発達相談行ってきました | スピリチュアルに生きる!

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吃音・社会(社交)不安障害、脇見恐怖症など心の病で長年悩んできました。
問題だと思っていた事は問題ではなかったと気づき、今、自分の生きたい人生を創っています♪(*^^*)
夢の中で遊びます♪だってここは夢の中なんだから♪(*^^*)

昨日は市の発達相談に行ってきました。


元校長先生で臨床心理士さん。

病院の先生とはまた違うアドバイスが聞けるのでは、と思い、申し込みました。


交流については、主治医と全く同じ考えで、今は支援級だけでいい、とのことでした。

まずは、安心して学校に通えること、1人で通えることを一番に目標にしていく、というのも

主治医と全く同じでした。


交流しなくても、十分成長できます。


と言っておられました。



主治医と一緒でよかったぁ~♪

やっぱりな~~~やっぱりそうだよね~~~♪とうれしくなりました。


交流には交流のよさがあるのも十分わかっていますが、今じゃなくてもいいと思います。

まずは、安心の土台をしっかり築く時だと思います。

学校の先生も元校長の言葉には反論できないと思います。

おそらく、しばらくは支援級だけで過ごさせてくれると思います。


勉強の仕方、宿題等に関する考えは、主治医とは違いました。

でも、教育者としての考え、視点などを教えてもらえて、すごく参考になりました。

いろんなことを試してみて、ダメだったらまた別のやり方を考えていけばいいし、

うまくいってると思っていても、ダメになるときもあるし、

行きつ戻りつしながらやっていく、ということを教えていただきました。


試行錯誤しながら、探っていきたいと思います。



「お母さんも辛いでしょ?」


と言ってくれたのはうれしかったです。

私みたいに、ずっと付き添っている人は他にもいるんだそうですが、

お母さんが先につぶれてしまうこともある、と言っていました。

学校での自分の存在価値があいまいだからだそうです。


学校の先生でもない、生徒でもない、介助員さんでもない、のに、教室にいるんです。

本来いるはずのない保護者が毎日いるんです。

役割ってものがハッキリない状態で、存在するのは、そこに価値を見いだせないんだと思います。


人って、その場その場での役割を演じているんでしょうね。

家に居る時は、こういう役割。

職場に居る時は、こういう役割。

って決まってるから、そこにいてそれを演じているけど、役割自体がない場合、

そこに価値を見いだせないのかな、と思いました。


先生じゃないからそんなに叱れないし(他の生徒さんに)、介助員さんじゃないから指導もできないし、

(介助員さんがいたら何もしなくていいし)

まして生徒じゃないから、勉強もしなくていいわけだし。


長い人で小学三年生まで一緒に通った人がいるそうです。

三年生っていうのが、ちょうど自意識も出て来て、周りから「まだお母さんがついてきてるの~?」

と言われたりして、恥ずかしい、と思うようになる年頃だそうです。

そうなった時がチャンスなので、最長でもおそらく三年生までだと思っててください、って言われました。


私の予想ではもっと早く離れられるような気もしています。

無理せず、支援級のみの学校生活だとしたら、きっと早いと思います。

例え、三年生までかかったとしても、それでもいい、って今は思います。

なんてったって、今はつい立ての向こうでのんびりさせてもらえてますから~♪

今日も本が読めました♪


今読んでるのは、


発達障害と呼ばないで (幻冬舎新書)/幻冬舎
¥840
Amazon.co.jp

これまたすごくいい本です。

いいこと書いてあります~♪


私も本をたくさん読んで、学校で勉強しようと思います♪