昨日は市の発達相談に行ってきました。
元校長先生で臨床心理士さん。
病院の先生とはまた違うアドバイスが聞けるのでは、と思い、申し込みました。
交流については、主治医と全く同じ考えで、今は支援級だけでいい、とのことでした。
まずは、安心して学校に通えること、1人で通えることを一番に目標にしていく、というのも
主治医と全く同じでした。
交流しなくても、十分成長できます。
と言っておられました。
主治医と一緒でよかったぁ~♪
やっぱりな~~~やっぱりそうだよね~~~♪とうれしくなりました。
交流には交流のよさがあるのも十分わかっていますが、今じゃなくてもいいと思います。
まずは、安心の土台をしっかり築く時だと思います。
学校の先生も元校長の言葉には反論できないと思います。
おそらく、しばらくは支援級だけで過ごさせてくれると思います。
勉強の仕方、宿題等に関する考えは、主治医とは違いました。
でも、教育者としての考え、視点などを教えてもらえて、すごく参考になりました。
いろんなことを試してみて、ダメだったらまた別のやり方を考えていけばいいし、
うまくいってると思っていても、ダメになるときもあるし、
行きつ戻りつしながらやっていく、ということを教えていただきました。
試行錯誤しながら、探っていきたいと思います。
「お母さんも辛いでしょ?」
と言ってくれたのはうれしかったです。
私みたいに、ずっと付き添っている人は他にもいるんだそうですが、
お母さんが先につぶれてしまうこともある、と言っていました。
学校での自分の存在価値があいまいだからだそうです。
学校の先生でもない、生徒でもない、介助員さんでもない、のに、教室にいるんです。
本来いるはずのない保護者が毎日いるんです。
役割ってものがハッキリない状態で、存在するのは、そこに価値を見いだせないんだと思います。
人って、その場その場での役割を演じているんでしょうね。
家に居る時は、こういう役割。
職場に居る時は、こういう役割。
って決まってるから、そこにいてそれを演じているけど、役割自体がない場合、
そこに価値を見いだせないのかな、と思いました。
先生じゃないからそんなに叱れないし(他の生徒さんに)、介助員さんじゃないから指導もできないし、
(介助員さんがいたら何もしなくていいし)
まして生徒じゃないから、勉強もしなくていいわけだし。
長い人で小学三年生まで一緒に通った人がいるそうです。
三年生っていうのが、ちょうど自意識も出て来て、周りから「まだお母さんがついてきてるの~?」
と言われたりして、恥ずかしい、と思うようになる年頃だそうです。
そうなった時がチャンスなので、最長でもおそらく三年生までだと思っててください、って言われました。
私の予想ではもっと早く離れられるような気もしています。
無理せず、支援級のみの学校生活だとしたら、きっと早いと思います。
例え、三年生までかかったとしても、それでもいい、って今は思います。
なんてったって、今はつい立ての向こうでのんびりさせてもらえてますから~♪
今日も本が読めました♪
今読んでるのは、
- 発達障害と呼ばないで (幻冬舎新書)/幻冬舎
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これまたすごくいい本です。
いいこと書いてあります~♪
私も本をたくさん読んで、学校で勉強しようと思います♪