あぁそういえば。 | 落としたほんじを拾いに行きます。

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その辺に落ちてませんでしたか?

カレンダーを見たら
今日は平成31年2月15日。
21年前の今頃、
お腹が痛かったんだよなー。陣痛で。
朝から変な感じがしたんだよ。
で、結局 23時頃医院にtelして、そのまま入院したんだった。
それまで医療事務の仕事していたので
『うわー、日曜深夜かー。加算が……ガーン』って思ったのは
ここだけの話。
破水も少しずつあったのでね。入院になったんですね。

結局、第一子の娘が生まれたのは 翌日(16日)の夕方でしたよ。

さらに翌日(17日)の朝6時前に、暗がりで人の気配で目が覚めたら
義父とオババが 娘を見るために侵入していた。
もー、ビックリ!
明るい時に来てくれや。非常識も甚だしい義親でしたなー。
...( = =) トオイメ

長野オリンピックの真っただ中。
入院中は暇を持て余して テレビ見てた記憶が。

入院中は、夕食の時間になると 仕事帰りのオットがやってきては
私のぶんのご飯を平らげて帰っていって泣きたくなった。
職場とオットの実家の間に医院があったので、
私の食事で小腹を満たしてから
家に帰ってオババの作った夕食を食べる生活をしていたらしい。

こっちは、個人医院だったので売店は無く、自販機のみ。
夜は ブロックタイプのカロリーメイトでしのいだ。

退院してから
 私は実家に1ヶ月ほど帰る予定だったが
3週間程度しか居なかった。
オットが毎週やってきて
3週間めには半強制的に連れて帰られた形。

でもね、実家での生活は  私の居場所は あって無いような。
私の部屋のベッドではなく
お客さん用の和室に布団を敷かれていた。
「嫁に出したら よその家の人なんだし、家族じゃなくて 客だろう」と父に言われたのがショックで。
仕方なく里帰りさせてやった感があった。
身の置き所がない感じだったので、逆にストレスに。
母は寂しがっていたけれど 早めに引き上げてよかったなと  それはそれで思ったものだ。

余談だが、
第二子の時は 十日程度帰った。
第三子の時は、出産前に父親から「お金(児童手当)もらうために子供作ったんだろ」と言われたのがきっかけになり、その後  生まれたことも教えず 実家には帰らなかった。(オットが母に電話して教えたそうだ)

あ、第二子(長男)が産まれる時
産気づいたのが1月2日の夜。『うわー、今回は 正月の深夜かー』って思ったよー
昔好きだった人が1月2日生まれだったなー…とか、不謹慎なことも思ったなぁ。
生まれたのが日付が変わって3日だったんだけれどね。


という、
"ムスメの誕生日の前日に毎年思い出すこと"でした。