福島 会津藩主松平家廟所② | 僕と歴史と墓 

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こんにちは!

今回は、松平家廟所のその②(最後)を紹介します。

 

↑松平家廟所のここに、松平容保や松平正容などの墓があります。

 

↑3代の松平正容の墓です。

 正容は、保科正之の6男です。

 

↑5代の松平容頌の墓です。

 容頌は家老の田中玄宰と共に、会津藩校日新館を創設しました。

 

↑6代の松平容住の墓です。

 容住は藩主に就任して、わずか1年足らずで亡くなりました(28歳没)

 

 

↑7代の松平容衆の墓です。

 

 

↑墓を守る神獣の「亀趺」が台座になっている碑石です。

 

↑松平容保だけは少し離れた場所にあります。

 松平容保は、東京都新宿区の正受院というところにありましたが、

 こっちに移されました。

 なので墓石は、他のと比べて新しいです。

 

↑石段を上がると、松平容保の肖像と説明が書かれたものがあります。

 

↑会津藩主9代の松平容保の墓です。

 墓石には、「正三位松平容保之墓」とあります。

 容保は会津で一番有名な人ではないでしょうか?

 京都守護職に任命され、京都の治安維持と公武合体の実現に努めました。

 会津戦争では、討幕軍に抗戦しましたが、降伏しました。

 

↑松平容保の本当の墓は、奥に見える「鎮石」というものです。

 遺体は、あの鎮石に埋葬されています。

 

↑松平容保の墓前にある、碑石です。

 

↑松平容保以降の10代、11代などは、この松平家の墓に埋葬されています。

 

 

今回は、これで、終わりです。

では、さようなら!