強いストレスを感じたり

傷ついてしまうという矛盾を抱えている。

それは、人を信じたいが信じられないというジレンマでもある。


それゆえ、恐れ・回避型には、疑り深く、被害者的認知に陥りやすいという傾向がある。

自分をさらけ出すのが苦手で、うまく自己開示できないが、その一方で、人に頼りたい気持ちも強い。


不安型の人のように器用に甘えらえない。

さりとて、回避型の人のように超然とばかりもしていられない。

人間嫌いなのに、人と関わり、相手を信じようとするばかりに、そこで傷つくことも多くなる。

しかも、親しい関係になって、相手を求めたい気持ちが強くなるほど、うまくいかなくなる。

相手の些細な行動も、自分をないがしろにしているように受け取ってしまい、信じられなくなってしまうからだ。




↑↑↑


あまりにもその通りでビックリしましたっ!

そうなんです!

相反する気持ちが自分の中にあるんです。

どちらか一方だったらよかったのに・・・って思ってしまうぐらい、全く正反対の思いがあり、

そこで葛藤してしまうんです。

アクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態、ってよく言われますが、

本当にその通りで、気持ちは全然晴れないし、すごく疲れてしまいます。


人が怖い。逃げたくなる。

でも、人が好き。

誰かに甘えたい。

誰かに手を引いてもらいたい。

でも人と付き合うのは面倒くさい。

自分が出せない。

相手に合わせようとしてしまう。

相手が今、何を求めているのか、それに応えないといけない、と思ってしまう。

うまく応えられなかったら、それは失敗、って思ってしまう。

きっと嫌われた、と勝手に被害者になる。

いつか離れていくんじゃないかと疑ってしまう。

だからもういいや。

一人でいいや。

全てをゼロにしてしまおう。

いろんな事が嫌になる。

どうでもよくなる。

全てを捨ててしまいたくなる。


でもまた人に接すると、気にいられることに一生懸命になる。

私を認めてくれたかどうか、受け入れてくれたかどうか、が一番大事なことで、

私がどう思ったかは二の次。

相手がどう思ったかなんて、わかりもしないのに!

ずっとそれを探ろうとしてしまう。

いつか嫌われるんじゃないか、離れていくんじゃないか。

どうせ離れていくなら、私から離れよう。

嫌われる前に、私の方から離れよう。

そうしたら、傷つかないで済むし、きっと相手も嫌な思いをしなくて済むに違いない。

だれも、私なんかと居たいと思わない。

私のようなつまらない人と居たって、誰も喜ばない。


私は自分の事を「つまらない人だ」と思っているんです。

きっとそうなんです。

だから、相手を嫌な思いにさせないように、つまらない思いをさせないように

ずっと自分を偽ってきたように思います。


かなり小さい頃から、小学生のときには、私の中に「私はつまらない人間だ」っていう思いが

あったと思います。

それは、きっと、吃音でうまく話せなかったから、というのもあります。

姉が流暢に面白い話を話すのを横で聞いていて、すごくうらやましかったのを覚えています。

私にはその面白い話をすることもできませんでした。

面白いって、話し方もあると思うんです。

言い方、しゃべり方、タイミング、とか、いろんなものがあって、面白い!ってなるんだけど、

私の場合、途中でつっかえてしまうし、言葉が出てこなくなったりするので、

長い話はできませんでした。

せっかくの面白い内容でも、きっと私が話すと面白くなくなってしまう、というのはわかっていて、

いつも私は、話を聞く側でした。


面白い話をするから楽しい人、っていうわけでもないと思うけど、

当時の私は、小学生だったから、やっぱり面白い話をする子が人気あったんです。

その時に、きっと、私は面白い話しもできないからつまらない人なんだ、って思ってしまったのかもしれないなぁ、と思います。


それだけじゃないと思いますが・・・。


本にはまだこう書いてあります。



恐れ・回避型の傷つきやすさや不安定さは、養育者との関係において深く傷ついた体験に

由来していることが多い。

まだ愛着の傷を引きずり続けている未解決型の人も多い。

今も傷口が閉じないまま、クレバスのように裂け目を露出させている状態であり、

不安定な構造が表面にまで口を開いているわけだ。

そのため、些細なきっかけで、不安定な状態がぶり返し、混乱型の状態にスリップバックを起こしやすいと言える。


混乱型は、先述のように、虐待された子どもに典型的にみられるもので、

愛着対象との関係が非常に不安定で、予測がつかない状況におかれたことで、

一定の対処戦略を確立することができないでいるものである。

年齢とともに、対処戦略を確立して、一定の愛着スタイルをもつようになるのだが、

別離体験や孤立的状況などにより、愛着不安が高まったり、愛着の傷が再び活性化すると、

混乱型の状態に戻ってしまうことがある。

境界性パーソナリティ障害は、愛着という観点で言えば、混乱型に逆戻りして状態だと言える。

混乱に呑み込まれると、情緒的に不安定になるだけでなく、一過性の精神病状態を呈することもある。



↑↑↑


やっぱり、私って虐待されて育ったのかな?

予測がつかない状況っていうのは、本当にその通りだと思います。

私の母親はヒステリックだったから、いつ怒るか、その怒りが頂点に達する時間が突然すぎて

予測がつかないのです。

怒られる~~と思ったら、今日は怒られない、今回は怒られない、とかもあったりして、

こちらが拍子抜けすることもありました。

でもいつ怒るかわからないので、いつ怒られてもいいように体は防衛態勢に入っているのです。

そうやって気をつけていても、予測がつかず、いつも息が止まってしまうようなことが起こるのです。

怒られなかったとしても、それが信じられない。

何かあるんじゃないか?本当は怒ってるんじゃないか?ここで気を許してホッとしたらいけない。

安心してたらえらい目にあう。


やっぱり安定とはほど遠い環境だったかもしれません。

それにきっと、私もとても繊細だったんだと思います。

もともと、臆病で傷つきやすい性格・性質だったうえに、ヒステリックな母親だったもんだから、

余計に私は傷ついたのかもしれません。



相反する気持ちが自分の中にあるのは、自分でも頭が混乱してしまい、

私はおかしいんじゃないか?と思う事もあります。

精神的におかしいんじゃないか?って。

もしかして、生まれつきおかしいのか?とか思って不安になることもあります。

でも、この本を読んで、愛着障害の混乱型がそうさせてしまうんだ、ってことがわかって

ちょっとホッとしています。

きっと、私みたいな人も、世の中にたくさんいるんでしょうね。


もうすぐ本は読み終わるんですが、愛着障害の克服についても書いてあります。

あぁ~~やっぱりそうかぁ~~とか、いろいろ思いながら読んでいます。

私はもう一度、自分を育て直さないといけないんじゃないかって気がしています。

いや、もうそういうことはわかっていて、やっているつもりでもありましたが、

やっぱりそうなのかな、って感じています。


克服はできる!と思います。

きっとできるはずです。