EFTで吃音改善 | スピリチュアルに生きる!

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吃音・社会(社交)不安障害、脇見恐怖症など心の病で長年悩んできました。
問題だと思っていた事は問題ではなかったと気づき、今、自分の生きたい人生を創っています♪(*^^*)
夢の中で遊びます♪だってここは夢の中なんだから♪(*^^*)

たまたまこんなの見つけました。


EFTによる吃音抑制訓練事例


吃音協会っていうのがあるのも知らなかったんですが、

EFTで吃音が改善(抑制?)されているみたいです。

希望者にはEFTの指導(無料)をしてくれるそうです。

ちょっと問い合わせてみようかな??



明日は息子の入学式。

ピカピカの一年生になります!

息子は軽度の発達障害があるため、特別支援学級に在籍することになっています。

普通学級にも籍はあります。

登下校は私も付き添います。

息子は母子分離不安があるため、しばらくは私も一緒に授業も付き添いです。

弁当持参で行かなくちゃいけないのかと思うと、ため息がでますが・・・

その方が、学校に慣れるのも早いだろうし、なにより学校に通えるようになるためには

そうした方が絶対いいのはわかっています。


でも、それをわかってくれる人が意外と少ない、というか、

一般的な考えからいくと、子供のためには早く親が離れた方がいい、とか

お母さんも心を鬼にして学校に任せてみたら?ということになると思うんですが、

それがそもそも、目に見えない障害に対する理解が足りないなぁ~と感じます。


よく主治医にも言われるんですが、足の不自由な人が車イスを使うことに対しては

誰も何も文句を言わないと思います。

車イスを使わないで学校に行きなさい、とは絶対に言わないと思います。

だって、それは、とても大変なことだからです。

どうぞ、車イスを使ってください、と誰もが言うと思います。


でも、目に見えない障害、うちの息子の場合は、自閉症ですが、

そういう子に対しては、その車イスを使わずに学校に行け、と言ってるのと同じことを言ってしまうんです。

息子の場合、車イスの代わりとなるものが「安心・信頼」なんですが、

「安心」となる存在の「私」がいることで、やっと登校できるんです。

それなのに、その補助具である「私」が一緒であることが逆効果のようなことを平気で言ってしまうんです。


補助具なしで学校へ行きなさい、と言ってるのと一緒です。

それは、車イスの必要な子に、車イスなしで学校へ行きなさい、と言ってるのと同じ事なんですよ、

と主治医は教えてくれました。

目に見えて大変さがわかると、みんな優しくなるんです。

でも、目に見えてわからないから、1人で頑張れ!勇気を出せ!甘やかしてはいけない!と厳しくなります。


足の不自由な人は、もしかして一生、車イスが必要かもしれませんが、

うちの息子の場合、「私」に代わる「安心と信頼」があれば、「私」がなくても、

行ける可能性があります。

そこがまた、理解してもらうのに難しいところです。

やろうと思ったら、「できる」ように見えてしまうからです。

「安心と信頼」も成長の過程で、変化していくからです。


学校の先生によく誤解されるのが、私が心配だから付き添うんだ、と思われてしまうところです。

違うんです。

それが必要だから、そうさせてもらいたいんです。

私だって、付いていかなくていいなら、その方が全然いいんです。

家で自分の時間も持てるし、その方が全然楽です。

好き好んで付いて行くわけではないんです。

そうした方が、学校に行ける可能性が高いからそうするんです。

親の過保護で、とか、甘やかしで、とか、心配だから、というわけではない、というところが

なかなかわかってもらえないです。


付いて行かなくていいなら、行きたくない!!

でも、付いて行った方がいいから、行くんです。


当面の目標は、学校に通う、ということです。

でも、私は、学校そのものがいいかどうか、とても疑問にも思っています。

やっぱり学校って、枠にはめたような指導しかしてないんじゃないかな、って思うからです。

そこで息子は本当にのびのびできるだろうか?

もっている才能を伸ばせるんだろうか?

劣等感を持ち、自尊心を傷つけるような場所であれば、私は通わなくてもいい道を選択しようと思っています。

人にとって、大事なのは、学力ではないと思っています。

自己肯定感を高め、自分を好きであることが何よりの宝物だと思っているので、

それが著しく妨げられるのであれば、通う必要はないかな、と思います。


私も小学生になったつもりで、明日からがんばるぞ~~♪