愛知 桶狭間古戦場公園 | 僕と歴史と墓 

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こんにちは!

今回は、3年前くらいに行った、名古屋市緑区にある、桶狭間古戦場公園を紹介します。

 

↑桶狭間古戦場公園の織田信長の銅像(左)と今川義元の銅像(右)です。

 桶狭間の戦いは、1560年に当時、尾張の領主だった織田信長が、

 駿河と遠江と三河を持つ今川義元を打ち破った戦いです。

 義元の軍は、約45000の大軍を率いていましたが、

 信長は、その10分の1ほどの軍で今川義元を破りました。

 ちなみに義元を討ち取ったのは、信長の家臣の毛利新介です。

 

↑桶狭間古戦場公園の入口です。

 

↑桶狭間古戦場公園の周辺の案内板です。

 

↑周辺には、義元の首実験がされた長福寺や今川義元の本陣跡などがあります。

 

↑今川義元の墓(左)と駿公墓碣(右)です。

 今川義元の墓は、保存会の人によると遺骨などは埋葬されていないようです。

 駿公墓碣は、ねず塚から出土し「駿公墓碣」と刻まれた墓碑です。

 建立された年も分かっていないようです。

 

↑桶狭間古戦場田楽坪と書かれたこの石柱は、

 B級戦犯として処刑された陸軍大将の松井石根の字です。

 

 

↑右にある池のようなものは、

 「義元首洗いの泉」です。

 

↑義元首洗いの泉は、討死した今川義元の首級をこの泉で洗い清めたといわれています。

 この泉は、「桶狭間」という名前の由来にもなっています。

 ここは近崎道と三河道との合流点で鳴海方面に通じる要所でした。

 湧き出る水の勢いで水汲み用の桶がくるくる廻っている様子に興味を誘われた旅人が、

 「桶廻間」と呼ぶようになったそうです(看板から引用)。

 

↑古戦場公園の全景です。

 

 

 

 

今回は、これで、終わりです。

名古屋駅からは遠いですが、電車で行ったら早いので電車で行った方がいいと思います!

では、さようなら!